第3話(前)
「祝杯ですか、残念会ですか? 」
「どっちでもない。途中経過の報告だ。コーヒーでもくれないか? 」
「酒場で、バーテンダーに、コーヒーを……ま、いいでしょう。かしこまりました」
ちょっと不服そうな様子で、ジギーはコーヒーの準備を始めた。『空に星』亭では、鉱石ではなく本物の豆のコーヒーを出す。コーヒーの樹には強い日光が必要なため、大竪穴ではコーヒー豆の収穫が難しい。一部地域では、太陽苔を密集させた大規模農園での栽培が行われているらしいが、それもごくわずかな量だ。コーヒー豆のほとんどは、外の世界からわざわざ運んできたものである。
豆のコーヒーは久しぶりだ。私はブラックのまま、ゆっくりと味わった。そんな私を、ジギーはそわそわした様子で見守っていた。よほど、調査の結果が気になるようだ。
「……それで、どうだったんです? 『ファントム・レディ』は、実在したんですか? 」
ついにしびれを切らし、ジギーは聞いてきた。私はコーヒーを飲みこみ、おもむろにカップを置いて、勿体ぶりながら報告を始めた。
「うむ……石窟は封鎖されていた。隠し部屋を探すどころか、中へ入ることすらできない。また、私が行く前に既に荒っぽい連中が多少は中を調べたらしいが、それらしい部屋はまだ発見できていないようだ」
「そうですか……」
ジギーは静かに言った。少々気落ちしているようだ。私はここぞとばかりにニヤッと笑い。先を続けた。
「早合点で落ち込むなよ。確かに、実際に遺跡の中を調べることは出来なかった。だが、いくつか面白い事実を見つけてね。私の見たところ、いわゆる「隠し部屋」がある可能性はかなり高いな」
ジギーは目を丸くした。喜びと不信感がないまぜになった表情だ。
「それは、それは……確かな話ですか? 」
「それを、これから確かめるつもりだ」
私は言って、コーヒーを飲みほし、改めてジギーと向かい合った。
「そこで、君の知恵を借りたい、ジギー。私は『うちびと』の歴史や文化については詳しいつもりだが、酒のことに関してはあまり知識がない。その点に、プロとしての意見を聞かせてほしいんだが……」
「というと? 」
「うん、根拠は後で話すが、とにかく今私はユーベル石窟に隠し部屋があると考えている。だが……理屈で「ある」ということは推理できるんだが、それがどこなのか分からないんだ。手がかりは、隠し部屋が酒蔵だということだけ。
だから、酒に詳しい君ならば、私の気づかなかった何かに気付いてくれるんじゃないかと思ってね。一応、地図と写真を持ってきている。見づらいかもしれないが、ちょっと考えてみて……」
「その必要はありません」
ジギーは、謎めいた笑みを浮かべながらきっぱりと言った。私は出ばなをくじかれて、写真を取り出そうとポケットに入れた手をおずおずと出した。
「ジギー? 何を言って……」
「私が、直接ユーベル石窟まで行きます。その方が、手がかりの見つかる可能性も増すでしょう」
さりげない笑顔のまま、ジギーは言った。私はジギーの顔をまじまじと見つめた。表情を変えていないように見えるが、その両目は興奮に輝いている。
「おいおい……まだ、ファントム・レディどころか隠し部屋さえ見つかってないんだぞ。それでも、行くって言うのか? 」
私は呆れて口を挟んだが、ジギーは耳を貸さなかった。
「隠し部屋があることは、確かなんでしょう? なら、私はあなたを信じますよ、ベク=ベキム様。『うちびと』の酒蔵を発見する、その瞬間に居合わせる――こんなに胸躍ることがありますか? 何としても、私は行きます」
「そんなこと言ったって、酒場の仕事は大丈夫なのか? 」
「無理を言ってでも、休みくらいもぎ取りますよ。明日にでも。この酒場は私のカクテルで持ってるようなもんなんだ、それくらいの我儘は聞いてもらってもいい。もし休みをくれないってんなら、あの女狐――」
ジギーの笑顔が歪んでいくのを見て、私は慌てた。
「女狐」というのはこの店のオーナー、ザナ・ステラのことだ。ジギーは彼女とその趣味嗜好を軽蔑しており、その下で働かなければならないことに強い憎しみを覚えている。私は以前、彼女を陥れて『空に星』亭の店主をすげ換えようとするジギーの企みに利用されそうになったことがある。
「まあ、とにかく落ち着け。分かったよ、一緒に行こう。また明日の昼に来るから、行けるなら行けるとその時返事してくれ」
私は残っていたコーヒーを飲みほし、急いで席を立った。まったく、ここ最近のんびりとコーヒーを飲むことが出来ないのは、どういう巡りあわせだろう?
* * *
昼間訪れる『空に星』亭は、なんだか雰囲気が違って見えた。厚化粧の娼婦が、化粧を落として寝ていたのを叩き起こされたような感じ、とでも言おうか。そのドアの前に、私服姿のジギーが笑いながら立っていた。
糊の利いたグレーのシャツに黒のベストという落ち着いたファッションだが、平服というだけでいつもの謎めいた感じが薄れ、年相応の若々しさが見て取れた。変わらないのは、唇からのぞかせる完璧な歯並びと、腹に一物隠しているような油断ならない笑顔だけだ。
「準備は万端、といったところだな。休みはもらえたのか? 」
「快く、許していただきましたよ。友好的な話し合いの末にね」
ジギーは涼しい顔で言った。よく言う。どんなえげつない取引をしたのか、分かったもんじゃない。
「それじゃあ、善は急げだ。出発しよう。何をやってほしいかは、竜列車の中で話すよ」
竜列車の三等客室には、昨日と同じように冒険者がちらほらと見られた。私は、出来るだけ周りに人がいない席を探した。本職の冒険者の先を越して、抜け駆けで隠し部屋を見つける相談をしようというのだ。あまり他人に聞かれたくはない。
列車を曳く竜に近い、前寄りの席が空いていた。私たちは周りをうかがいながら、相談を始めた。
「まず、隠し部屋が存在すると考えた根拠からだ」
私はひそめた声で説明を始めた。
「と言っても、厳密に言えば『隠し部屋』ではないんだが……気づいたんだ。わざわざ『酒蔵』を隠し部屋に造るやつはいない。なのに、あるはずのない酒蔵が地図には記されている。
とすれば、こう考えられないだろうか? 酒蔵は、確かにある。隠されてもいない。ただ、我々がそれを見つけられないだけだ、と」
「意味が、よく分かりませんが……」
ジギーは怪訝そうな顔をした。
「つまりだ……石窟の住人たち、つまり『うちびと』には当たり前に見えていたことが、今の人間には見えなくなっているんじゃないか、ということだ。考えてみてくれ。『うちびと』の時代は普通だったことで、今は普通でなくなったものと言ったら、何だ? 」
ジギーは少し考え、やがて自分の両手を見た。契約紋がびっしりと刻まれた、黒い両手。
「……古代魔術、ですかね? 」
「ご名答。何らかの古代魔術を使った仕掛けが、石窟内にあるんじゃないかと私は睨んでいる。魔力に反応して動く仕掛け扉とか、そんなようなものだな」
「しかし……」
ジギーはまだ納得できない様子で首をひねった。
「ユーベル石窟は、もう何百人と言う冒険者の手によって調査しつくされているはずでしょう? いくら古代魔術の仕掛けが巧妙に隠されていても、今まで誰も気づかないなんてことがあるもんでしょうか? 」
「そう、それについても、私に考えがある――そろそろ着くな。それについては、向こうについてから話そう」
竜列車を降り、私たちは石窟に向かった。相変わらず、石窟の入口は封鎖されている。警備兵はまだ配置されていないようだが、昨日のような冒険者の人だかりはない。熱狂が覚めて冷静になったのか、隠れて侵入する機会をうかがっているのか。
「あ、あなたは……! 」
不意に、展示された魔神像の陰から声が飛んできた。見ると、ルビエ・ユーベル女史が、ホウキとチリトリを持って立っていた。
「あ、こりゃどうも」
私は帽子を取り、頭を下げた。ジギーも、私に倣って丁寧なお辞儀をする。
「ジギー、こちらがルビエ女史、ユーベル石窟の管理をされてる……しかし、大変そうですね。ご自分で園内の掃除を? 」
ルビエはちょっと赤面しながら、掃除用具を傍らに置いた。
「あの噂が流れてから、見学客も増えましたし、冒険者も……マナーの悪い人が多くて、困ってしまいます。
それより、ベキムさん、でしたか? 何度いらっしゃっても、石窟にお通しするわけにはまいりませんよ」
ルビエはつれなく言う。が、私は気にしない。どうせ、まだそちらには用がない。
「いや、結構です。今日はもっと別の目的で来ましたから……そうだ、ちょうど良かった。あなたも聞いていただけませんか、私の推測を? 」
「推測? 」
ルビエは眼鏡を直しながら聞き返した。
「噂話で迷惑してらっしゃるんでしょう? 無責任な噂を打ち消すには、本物の『隠し部屋』を見つけてしまうのが一番だと思いましてね」
「な……」
私の言葉に、ルビエは目を丸くし、急には返事も出来ないようだった。私は構わず、公園をぶらぶらと歩き始めた。




