一話「結城正興」
目が覚めると、まず最初に感じたのは違和感。
体全体で跳ね起き、目覚めの悪い悪夢から覚めた朝の様に呼吸は荒く浅く、翡翠色の患者着はじっとりと汗でベタつき不快な感触が身体全体に取り憑いていた。
灰色で塗り固められた一室には、点滴に使ったであろう謎の薬液が入ったパックとクレンメ、彼らと身に付けた衣服だけがココが病院である事を物語っていた。
寝台から立ち上がると違和感や不快感を他所に存外に身体は軽く思考も軽やかであった。
窓の外に目をやり、風に揺れる純白カーテンを丁寧につまみ、退けると、そこには人の壁が出来上がっていた。
憲兵に野次馬に興じに来たであろう一般市民。
外の景色は古めかしい煉瓦造りの建築物がひしめき合っていて、病院の入口には憲兵達が使っている装甲車が何台も並んでいた。
目の前に広がる景色に違和感が波となって襲い来る。
自分はこの景色を知っているが初めて見た様な感覚。
目覚めた時から纏わり付いていた違和感の正体に気付くと同時、罪悪感が今度は自分の首を締め付ける。
何か、何かをしたのだ。
だが、それは思い出すには至らず顔を歪めた。
「とにかく、ココを出なければ。」
口からついて出た声は飽きる程に聞き慣れた自分の物で有るような既視感と赤の他人の声が自分の口から吐き出された様な気味の悪さとが入り雑じった感覚。
喉に触れると喉仏の感触。
やはり自分の物で有るような、赤の他人の物で有るような感覚。
風に当てられ肌寒さに我を思い出す。
「こうしてても仕方ないな。」
誰か、誰か探さねば。
話しはそれからだ。
嫌に重く厳重な鉄扉には鍵が掛かっており幸いな事に内側から解錠する事が出来た。
どうやら囚われの身、という訳では無いようだ。と思い。
内心で苦笑する。
廊下に出ると相変わらずの灰色、静寂。夕方に差し掛かっているからか採光用の窓が少ないせいか、辺りは薄暗く自分の影が伸び、夕明かりでそのシルエットは虫食いになっていた。
鉄扉の閉じる音が大げさに廊下に響いた。
「おい!お前!そこで何をしている!」
声に振り向くとそこには冬物に身を包んだ薄汚い男がこちらに銃口を向けていた。
PPSh-41か。
手を軽く上げ降伏の意を相手に伝える。
「俺はココの患者の様だ。状況が読めない。今どうなっている。何故銃を?」
なるべく刺激しない様に努めて冷静に語り掛けた。つもりだったが、相手はまじまじと自分の顔と紙切れを交互に見やると銃を構え直し、気色ばんだ。
「お前!やっぱり生きていたのか!丁度良い!ついて来い!抵抗しなければ傷付けはしない!」
銃を構えながら近付くと乱暴に袖口を掴み上げてきた。
相手はこちらを拘束しよう手首に手を回そうとしたところでその身のコントロールを失った。
銃口を手で跳ねのけ自分の身体から死線を外すとそのまま拳を造り飛び出させた親指で相手の脇へと滑らさせて刺す。
痛みに腕の力が弱まったところを返す手刀で銃を払い落とす。
地面に乾いた音を鳴らし落ちた銃を足で軽く蹴り飛ばすと同時、手は襟首へ、足はそのまま相手の後方に走り拘束されていた手を思い切り引いた。
首に前腕を押し付け、重心を支えていた足を蹴り払うと全体重を前腕に掛け、前のめりに倒れ込む。
地面に後頭部を打ち、喉は前腕に押し潰され呼吸を殺されると男はあっけなく昏倒した。
ため息を付き、立ち上がると自分が今してのけた事に対しての相変わらずの違和感。
「貴様!」
怒号と銃声は同時。
背中に重い衝撃が襲い、吹き飛ぶ。
「大丈夫か!」
新手が倒れた仲間に駆け寄る。銃口は油断なく標的を睨み続けていた。
思い出した。
思い出したのは、家族の死体。
恐怖や奇異に彩られたスマートフォンのシャッター音の群れ。
哀れむ裁判官の瞳、目を合わせようとしない弁護士。
驚きと怒り、疑問に塗り潰された刑事達の表情。
物言わぬ無言の処刑台。
そうだ。
俺は、家族を殺して絞首刑になったのだった。
違和感もなく、するりと納得出来る過去の事象。
その時は違和感や罪悪感等、欠片も感じた事はなかった。
ただ、好奇心だ。
世間で言うところの犯行動機ってヤツだ。
俺はそういう人間だ。
だが、この借り物の様な違和感と、それに対する罪悪感はなんだ?
「なん…だ?」
すくりと立ち上がる。
身体は軽く銃撃を受けた背中には先程の衝撃は、もうない。
出血は、ない。
当然だ。
銃弾は、防いだ。
「!?」
先程撃ち抜き、倒れた相手がなんなく立ち上がる姿に後退りする男の顔は酷く脅えていて滑稽だった。
口角が上がるのを抑えられない。
「ある程度状況は分かったのかな?だけれど、分からないのは」
銃声、手をかざすとそれに従い自分から伸びる影からぬめりと湿り気を帯びた黒い壁が立ち上がり銃弾を防ぐ。
「なんだ、コイツは…!」
「おいおい不躾だな。喋ってる途中だろう。悪役が喋っている時は攻撃しないもんだ。まあいい。だけど分からないのは何故お前達が"コイツを狙っているか?"だ。」
言いながら指を動かすと壁は指の動きに従い、触手となって男達を拘束する。
自分で操っているものの、やけにこの黒い物体は生臭かった。
「それも、その内に分かるだろう。」
「や、やめろ!」
影は男達の口内にずるりと入り込み悲鳴を奪う。
ぬらぬらと男達の身体を撫で回し、這い上がると脈動しながら口内に侵入していく。
意識のある者は苦痛にもがき、意識のない者は生への執着か、あるいは生理現象か、痙攣し拘束された身体で許される限り飛び跳ねた。
「現状を知りたいところだ。」
冷たく無表情で言うとギラリと笑う。
「だが、今は、時間がなさそうだ。」
ズシリッと、何かが潰れる音と共に男達は口から血の泡を吐きながら絶命する。
力なく項垂れる姿を確認し、かざした手を降ろすとそれに習い黒い物体も元あった影へと身を潜めた。
思わず笑みが溢れた。
自身の身に起こった不可思議な現象。
どうやら自分は、別の世界の別の人間の中に、何の手違いか潜り込んでしまった様だ。
この男の名は結城正興。
結城の記憶や感情、感性は確かに感じ取れるがしかし、前の記憶や意思を元に確かに自分は行動出来ている。
この結城という男は家族や友人、仲間に恵まれ清廉潔白な人生を歩んで来た様だ。
そしてこの力。
あらゆる物理法則を無視して敵をねじ伏せるこの力は自分の趣向に合っていると確信出来る。
前世というのか。
そういったものにはさして未練はない。
ならば結城正興として、今度こそ上手く人生を全うするだけだ。
「結城。今のはなんだ…?」
恐怖と驚きを孕んだ声がまたもや背中に襲いかかり肩が跳ね、飛び上がる様に振り向いた。
今度は銃撃の時よりも遥か強い衝撃が結城を襲った。




