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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ ブリング・バック ~
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第2話(3)

「……何だ、おい、なんでまた急に……」


 私は周囲を見回した。誰も何も言わない。人ひとりが殺されかかっているというのに、この展開に何の驚きも違和感もないようだ。ジャムフはやれやれといった顔つきで笑っている。


 まごまごしているうちに、バークが飛び出しナイフを腰の高さで構え、飛びかかってきた。

どうする――私はとっさに考えた。バークは喧嘩馴れしているようだが、体格は並というところだし、得物も小さな飛び出しナイフだ。闘うとなったら、やってやれないこともない。周りの連中も壁際まで下がっている。手出しする気はないようだ。ならば――私は相手のナイフが届く前に、その手を蹴り上げようとした。


 その一瞬前に、ナイフの刃の輝きに違和感を覚え、飛びのく。


 浅かった。横っ飛びした私の脇腹を、ナイフの刃がえぐった。マメのつるか何かのように、曲がりくねって伸びた白い刃が。私は倒れ込みそうになるところを、床に手を突いて何とか持ちこたえた。刃はスルスルと元の形に戻る。

 私は傷口を押さえた。傷は浅い。しかし、あれは何だ? 何らかの魔導武器であることは確かだ。大地の魔力で、金属の形を変えているのか? いや、金属ではあんな速度と柔軟性を発揮できるわけがない。分からないうちに、次の一撃が来た。


 順手に持って上から振り下ろす一閃だ。普通のナイフならまず届かない。だが、振り下ろされるに従って刃の形が歪み、伸び、うねりながら迫ってくる。

避けるか? いや、軌道が読めない。ならば……私は横に跳び、テーブルを蹴倒した。私の腿に食い込もうとした斬撃は、横倒しになった丸テーブルに遮られた。


 テーブルを盾がわりに、私はバークと睨みあった。だんだんコツが掴めてきた。腕の動きがカギだ。あの振り回し方は、ナイフというより鞭だ。そういう間合いと立ち回りを意識すれば、多少は敵の出方が予測できる。

だが、遠い間合いでやりあっているうちは、こちらからの攻撃は届かない。せめて何か無機物があれば、左手の契約印で「撃ち出す」魔術が使えるのだが。テーブルは木製、床も板張りだ。砂を飛ばすくらいは出来るかもしれないが。

目につく大きな無機物といったら部屋の隅にある鉄製のコート掛けだが、今の私の位置からは遠い。


 バークも攻めあぐねている様子だった。テーブルを回り込もうとすれば、距離のアドバンテージを失う。無理にテーブルを切り裂くほどの突破力は、あの武器にはないのだろう。構えた刃の先が揺れている――揺れている? 私はふと思い当って、テーブルの傷痕を確かめた。思った通りだった。これなら、なんとかなるかもしれない。

 私はテーブルの陰で体を屈めた。顔だけ出して、コート掛けの位置を確かめ、そこまでのルートを計算する。うまくやれるだろうか? とにかく、あれがナイフではなく鞭だと考えることだ。顔をめがけて刃が飛んできたのを機に、私はテーブルの陰から飛び出し、低い姿勢で駆けだした。


 バークも私を追う。刃が背中すれすれを横切る。私は前転で刃をかわし、その勢いで床を強く打った。大地の魔力が左手から伝わる。充分に広がったのを確認し、私は引鉄を引いた。

 ばしッ、という音がして、床の上の土埃が舞い上がる。迫っていた刃が、土でできた雲に遮られて止まる。「撃ち出す」魔術の応用編、土埃の弾幕壁だ。大地の魔力と、相手の使う魔導武器の魔力が反発しあうため、砂埃程度でも障壁になる。無論、長くはもたないが。


「悪あがきを、しやがって……」


 バークは舌打ちしながら、ナイフを振り回した。時間が経つにつれ砂にこもった魔力の残滓は薄れ、ただの砂になって吹き散らされていく。私は適当に床を叩いて壁を補いつつ、低い姿勢を保ったまま必死に走った。大回りに円を描きながら、目指すのは部屋の隅のコート掛けだ。


「バーク、大地の魔術だ。金属も飛ばせるぞ、彼は」


 スポーツの応援でもするような、明るい声が響く。ジャムフだ。空いたテーブルの上に腰かけて、笑っている。自分で手出しする気はないようだが、何のつもりだ? いや、考えているヒマはない。今の助言で、バークも私がコート掛けを狙っていることに気付いたようだ。


「させるかよ……待て、この! 」


 苛立ちのこもった叫び声とともに、バークが刃を振りぬく。ジャケットの裾が切れた。ただでさえ飛んだり跳ねたりで汚れてしまったというのに、ひどい奴だ。だが、これなら間に合いそうだ。

刃の色を見て、私は賭けに出ることにした。


 大きく踏み込んで、コート掛け目がけ跳ぶ。跳んだ背中を狙って、バークは一際大きくナイフを振りかぶり、切りつけた。刃が伸びる。確実に、私の背中に食い込むだろう。いや、食い込んだだろう。最初の刃だったら。

 刃の伸びは、私の体よりだいぶ手前で止まった。

私は無傷でコート掛けに飛びつき、向き直ると、コート掛けの尖った先端をバークに向けた。


「さっきの話は聞いてたな。ナイフを捨てて、手を挙げろ。他の連中も動くな」


 バークは、怒るとか屈辱だとかではなく、ただ驚きを顔に浮かべてナイフを見つめていた。刃が、薄く土色に濁っている。土埃が溶け込んだせいだ。


 あれは水の魔導武器だったのだ。刃が変形して襲ってくるのではなく、液体を水の魔力で硬化させ、攻撃させる際には硬化を弱めて柔軟性を与える。テーブルの切り口が湿っていたのを見て、私はその構造と攻略法に気付いた。柔軟性が戻るということは、魔力が薄れて元の水に近づくということでもある。だからこそ、切り口に水気が残るし、空気中の土を溶かしこんでしまいもする。土が混ざれば水は泥に近づき、粘性を持つし、水の魔力も充分に働かなくなるというわけだ。


「ゆっくり動いて、道を空けてくれ。ひとまず、私はもう帰らせてもらう。なかなか悪くないパーティだったが、殺すの殺さないのって話は嫌いなんだ。それに、依頼人が待っているんでね」


 私はコート掛けを両手で持って凄んだ。はたから見ればかなり間抜けな光景だろうとは思ったが、背に腹は代えられない。ともかく、なんとか無事に帰れそうだ。


「それは、いけないぞ、同胞(はらから)


 静かな声がした。ジャムフだ。と同時に、握っていた鉄のコート掛けが恐ろしい力で手からもぎ取られた。人の背丈ほどもある鉄のコート掛けが、張りぼてのようにクルクルと飛び、ジャムフの持つ錫杖に音を立てて引っついた。

 一拍後、私より先にバークが我に返って、声を上げながらナイフを振り下ろした。今度は前より近くからの斬撃だ。これは当たる――そう思った瞬間、中空で刃が消えた。ジュッという、軽い音とともに。


「それも、よくないぞ、同胞(はらから)バーク。殺してはならないと言ったろう? 」


 ジャムフは子供に言い聞かせるような口調で言った。その左手の先には、赤い光が煌々と灯っている。右手で握った錫杖には、まだコート掛けが引っついたままだ。

 私は全身の鱗が氷に変わったような気がした。鉄のコート掛けを奪ったのは、大地の魔術が生み出した磁力だ。そして今、水の刃を一瞬で蒸発させたのは、まぎれもなく炎の魔術。異なる種類の魔力は干渉しあい打ち消しあうというのに、それを高い水準で同時に扱う――例えるなら、フルコースを乗せた大理石のテーブル2つでお手玉をして、スープの一滴もこぼさないというレベルだ。


「恐れるか、同胞(はらから)


 私の顔をまじまじと見ながら、ジャムフは言った。


「恐れるのは、いい。恐れるべきものは恐れなさい。例えば、この、片目のジャムフ。例えば、我々の神。恐ろしいものに、よく知らぬまま首を突っ込むのはよくない。同胞(はらから)バークのことは、忘れなさい。それが出来るかな? 」


 ジャムフは笑みを消して、その、ただ一つの目で私の目を覗きこんだ。とてつもなく深い色をした目だった。大竪穴の底にも似た暗さだ。

私は跳ね除けたかった。「バカを言うな」と怒鳴ってやりたかった。探偵の誇りだの、そういう歯の浮くようなことをまくしたててやりたかった。


 どれも、出来なかった。


 私は蛇に睨まれた蛙同然だった。


「返事も出来ぬか。だが、最初から返事は期待していない」


 ジャムフは再び、にやりと笑った。


「どのみち我々は、口約束など求めていないのでな。警告は骨身に沁みねば意味がない――君には気の毒に思うが、しかし、バークのためだ。新しい友人を得たいがために、古い友人をないがしろにしてはならない。そういうものだよ。

すまない。今度会うときには……そう、今度生きて会ったなら、友人になろう」


 言いおわりニコリと笑うと、ジャムフはテーブルから降り、周囲に向かって左手を振った。


「出来る限り、殺さずに『警告』したまえ。同胞(はらから)であることに、変わりはないのだからな」


 それを合図に、壁際に立っていた連中がゆらりと動き出し、私に向かい迫ってきた。手に椅子を持つ者、酒瓶を握る者、懐からナイフを取り出す者――やれやれ、と私は思った。早く済んでしまえばいいのに、と思った。殺さないようにやってくれるらしいのが、唯一の救いだった。


 それでも、悪あがきはしたかった。

私はまず、刃の消滅したナイフを手に呆然としているバークを目がけ、飛びかかった。不意を突かれて、バークはなすがままに押し倒された。粋なスーツのえりをとらえ、私は上から圧し掛かった。えりを強く掴んだ右手で、彼の体を床にぐいぐいと押し付ける。ジャケットを傷つけられたことの、ささやかな仕返しだった。


 だが、そこまでだった。意識が押し出されるような衝撃が後頭部を襲った。

最後に私が見たものは、武器を手に迫りくる『うちびと』の群れと、その先頭に立ち、壊れた樽を持った猿人のバーテンだった。あの椅子代わりの樽が、私の頭にぶつかったのだ。席が足りなくなるぞ――そんな考えが、痛みと怒号の嵐の中に溶けていき、私は意識を失った。

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