表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ ブリング・バック ~
27/354

第6話(後)

 少しずつ、太陽苔の光が黄色を帯びてくる時刻。


 私は駅前の広場で、柱に寄り掛かりながら駅舎を眺めていた。帽子は深く下ろしている。あまり、人目につきたくない。

広場を挟んで向かい側には、ホームと繋がった新聞売りのスタンドが見える。売り子は若い男だ。ブルーの制服に、つばの広い麦わら帽子をかぶっている。


 ちょうど列車が降りてきたところで、ホームには続々と乗客が吐き出されていた。仕入れを終えてきた商店主や職人が多い。私は柱の陰に身をひそめた。少々時間が悪い。人がいなくなるのを待った方がいいだろう。ふと上を見上げると、遥かに上までそびえる竪穴の壁が、薄い靄の彼方に見えた。雨が近そうだ。


 人の波が街じゅうに散り、人影がまばらになったところで、私はさりげなく柱の影を出て、駅の方へ歩き出した。

歩きながら、考えを整理する。リディアはどこへ消えたのか? 別の大隧道や、空中市場に逃げた可能性も考えた。だが、依頼の内容を考えると、バークのいる第5大隧道をそんなに遠く離れるというのは予想しにくい。かといって、父親が仕切る組合(フッド)の影響力が強い第5大隧道に居たのでは、すぐに見つかってしまうだろう。また、敵対する組合(フッド)のことを考えれば、ボルゴが大掛かりな捜索を行わないことはリディアも読んでいるはずだ。勢力圏外の第6大隧道ではなおさらである。以上の理由から、私はリディアが第6大隧道に隠れていると山を張った。


 ホームから出ていく竜列車に目をやりながら、スタンドに寄ってカウンターへ硬貨を一枚投げる。第6大隧道の商業ギルドが発行している貨幣だ。朝のうちに両替しておいた。スタンドの店員は、無言で硬貨を受け取ると、焼いたばかりの新聞を一部丸めて、こちらに差し出した。


 その、細い手首を、白手袋をはめた私の手が掴んだ。


「……人違いだったら、失礼。どこかでお会いしましたか? 」


 言いながら、フェルト帽をゆっくりと取る。


「……! 」


 店員は息をのみ、麦わら帽子の下から私のあらわになった顔を見上げた。黒く、大きな瞳が、帽子のつばの陰から見えた。明らかに、女の目だった。


「あなた……ここに、何故……」


「おっと、ありがとう。その声で、確信が持てた。何しろ顔も分からないもんだから、頼みの綱は声だけでね。耳には自信があるんだ、私は。

確かに君は、リディア・ボルゴ――そう、呼んでいいのかな? あるいは、まだ仮名遊びを続けようか? 」


 店員――ミス・テアーことリディアは、唇を噛んでうつむいた。


「どうする? ここで立ち話もなんだから……どこか落ち着けるところで、ゆっくり話すとしようか。それとも、大声でも上げるかね? 大騒ぎして、人を集めたほうがいいと? 」


「思っていたより、ひどい人ですね」


小さいが、厳しい声でリディアは言った。私は肩をすくめた。


「年長者として忠告しておくがね、顔のいい男を信用しちゃダメだよ。で、どうするんだね? 」


「……裏に、宿舎があります。そこで……」


 リディアに案内された「宿舎」というのは、人1人が生活するのに必要最低限の家具や施設が整えられた、プレハブ小屋のような代物だった。彼女はここで、手金庫のカネを抱えたまま、たった1人で生活してきたのだ。見つからないはずだ。私にしてもボルゴにしても、金持ちの若い娘しか探していなかったのだから。


 リディアは帽子を取り、制服のエプロンを外してシャツとズボンだけの姿になっていた。帽子に押し込められていた長い黒髪が、汗で湿っていた。首から下は男装だ。服装はまるで違うのに、黙って座っている姿はおかしいほどにあの日のミス・テアーそのものだった。


「……どうして、私がここにいると? 」


「いろいろ考えたんだよ。人の立場に立ってね――まず、君のお父さんたちだったらどうするか。

君が家出したとして、まず探すのはどこだろう? 動かせる人数は限られているし、できるだけ人に気付かれずに済ませたい。そう思った時、一番優先して探すのはそりゃ、竜列車の駅だろう。あそこさえ見張っておけば、少なくとも別の階層へ逃げられるということはないからね。


 さて、にも関わらず、君は私の事務所を訪れた。竜列車に乗って、階層を越えて。どうやって見張りの目をかいくぐったか? 考えてみた。駅に入っていく人間は見ていても、元々駅にいた人間のことは見ていないんじゃないか、とね。

ここへは、どうやって? 」


「このスタンドをやってる人が、白髪のおじいさんなんですけど、顔見知りで……今は第3大隧道まで旅行に行ってます。あっちの教会にお参りしたいって、いつも言ってましたから。家を出る前から、留守番と店番をする約束をしておいたんです。

 ……あの人は、何も知りません。私が勝手に考えたことです」


 リディアは思い出したようにそう付け加えた。私は静かに頷いた。私にとっては、どちらでもいいことだ。


「これから、どうするつもりだったんだい? いつまでもこのスタンドで新聞を売ってるわけにもいかないだろうに」


「……分かりません」


リディアはぽつりと言った。


「バークには会いたかったけれど……あなたからの報告で、バークには、やらなければいけないことがあると分かりました。何だかは分からないけれど、彼がやらなければいけないというなら、やらせてあげたかったんです。あなたが仕事を続けるということは、彼の邪魔をつづけるということになってしまった。だから、手を引いてもらおうと思って――」


「ま、分からなくはないがね」


私は不承不承そう言った。


「それにしたって……君、本当に、何もしないでただ待ってるつもりだったのか? 」


 リディアはこっくりと頷いた。大きな目の縁にうっすらと涙が浮かんでいた。が、その瞳に宿る輝きは、堅く、確かなものだった。私は思わず目をそらした。若い女性というものは、どうにも始末に負えない。


「それで、私の名前を知っているということは、父に――本当の父に、お会いになったんでしょう? 私を連れていくつもり? 」


 リディアの声が尖り始める。あまりよくない兆候だ。私はゆっくりと首を振った。


「私は別に、バルナバス・ボルゴのために動いているわけではない。強いて言えば、私は私のために動いているといったところかな。それが、ほんのちょっとだけ、君やバークのためにもなるかもしれない。まだ、分からないが」


「バークの!? 彼が、どうしたんです? 」


 話がバークのことになった途端、リディアの声は1オクターブほども高くなった。ますます、よくない兆候だ。私は慌てて手を振った。


「ま、落ち着いて……私は彼の『やらなければいけないこと』について、ちょっとした仮説を立てた。その仮説が正しければ、近々、そう、明日にでも彼は現れる。ある人物を、殺しにね」


 リディアは息をのんだ。膝に置かれた小さな手が、小刻みに震えている。まだ、ほんの子供なのだということが否応なしに思い出された。少々憂鬱な気分になりながらも、自分を励まして先を続ける。


「もちろん、私の推理が正しいとは限らない。だが、人の命に関わることだからな。君には、その現場にいてほしいんだ。彼が罪を犯すのを止めるために。君になら、それが出来るんじゃないかと思う」


 しばらく沈黙が流れた。壁に一つだけ開いた窓から、竜列車の騒音が流れ込んできた。また、新しい列車がホームに入ってきたのだろう。乗客の足音、話し声、運転手が竜を鞭打つ音――雑多な音が、私たちの間の気まずい空気を無関心に揺らした。


「……本当に、そう信じてらっしゃるんですか? 」


 長い間の後、震え声でリディアはそう聞いた。私は黙っていた。


「本当に、私の言う事なんかを彼が聞くと? 私に何も告げずに、黙っていなくなった、彼が……今さら私なんかの言葉を、聞くんでしょうか? 」


「私には、何とも言えない。励ましの、調子がいいだけで何の担保もない言葉なんて、今さら君も聞きたくないだろう」


私はゆっくりと、言葉を紡いでいった。喋りながらも、自分が大馬鹿者になったような気分は去らなかった。


「だが、試しもしないで諦めるというわけにはいかない。少なくとも、私は、そういう性分なんだ。

君が行きたくないと言うのなら、縄をかけてでも引っ張っていく。バークを説得するのが嫌だと言うなら、君に刃物でも突きつけて、奴を脅迫してやってもいい。もう、賽は投げられたんだ。耳を塞いでみたって始まらない――どうせなら、行動してみた方がいいんじゃないか? 」


 終わりの方は、自分に向かって喋っていた。自分の心に鞭打って、動かそうとしていた。

肝心のリディアの方は、あまり心動かされたようにも見えなかった。が、やがて諦めたように小さく首を振り、立ち上がった。


「行きます。元々私たちの問題なのだから、決着をつけるなら、私たち自身の手でなくちゃ……」


 言葉の終わりはかすれて消えた。私は何か裏切りでも働いているかのようなうしろめたさを覚えながら帽子をかぶった。リディアの、思いつめた瞳から逃れるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ