第2話(1)
教授に別れを告げてから、私はしばらく第6大隧道の情報屋や顔なじみの元を回り、情報を集めた。
結果はほとんど空振りだった。バーク・ビルボニーの名を知る者は誰もいなかった。メイユレグの方は、そういう教団があるらしいという話くらいは2、3件聞けたが、それだけだった。
また、ミス・テアーのこともそれとなく調べてみたが、ここ最近で大金を持った女が第6大隧道に居ついたという話はまるで聞かれなかった。まあ、彼女も自分の居所を宣伝して歩くような真似をするほどバカではないだろう。結局、第5大隧道での調査に賭けるしかないということか。
竜列車に乗り、靴の泥はねを気にしているうちに第5大隧道に着いた。太陽苔の光は消えていた――多分消えているのだろう。そのくらいの時刻だ。が、大隧道の入口を照らす魔導灯が明るすぎて、時間の感覚がおかしくなってくる。
魔導灯は、炎の魔法で燃え続けるランプである。魔導具である芯に一度魔力を注ぎ込めば一晩中燃え続ける。普通はガラス製の丸いほやが付いているが、第5大隧道には店の看板として大掛かりなものも使われている。中には絵や文字の形になったガラス管を使っているものもあり、中で燃えている炎の色もさまざまである。炎の魔導士の中には、第5大隧道でランプ屋として身を立てている者もいるくらいだ。
駅のホームに降り立つなり、数人の子供が私を取り囲み、袖口を掴もうとしてきた。宿や酒場の客引きだ。
中の1人が私のジャケットの裾にしがみつき、あいまいな笑みを送ってきた。際どいワンピースのドレスを着ているが、まだ十代の前半というところだろう。ぴったりした服から見える体の線がかえって痛々しい。少女は私の顔を覗きこみ、ぎゃっと言って飛びのいた。つられて、周りの子供たちも後ずさる。
「おいおい、そう怖がるなよ」
私は帽子を上げながら笑った。
「かじったりはしないよ――ひと口くらいしか」
冗談のつもりで歯をむいて見せると、子供たちはワァッと叫んで蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまった。周りの乗客が、いぶかしげな目で私を見ている。またやってしまった。私は帽子を深く下ろすと、魔導灯輝く大通りへと歩き出した。
駅前大通りは、騒がしい客引きと早くも酔いの回った客たちでごった返していた。
半分がたは『そとびと』の観光客だ。間に混じる、汚れた服と傷だらけの顔をしている連中は、あぶく銭を掴んだ冒険者たちだろう。人波に混じって、明らかな異形の者たちも何人か見える。猿人に地底小人、矮鬼人、鳥人など、『うちびと』の血を引く者たちだ。みな一様に、何か後ろめたそうに、顔を伏せて歩いている。無理もない。『そとびと』は異形のものを「亜人」として忌み嫌う。『そとびと』が大手を振って歩いている第5大隧道では、我々のような異形は生きづらいのだ。
私もともすれば小股になりがちなところを、強いて心を励まし、大股に進む。
人垣をすり抜けて、駅前の立ち飲み屋へ入る。ドアすらない開けっぴろげの構えで、ただ屋根とカウンターがあるだけだ。カウンターの向こうでは煮売りの鍋が湯気を立てている。何かの臓物だろう。私は客の顔を素早く見渡し、隅っこで肘をついている一際みすぼらしい小男の方へ歩み寄っていった。
男は、近づいた私にけだるそうな視線を送った。帽子の下の顔にも、頓着していない様子だった。泥のように濁った両の瞳は、長年の暴飲と荒れた生活を想像させた。
「やあ、呑んでるかい? 」
私は明るく声をかけた。男は目の奥でずるそうな光を瞬かせた。
「呑ませて、くれるかい? 」
「まあ、近づきのしるしに一杯。私は下の階層から来たばかりなんだ」
聞くやいなや、小男はカウンターを拳で叩いた。
「おやじ! ファイア・スターター! 」
ヤカンのように禿げた立ち飲み屋のおやじは、泥棒でも見るような目でこちらを見たが、やがてしぶしぶといった様子で2杯のグラスをカウンターに置いた。私は引き換えに、バザール紙幣をカウンターに置いた。この手の酒場では、一杯ごとの勘定が普通だ。
小男は来たグラスを両手で抱えるように持ち、琥珀色の液体を舐めはじめた。「ファイア・スターター」は大竪穴で最もポピュラーなウィスキーである。蒸留に炎の魔術を使うことからその名がついており、ビンにも杖を持った魔導士があしらわれている。
「で、だ。仲良くなったよしみで、ひとつ尋ねてもいいかね? 」
小男は目だけ動かしてこちらを見た。私はそれを肯定の返事と受け取り、続ける。
「来たばかりで、どこで呑んでいいやら分からないんだ。ちょっと場所を聞きたいんだが――」
小男はにやりと笑った。
「いいよ、言いなよ。口、利いてやるからさ」
私はうなずいた。
この男は「口利き屋」だ。駅近くの酒場や人だまりをうろついて、来たばかりの観光客やゆきずりの客に、呑み屋や売春宿などを紹介し、客からのチップと店からの紹介料で食いつないでいる。ピンキリはあるが、一見では入れてもらえないような店に口を利いてもらえる場合もあり、なかなか侮れない情報源なのだ。
「友達から評判を聞いたんだが……『眠る蛇』ってのは、どこにあるんだい? 」
その名を聞いて、口利き屋の男の顔が曇った。
「『眠る蛇』……あれ、ダメだよ。あすこはダメ」
男は首を振りながらしきりに言った。
「あそこ、まともな人のいく場所じゃない。顔見知りじゃないと入れないしね。俺も、口、利けない。誰も利けない。あいつらの、仲間だけね」
「あいつらって? 」
私の問いに、口利き屋の男は顔をしかめ、いかにも汚らわしいと言う風に言った。
「異教徒ね。地の底の、得体の知れない魔神、崇めてるっていうよ」
私は顎をなでた。少なくとも、『眠る蛇』がメイユレグの溜まり場だという情報は確からしい。しかし、完全によそものをシャットアウトしているとなると、少々面倒だ。どう攻めるべきか……まずは、酒場の場所が分からなければ始まらないか。
「……そうかい。まあ、口利きはいいから、場所だけでも教えてくれないか? 酒手くらいは出すからさ」
折りたたんだバザール紙幣を出すと、男の目が輝いた。
「大通りを、翡翠通り――6番目の通りまで進みな。翡翠通りに出たら、ストリップ小屋の脇に裏道があるから、そこへ入る。すると、細長い、黒い建物がある。窓のない、妙な建物さ。その地下が、『眠る蛇』だよ」
「ありがとう……私の分は、呑んでくれて構わないよ」
私はファイア・スターターのグラスを口利き屋の前に置き、彼の緩慢な自殺を後押しして店を出た。
夜の通りはまさに花盛りといった様子で、派手な魔導灯が人々の目を奪い、面積を大いに節約した衣装の女たちが道行く男の袖を引き笑う。
私は視界の端にちらちらする肌色を追いながら、蜥蜴人種でありながら「まともな」純粋人類に魅力を感じるというのは幸せなのか不幸せなのかと考えた。多分、幸せなのだろう。手に入る入らないはともかく、魅力を感じる対象がそこらじゅうにあるというのはいいことだ。自分と同じ蜥蜴人種の女にしか興奮しないとなったら、深層まで潜らなければ出会いがない。
考えてみれば不思議なことだが、『うちびと』は同じ種族の間だけでなく、純粋人類とも婚姻を結ぶし、果ては『うちびと』の中でも別の種族同士でつがったりする。純粋人類が『うちびと』との交わりを避けているのとは対照的だ。
そんなことを考えていたら、客引き女の一人にフェルト帽を奪われた。慌てて取り返そうとしたら逆に腕を掴まれ、店に連れ込まれそうになる。いつの間にか、仲間まで2、3人出てきて私を後ろから押してきた。私の素顔にもお構いなしだ。何とか謝ったりなだめすかしたりして、帽子を返してもらった。危ないところだった。まあ、悪い気はしなかったが。
第5大隧道は駅のある入口から奥へ行くに従って、幅の狭い扇のようにゆるやかに広がっている。進めば進むほど、高級な酒場やヤバい店、際どいショーをやる小屋などが立ち並んでいる。扇の突き当たりからは、狭い道が何本も更に奥へと伸びており、その奥には大通りなど問題にならないほど過激な見世物があったり、危険な取引の温床となっていたりするという。私も、そこまで奥へは行ったことがない。
目的の「翡翠通り」は大通りの中ほどに位置している。一番楽しく、明るいあたりだ。そのあたりまでは観光客でも問題なく楽しむことが出来る。
私はストリップ劇場からぞろぞろと吐き出される観光客の合間を縫い、劇場の演目として掲示された「水中交歓ショウ」なるプログラムに興味を惹かれて2分ほど立ち止まった後、誘惑を振り切って裏道に入った。
少し歩いただけで、魔導灯の灯りは遠く離れ、じめついた薄闇があたりを包む。わずかに小さなランプの灯りを灯しているのは、会員制のバーや、表向きバーの看板を掲げている阿片サロンなどだ。見るからに、ヤバい雰囲気が漂っている。仕事じゃなかったら帰っているところだ。
目的の建物はすぐに見つかった。薄暗く、見るからにまともでない裏通りの中でも、ひときわ異彩を放つ黒い建物。造りは平凡な二階建てだが、窓というものが一切ない。壁は光沢のない黒で塗りつぶされている。ペンキではないし、漆喰の類とも質感が違う。見たこともない塗料だ。どうでもいいことだが、私はここで暮らす人間の生活を思いやった。風を通したくなったら、どうするのだろう?
玄関は上下に分かれており、ポーチになっている方が上階行き、その下の階段が地階行きらしい。さすがに、何の策もなしに堂々と乗り込むわけにはいかない。私はちょっと離れたところを歩きながら、近くの危ない店に興味があるものの決心がつかない客を装って黒い建物をうかがった。
30分ほど粘ったが、誰も現れない。1度、甘い香りを漂わせるパイプを勧めてくるあからさまに怪しい老人に絡まれたくらいのものだ。今日のところはちょっと夜の街を楽しんでから一泊して、出直そうか――そう考え始めた時だった。
大通りの方から、歩いてくる影があった。




