第2話(2)
私はさりげなく、建物の陰に隠れた。
歩いてくるのは2人連れだった。粋なスーツを着こなす若い男と、何だかぼやけた輪郭の、背の高い男――私は目を凝らした。どうやら、長いコートを着ているらしい。コートの生地は、細長く裂いたぼろきれをつなぎ合わせたような奇妙な代物だ。顔はひだ状になったコートのえりとぼさぼさの長髪で隠れている。
右手には、異様な形の長い錫杖。光が足りなくてよく見えないが、形からして深層から出土した『うちびと』の魔導遺物らしい。
「……それは、外せ。我々と一緒にいる時はな」
コートの男が、若者のスーツのえりを指さしながら声をかけた。
「これだけは、ダメだ。俺の誇りなんだ」
若い男は、小さいがはっきりとした声で言った。その瞬間、表通りから差す魔導灯の光が男の横顔に当たった。暗がりに浮かび上がったその顔を見て私は息をのんだ。
写真の顔。バーク・ビルボニーだった。
「なら、せめて見えないようにしておけ。我々と関わりがあるという噂が立ったら、彼らにとっても都合が悪いだろう? 」
コートの方にそう言われ、若い男はしばらくためらっていたが、やがてえりに手を伸ばし、付いていたバッジを外すと裏返しにして留めなおした。
暗がりに隠れたまま、私は2人が『眠る蛇』に向かうのを見守った。
長身のコート男が先に立ち、地下への扉を叩く。扉に向かって身をかがめ、何か言葉を小声でつぶやくと、黒いドアは静かに開いた。ドアの向こうに吸い込まれていく2人を見ながら、私は考えた。ひとまず、バーク・ビルボニーが『眠る蛇』の連中と、つまりはメイユレグとつるんでいることは確認できた。これはひとまず大きな成果だ。今日はここまでにして、ストリップ小屋でも覗いて帰るべきか? それももったいないような気がする。建物の壁によりかかり、あれこれ思案をしていた、その時だった。
肩に、熱い手が触れた。
弾かれたように飛びのき、振り向くと、路地にコートの男が立っていた。居た、と言うより、在ったというような――まるで看板や建物の一部であるかのような無造作さで、そこに在った。
「やあ、同胞」
思ったより若々しい声で、男は言った。口の端には謎めいた笑みが浮かんでいる。正面から見ると、垂らした髪の間から痩せた顔が見える。左目を、つぎだらけのぼろきれで覆っている。
私は後ずさりながら、相手の出方をうかがった。いつの間に後ろに? いや、そんなことより、こいつは何をするつもりだ? 私のことを、どこまで知っている?
「連れに、興味があるのだね、同胞」
躊躇っていると、相手の方から軽い調子で核心を突いてきた。
「……何のことだか、分からないが」
「こちらは、分かっているのだ、同胞」
相手の笑みが深まった。大きな口が三日月のようだ。
「ずっと、分かっていた。居ることはな。同胞は、判る。そういう力がある」
言葉とともに、錫杖の先端が鈍く輝きだした。見たことのない魔導技術だ。太古の『うちびと』が使っていたものだろうか?
「同胞、同胞って……いったい何のことを言ってるのか……」
「世界の真なる姿に近しきもの――その、姿を持って生まれたものだ」
光る錫杖で、男は私の胸元を指した。
「真の世界……やっぱり、メ=イユル=イェグ、か? 」
「我々の言葉を知っているなら、話は早い」
男は光る杖を突きつけたまま、一歩踏み出した。
「どうだ、同胞。入って、話でもしないか? 友人たちも、お前のことを知りたがっているのでな」
私は後ずさりながら、素早く計算を巡らせた。目の前にいるのは確実にヤバい相手だ。その相手の懐へ飛び込むなど、本当だったら何としても避けたい。しかし……視界の端に見える、大通りへの道は一本道だ。隠れる場所もない。逃げようにも、何らかの魔術を撃たれたら避けようがない。
私は左手の契約紋を意識した。大地の魔神、ゲム=リガゲメトとの契約のしるしだ。無機物を銃弾のように射出する魔術が使える。だが……路上の土くれをぶつけたところで、ひるむ相手だろうか? 落ち着いた底知れぬ物腰と、離れていてもひしひしと伝わる魔力の強大さを考慮すると、その可能性は低そうだった。
そして今、目の前に突き付けられている錫杖の光は――はっきりと分かる。何か、とびきりにヤバいやつだ。私に選択権は無かった。
「……出来る限り、手短にお願いしたいね。もうそろそろ帰って寝る時間なんだ」
男は軽口には取り合わず、ただ杖で、階段を降りるよう促した。
黒い扉は開いていた。私は背中に突き付けられた錫杖の圧力を感じつつ、ゆっくりとドアを押した。壁が黒いせいで中も薄暗いのかと予想していたが、入ってみると大きなランプが天井から吊られていて、人の顔も区別がつかぬほどの暗闇ではなかった。
おかげで、テーブル席に居並ぶ者たちの顔がよく見えた――純粋人類も幾人かいるが、ほとんどは異形の『うちびと』たちだ。木箱に板を渡して作った粗末なカウンターの向こうには、猿人のバーテンが仏頂面でグラスを磨いている。こげ茶の体毛にくろがね色の顔をした、かなり猿の割合が高い種の猿人だ。
そのカウンターに向かい、古ぼけた樽を椅子代わりに、バーク・ビルボニーが不安げな面持ちで座っていた。
「同胞バーク、彼が、君を尾けまわしていた者だ。見覚えは? 」
コートの男が、私を指さしながら言う。その言葉が合図だったかのように、テーブルについていた客が2、3人、私の傍に集まる。手は触れてこないが、明らかに牽制する動きだ。退路を断たれ、私は仕方なく、こちらを見つめてくるバークの瞳とまともに向かい合った。
「……知らねえ。親父の手先にもいねえよ、こんな顔のヤツは……」
最後の言葉を口にした後、バークはしまったという表情で口をつぐみ、あたりを見回した。周囲の客たちは無言だった。が、全員の目は、バークの青ざめた顔に向いていた。猿人のバーテンの黒目がちな目も、鳥人の丸く大きな目も、その他の、形も色もとりどりな目も――コートの男が錫杖で床を叩き、なだめるような声音で言う。
「まあ、まあ。同胞バークはまだ我らの友人となってから日が浅い。不用意な発言を一つひとつあげつらうのはよそう。重要なのは、彼と、この蜥蜴人種の男との関係だ。本当に、何も知らないのかね? 」
「知らねえ……疑ってるのか、導師ジャムフ? なんだったら、今ここでそいつを殺って、それを『証』にするってのはどうだ? 」
私は思わずぎくりとした。が、ジャムフと呼ばれたコートの男は鷹揚に手を振った。
「それはいかん。君には、ちゃんとしかるべき『証立て』の場を用意してある。まあ待ちたまえ。
彼を殺しても、何にもならぬ。我らが教義に沿うことではないし、第一彼は同胞ではないか」
そう言ってジャムフは笑った。さすがに私もしびれが切れてきた。こう、本人を前にして殺すの殺さないのと勝手に相談されては、たまったものではない。
「さっきから、何だ? 教義だの、証だのって……内輪でしか分からない言葉で喋って、私を仲間外れにして遊ぶ気なのか? 」
「これは失礼した、同胞よ」
ジャムフは片目を笑みに歪めながら、おどけたような声で言った。
「だが、もう薄々分かってきているのではないかね? この、酒場に集まった者たちの容姿を見れば――」
「さてね、大竪穴一のハンサムでも決めようって会かな? それなら、私が連れ込まれた訳も分かるってもんだが」
ジャムフは、意外にも、声を上げて笑った。
「いやはや、口の減らない人だ。だが、そう的外れでもない。我々が、この容貌を賛美しているのは確かだからな。
我々はメイユレグ。その教義は雑種主義。多様性による統一。誰もが誰もにとって少しずつ異形であれば、それは異形ではありえない。ゆえに我らは交わるを善しとする。ゆえに我らは純血を憎む」
言われてみれば、酒場の客には単なる『うちびと』だけでなく、混血種もちらほらいる。肩から腕にかけては鱗が生え、手の先には羽毛が生えている鳥人だの、純粋人類の血が入っていると思われる猿人だの。
「我々の教義は、別に秘密ではない。しかるに、君の目的は、秘密かな? 同胞。我々としても手荒な真似はしたくないが、友人は守らなくてはならない。なぜ、同胞バークを尾けまわすのか……教えてはもらえないかな? 」
私は迷った。しらばっくれてみるべきか? いや、無理だろう。ジャムフと呼ばれる片目の男は、その程度でごまかされるようなタマとも思えない。何より私の上着のポケットには、ミス・テアーから受け取ったバーク・ビルボニーの写真の複写が入っているのだ。身体検査でもされたらすぐバレる。ここは、ある程度正直に言ったほうがいいだろう。
「……実は、あんたを探していたんだ、バーク・ビルボニー。私は探偵でね――あんた、唐突に家を出て姿をくらましたろ。捜索の依頼を受けたんだ。依頼人の名前は言えないが……」
バークは、最後まで聞かずに立ち上がった。
「おい」
切羽詰まった、それでいて妙に静かな声でバークは言った。私はその顔をまじまじと見た。が、どうやらバークの言葉は、私ではなくジャムフの方に向けられていたらしい。
「やっぱり、こいつをそのまま帰すわけにはいかねぇ――メイユレグとしてじゃなく、俺の問題としてだ。こればっかりは、あんたにも……あんたらにも、口を挟ませねえからな」
ジャムフは肩をすくめた。
「殺しては、ならない。彼は同胞だ。警告に留めなさい。出来るなら」
あっけにとられる私の目の前で、バーク・ビルボニーは、青ざめた顔でゆっくりと飛び出しナイフを取り出した。




