第7話(1)
その朝、太陽苔の光は弱かった。
風の中に、湿った匂いがした。やはり雨が近いのだろう。私は高いレンガ壁に寄り掛かり、道行く人々を眺めるともなく眺めていた。
まだ朝靄が晴れきってはおらず、背中に感じる壁面も少し冷たい。教会の鐘がくぐもった音で鳴っている。その音に、傍らのリディアはびくんと肩を震わせた。つばの広い麦わら帽子に、私の貸したジャケットを羽織っている。昨日と同じく男装だ。
私たちは、第5大隧道の地区教会に来ていた。マフィの下調べで、教会は高いレンガ塀で囲まれていること、入口は駅側と反対側に1か所ずつ、計2か所あるということが分かっていた。
「説教は、教会堂じゃなく中庭でやるんだと」
昨晩、宿屋での打ち合わせで、マフィはそう言った。
リディアを連れているので、酒場や喫茶店へ出るわけにはいかず、結局私の部屋に3人が集まることになった。マフィはベッドに腰掛け、大仕事の前とは思えないほど呑気な様子であくび交じりに続けた。
「普段は教会に来ない連中にも、放送魔導機械で説教を届けるためなんだと。よくやるよなァ。脅迫もどこ吹く風だ。教会の私兵とかが慌ただしく動いてるし、説教中は門を閉じるとも言うから、一応警戒はしてるらしいんだけどね」
「屋外か……何を仕掛けて来るにしても、対処が面倒だな。中庭ってのは、どこにある? 」
「そうさね……この机が、教会の敷地だとするだろ? 」
マフィはベッドの脇にあった小さな書き物机を引っぱってきた。
「あんたの方が駅だとすると、教会の塔がここ」
マフィは指さした場所に、読書用のランプを置いた。
「教会は四方をぐるっと高い壁で囲われてて、ちょうどあんたの側とあたしの側に出入り口が開いてる。あんたの側――駅側から行くと、そのまままっすぐ教会の建物に辿りつく。中庭はその向こうだ。そっち側からだと、教会の中を通り抜けなきゃ行けない。逆に、あたし側の入口から入れば直接中庭だ。
ただし、中庭側は警備が相当厳しくなってるよ。誰かさんが余計な脅しをかけたせいでさあ」
「つまり、2か所の入り口を押さえれば、人の流れは完全に把握できるわけか」
私はむくれるマフィに取り合わず、話を進めた。
「と言っても、人手は限られている。おまけに私はこの顔だ。警備の厚い中庭側に回ったら、確実に面倒なことになるだろう」
「だから、あたしに回れってんだろ」
マフィは肩をすくめた。
「調べてるうちに、予想はついてたよ。別にいいけど」
「出来たら、壁の裏側に控えていてほしい。説教が始まる前にバークを見つけ出すのがベストだが、そう上手くいくとも思えん。私も何とか駅側入り口から潜り込んでみるが、多少時間がかかるだろう。その間、お前さんに説教壇を見張ってほしい」
「……あたしは、上手くいこうがどうしようが、カネ貰ってるからいいんだけどさ。だいたい、こんな仕事をたった2人でやろうってのがムチャなんだよ……おっと失礼、今は『3人』だったかい? 」
マフィは、部屋の隅で黙ったままのリディアに一瞥を投げた。身をすくめるリディアを見て、マフィは鼻を鳴らした。
「何でもいいけど……その子はどうすんのさ? どっちに行かせる? 」
「出来れば、中庭側でバークを探してほしいんだが……中庭には参拝客も多い。中に知った顔がいたら、これまた面倒だ。何より、怖いお姉さんに連れまわされるのは彼女も嫌だろう」
「あんた、あたしに手伝ってほしいの、ほしくないの? 」
マフィが声を荒らげる。両手に花の気分――と言えば聞こえはいいが、実の所厄介なペットを2匹世話しているようなものだ。片方が片方に噛みつくのを止めようとして、自分が手ひどく噛まれている。
「とにかく、彼女はギリギリまで私と一緒に駅側で見張りながら待つ。説教が始まる間際になったら、中庭で合流して、参列客の中からバークを探そう。写真の複写も渡すから」
「アイ、アイ。ボスはあんただ。好きに命令してくれよ……それにしても、なんか、穴だらけの計画って感じしかしねえなァ」
マフィは言いながら、ベッドに倒れ込んだ。
「出来ることをやるだけさ」
私も彼女の意見に賛成したいところだったが、そういうわけにもいかない。不安げな目で私を見つめているリディアのことを考えても。
「あと、細かい問題だ……何かあって、お互いに連絡を取り合いたい場合、どうする? 何か合図になるものがあればいいんだが……」
「そんなら、もう考えてある」
マフィは寝転がったまま、コートの内側から筒状のものを取り出し、投げてよこした。
「魔導信号弾だ。炎の魔術が詰めてある。広告用魔導灯と同じやつがね。ヒモを引くと、七色の炎が高く上がって、なかなかキレイだよ。あたしも一本持っとく。何かあったら、こいつを上げるってことで」
「さすが故買屋マフィ、用意がいい」
私はジャケットのポケットに、信号弾の筒をしまった。ポケットが膨れて見てくれはあまり良くないが、この際贅沢は言っていられない。
「じゃ、そういうことで、今日は寝ようぜ。あ、その子はどうするんだ? 」
言われて私はハッとした。リディアの寝床までは気が回っていなかった。
思わずマフィの顔に目をやり――渋い顔をしているのを確認する。マフィは亜人であることにコンプレックスを抱いており、猿人特有の体毛に覆われた手足を晒すのをひどく嫌っている。同じ部屋で、よりによって純粋人類の娘に寝姿を晒すなど、考えただけでもゾッとするところだろう。
かといって、私の部屋で眠らせるというのも、倫理上マズい。いや、私は椅子で寝るのもやぶさかではないのだが。
「……分かった、もう一部屋取れないか、ロビーで聞いてくるよ」
「それがいい、それがいい。間違っても、ヘンな気起こすんじゃねえぞ。なんか良からぬことを考えそうになったら鏡を見ろ。見て、そんなこと考えられるツラかどうかもういっぺん良く自問するんだ」
マフィは真面目な顔でそんなことを言う。私はふてくされながらロビーへ降りた。
奇跡的に――そして、残念なことに、ちょうど急なチェックアウトがあって、部屋は空いていた。良くないことは続くと言うが、これは悪い前兆なのか、それとも、部屋が取れたから良い前兆なのか――私はそんな、どっちでもいいことを考えた。
ボウボウと、遠くで巨人が吠えているような声が聞こえた。音響効果担当の専属風魔導士が、風力増音魔導機を調節しているらしい。声を魔力で増幅し、風の魔術で遠くまで飛ばす設備だ。説教のリハーサルをやっているらしい。きれぎれに、言葉の断片が耳元まで飛んでくる。
「深層の、人ならざる者たちにも、聖ジェマイアスの慈悲は届き……今日の説教は、この階層に生きるすべての者に向けて放送され……歪んだ魔神信仰から、亜人を救い上げることもまた、我ら純粋人類の定めと理解すべき……」
半分騒音、半分人の声として流れてくる演説を聞くともなしに聞いていると、私の心の中に何やらごつごつとした感情が湧き上がってきた。
人というものは、善意の名のもとにこうも厚顔になれるものなのか。教会に入れぬもの、純粋人類と並ぶことの出来ぬものにも説教の声を届けて、彼らはそれを恩恵だと言う。そもそもその垣根を設けたのが、自分たちだと言う事も忘れて……私はこめかみのあたりを指で叩いた。よくない。余裕がなくなってきている。仕事以外のことに気を取られるようでは、この先思いやられる――
「怒りを、覚えるのだな、同胞」
なめらかな声が、喧騒を破って私の鼓膜を突き刺した。私は振り向いた。かすかに揺れ続ける、霞のような独特のシルエット――片目の導師、ジャムフがそこに居た。




