第1話(後)
「で、それを何故、今になって買い戻そうと? 」
私の問いに、アーキソン教授は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「もちろん、折があったら買い戻そうとはずっと考えていた。だが、私も忙しい身だし、他の研究もある。本気で写本を取り戻そうと行動したことは、今までなかったのだ。
だが状況が変わった。少々急がなければならないのだ。不本意ながらな。というのも、最近になって、あの写本自体の資料的価値について異議を唱える者が現れたのだ」
私は目を細めて、アーキソン教授の頑固そうな顔を見つめた。ひどく忌々しげな表情だった。思い出すのも屈辱的だとでも言いたげな顔だ。
「シエラ・パルテ――と言っても、聞いたことはないだろうがな。ほんの数年前まで学生だったような青二才だ」
「……というと、例の写本を発掘された時のアーキソン教授と、ちょうど同じくらいの年頃ですね」
私の余計な指摘に、教授は火の出るようなひと睨みで答えた。
「とにかく、だ。そいつが予備論文を提出してきた。現在『イユル=ゲマフの歌』の写本とされているものは、実際にはだいぶ後世になって書かれたものではないか――つまり古代より後、少なくとも、『そとびと』の調査が始まって以降の時代に書かれたのではないかというのだ。
遠回しだが、要するに偽書ではないのかと言っているんだな」
私は低く唸った。考古学界において、資料の真贋に関する議論は極めてデリケートだ。ことに、アーキソン教授のような学者を相手取るとなれば、相当の覚悟がいる。そのシエラ・パルテとかいう学者、かなりの無鉄砲ものらしい。
「で、率直なところをお聞かせ願いたいんですがね……実際のところ、どうなんです? 偽書なのか、本物なのか? 」
「私の鑑定眼を、疑うのかね」
アーキソン教授は答えた――が、想像していたよりその語調は穏やかだった。
「自分で言うのもなんだが、私はその道の権威だ。『イユル=ゲマフの歌』は、まず間違いなく古代『うちびと』文明の遺産だろう。
……だが、厄介なことに、こういう問題に関して頭ごなしに断言することは誰にもできん。何しろ発掘された時代が時代だからな。今でも悪質な捏造は後を絶たないが、当時は今より買い手も無知だったし、研究自体も進んでいなかった。『そとびと』の詐欺師だけではなく、『うちびと』までが生活物資と引き換えに怪しげな工芸品や手書き文書を売っていた。
考古学界にとっては、大混乱の時代だよ」
アーキソン教授は重いため息をついた。
「分かるかね。写本への疑い自体は、事実無根のものだと私は確信している。だが、あの時代に生きた者の責任として、あやふやな根拠で資料価値を主張するわけには行かないのだ。論破するなら、水も漏らさぬ論拠を整えたうえでなければならない。そのために、ずっと先送りにしてきた写本の買い取りを決意したわけだ」
そこで教授は言葉を切った。私は、とりあえず頷いた。ここまで聞かされた話には、特に不審な点もない。今度は、こちらが質問する番だ。
「こう言ってはなんですが……依頼は『写本を入手すること』でいいんですね? つまり、依頼を達成した結果、精密な検査でそれがニセモノと証明されてしまう可能性もあるわけですが……」
アーキソン教授は静かに頷いた。
「もちろん、そういうこともあるかも知れない。結果に対する責任は、君にはない。ただ、写本を手に入れてアカデミーに持ち帰ることだけ考えてくれればいい」
「結構です。もし、証拠隠滅まで含めた依頼をされるようでしたら、即座にお断りしようと考えていました。
さて、実務的な話に移りましょう。具体的に言って、私に何をさせたいんです? アカデミーから正式に買取の申し出をすれば、済む話ではないんですか? 」
「そこが、ややこしいところでな」
アーキソン教授は、白く太い眉をひそめた。
「ありていに言って、アカデミーは物惜しみをしておるのだ。資料としては既に研究されつくした写本を、高い金まで出して買い取りたくはないとな。加えて、持ち主――ハパールクという名の、葉巻商人なのだが――こいつが、食えないやつでな。こちらから下手に話を持ちかけたら、とんでもない額を吹っかけられる恐れがあるのだ」
私はさもありなんと思った。
大竪穴では、太陽苔の光で大抵の作物は作れるが、強い日光と熱を必要とする作物はやはり育てにくい。ゆえに、外界から持ち込まれるコーヒー豆やタバコなどは珍重され、高い値段で取引されている。当然、形成するマーケットも巨大で、虚々実々の駆け引きがまかり通る闇の世界となっている。大竪穴でタバコ商人と言えば、因業の代名詞みたいなものだ。
「君にはまず、ハパールクの身辺を調べてもらいたい。写本を手放す気はあるのか? 手放すとしたら、いくらで? 奴自身の経済状況は? あるいは、写本に関係ないことであってもいい。取引の場で交渉材料になるようなことは、洗いざらい調べ上げてくれ」
「紳士的な恐喝ってところですか? 」
私が軽く言うと、アーキソン教授は嫌そうな顔をした。が、怒りだしたりはしなかった。
「歯に衣着せぬ物言いをしてくれる……が、まあ、そう思いたいのなら思ってくれて構わん。私もなりふり構ってはいられない、ということだけ飲み込んでおいてくれればいい。
それで結局、やるのかね、やらないのかね? 」
私は顎に手をやって少し考えた。100%の自信を持って「足元の明るい仕事だ」とは言えないところがある。だが、『うちびと』文化遺産の保護には私も感心があるし、何より昔なじみの第3大隧道で久しぶりに仕事ができるというのだ。私は決心した。
「ジョルダンスン教授の手前、日当は大まけにまけて一千ゾル。取引がまとまったら、成功報酬として1万。当然、別途経費をいただきます。そんなとこでどうです? 」
「あまり安くはないが……まあ、ハパールクよりは良心的か。いいだろう。それで頼む」
アーキソン教授はしぶしぶといった顔で承諾した。
「さて、仕事にはいつからかかります? そちらの準備も必要でしょうし、交通手段の確保もしなけりゃ。私の方は、早ければ来週にでもと……」
「なんだ、よくよく悠長なことを言うんだな、君も」
アーキソン教授は本気で呆れたというような表情を作った。マントの中に手を入れ、中から1枚の紙切れを取り出して、テーブルに叩きつける。
「竜列車、第3大隧道への直通便の切符だ。明日の昼に出る」
言いながら、アーキソン教授は私を威圧的に睨んだ。提案とか相談ではなく、命令だとその目が語っていた。
「その列車に乗ってもらう。支度しておきたまえ」
「それは、また……」
私は目を白黒させるしかなかった。普通の列車と違って、直通便は本数が少ないので、前売りのみとなっている。当日販売に回すほど席が残らないのだ。それをすでに手に入れているということは、よほど前から予約していたということだ。
「……もし、私がお断りしていたら、その切符をどうするつもりだったんです? 」
聞くと、アーキソン教授は初めて笑顔を作った。大きな歯を剥きだしにした、獰猛な笑顔だった。
「断らんよ、君は。そういう男だ――少なくとも、私はヴァーニ君からそう聞いている。違うのかね? 」
私はため息をつきながら、切符を受け取った。ジョルダンスン教授も、厄介な相手をよこしてくれたものだ。
「私自身は、一緒に上へは戻らん。せっかくここまで降りてきたのだからな。訪れたい遺跡もあるし、資料も探したい。何日か後で戻るから、それまではまあ、自由にやっていてくれ。寝床は、学生寮が使えるだろう。寮監には私から話をつけてある。人相の悪いのが一人訪ねて来るかもしれんから、来たら泊めてやってくれとな」
「これでも自分じゃ、けっこう男前だと自負しているんですがね」
私は顔の鱗を撫で、口を尖らせて言った。アーキソン教授はうっとうしそうに手を振った。
「その件については、どちらが正しいか上で寮監にでも聞いてくれ。ともかく、上での調査は君に一任する。どこをどう調べてもらっても構わない――何だったらあの若造、シエラ・パルテと喋っても構わんぞ。癪に障るやつだが、頭は悪くない。事情を話せば助けになってくれるだろう」
私は考えを見透かされたようで思わずぎくりとした。
実のところ、そのパルテという学者には真っ先に話を聞こうと思っていたのだ。本当に写本はニセモノなのか? その根拠は? アーキソン教授という怪物相手にひるまない度胸の秘訣は? などなど。
「そう、後ろめたそうな顔をすることはない。奴と私は対立する立場にいるが、敵同士というわけではないのだ。話をしたからといって、裏切りとは思わんよ」
言い終わると、アーキソン教授は早くもソファから立ち上がっていた。
「さて……こちらの用件は済んだ。君の方から何かなければ、これで失礼するが」
「もうですか? 」
私は目を丸くした。庭掃除で手についた泥すら、まだ乾ききってはいない。まったくもってせっかちな爺さんだ。
「少しくらい、ゆっくりしていらしたらどうです? お疲れでしょうに。今、コーヒーでも入れようかと思っていたんですが」
「どうせ鉱石珈琲だろう。悪いがありゃ、どうも好かん。金気臭くてな」
答えながらアーキソン教授は、もう戸口に向かって歩き出していた。
「せっかくここまで来たんだからな。ムダな時間を過ごしている時間はない。じゃあ、頼んだぞ。列車に乗り遅れるなよ」
私は大股にドアをくぐるアーキソン教授を見送りながら、思わずひとり口笛を吹いた。教授が振り返る。
「何かね? 」
「いや、何というか……あなたの半分ほどでも決断力があったなら、私もここまで荒れ果てる前に庭掃除が出来てたんだろうな、なんて思いまして」
教授は呆れ顔で鼻を鳴らし、手に持っていた帽子を頭にひょいと乗せた。
「そりゃ、君個人の問題だ」
教授はマントを翻し、草だらけの庭を突っ切って去って行った。私は放りっぱなしの掃除用具を見、ため息をついた。
庭掃除はまた、今度の仕事から帰ってくるまで先送りという事になりそうだ。




