王子、登場
丸山光君がやってきてから、職場の秩序は戦国の世の如く乱れた。
初出勤の朝は大騒ぎだった。いつもは簡単なメイクの今川さんはトイレに駆け込み、恐ろしく手の込んだナチュラルメイクになっていた。
岩瀬さんは来た時からすでに万全の自分の魅せ方を知り尽くしたポニーテール。
40代のマダムたち(山岸君が昔「おばさま方様」と呼んでものすごく睨まれていた)も少しソワソワして前髪を直していた。
王子顔のイケメン効果は、女子率の高い文系の職場では凄まじい。
主任と副主任こそ落ち着いているが、なぜかばつの悪そうな顔を浮かべている。
私ももっとお洒落してくればよかった……と普段の自分の身なりへの無頓着さを恥じる。
今着ている服も温かさ重視の冬服で、通勤も退勤も、今日はお気に入りのカシミアのコートではなくヘビーで実用的なコートだ。
結局、いつも通りだったのは山岸君だけ。
「イケメンコンビですね!『丸山岸コンビ』なんてどうですか?あ、いや冗談です……」
おそらく誰も聞いていなかった。
皆が再び戻った後、丸山君は笑顔であいさつした。
だけどおかしい。違和感が広がり、私たちはそれとなく顔を見合わせる。
それは彼が一言も発していないことと耳の補聴器からだと気づいた。
右手にはタブレットも持っている。いつもはバッサリと話す主任がとても言いづらそうに話す。
「丸山君はね、聴力に少しハンデキャップがあるの。だから、皆で協力しながら……」
そうか、それで一週間前に急に聴覚障害の掲示をしたんだ。筆談ボードも用意したんだ。
臨戦態勢だった女子軍の万全体制が少しずつ緩み、岩瀬さんはポニーテールをほどいてこう言った。
「耳が聴こえないのに、図書の仕事なんてできるんですか」
誰もが下を向く中、主任はしどろもどろでこう答える。
「ええっとねえ、丸山君は、APDなのよ」
APD?
「聴覚情報処理障害って言って、聴こえる時と聴こえない時があるの。彼はそれで辛い思いをしたから、それでね……」
「結局どっちなんですか」
そう苛立たしげに話す岩瀬さんを誰も注意しないところに、この図書館の関係性と序列が垣間見える。
困った顔をした主任は、丸山君を見てから、落ち着きを取り戻し、こう言った。
「まあ、基本的には聴こえない前提で」
一気に職場がざわついた。このザワザワとした音はどうやったら出せるんだろうといつも不思議になる。女の園の交響曲。
丸山君はそれでも、ずっと品のいい笑顔で私たちを見ていた。今彼に、心無いざわめきはどれほど届いているのだろうか。




