約束の指切り
午後二時十三分
小型戦闘艇『フランセス・オーロラ』、後部ポッドルーム
「レオ……わたし、ひとりになりたくない……」
脱出ポッドのシートベルトに固定された琴音が、震える手でレオの手を握りしめた。その冷たく湿った指先から、彼女の恐怖が電流のように伝わってくる。
船内に鳴り響いていたカウントダウンのアラートはすでに消えていたが、その金属的な警告音の余韻が、幼いふたりの心に鉛のような重さで沈殿していた。瞳を潤ませる琴音の顔には、かつて見たことのない絶望の色が浮かんでいた。
ウィルソンによれば、自爆モードに移行してから三十秒後、この船は炎に包まれ、最後には宇宙の塵となって霧散するとのことだった。
目の下を赤く染め、唇を噛みしめて疲労の色を隠せない琴音。レオは必死で笑顔を作り、喉の奥から震える声を絞り出した。
「大丈夫だよ」
極度の緊張で、自身の鼓動が耳の奥で轟音となって響き渡る。まるで全身が鼓膜に変わったかのようだった。
「さあ、レオくん。君もこちらのポッドに乗るんだ」
オペレータのウィルソンが促す。
脱出ポッドは、後部ポッドルームの四隅に配置されていた。
各ポッドは銀色の円筒形で、緊急時の安全を確保するための最新技術が詰め込まれている。
金属の光沢が冷たく室内灯に反射していた。ルーム中央には洗練されたデザインのコンソールが鎮座し、その複雑な操作パネルから青い光を放つホログラフィックディスプレイが浮かび上がり、四つのポッドを同時に制御していた。
この配置により、緊急時でも効率的な脱出が可能となり、乗員の生存率を最大限に高める設計だった——それが今、彼らの命綱となっていた。
「琴音、約束するよ。遠く離れてしまっても必ず見つける。何年かかろうとも」
「うん、約束よ。わたしの家族はレオだけなんだから」
「大丈夫よ、琴音ちゃん。レオくんはしっかりしているから。それに、先生もいっしょだしね」
そして、静かに告げた。
「閉めるわね」
琴音がかすかにうなずくと、円筒形のポッドのハッチが閉まった。ウィルソンは手際よく中央コンソールを操作し、頑丈な外殻が琴音のポッドを包み込んでいく。
「よし。琴音ちゃんのほうはこれでオーケー。先生も早く乗ってください」
シンディはうなずき、最後にレオに向かって優しく語りかけた。
「それじゃあレオくん。天球儀船で会いましょうね」
シートに座ったレオの目線に合わせるように、シンディは上半身をかがめた。その瞳には、再会への淡い希望と避けられない別れの悲しみが交錯していた。わずかに震える唇が、彼女の懸命に抑えた感情を物語っていた。
また会える保障はない。
その現実をふたりとも骨身に染みるほど理解していた。それでもレオは背筋を伸ばし、力強くうなずいた。
「先生も約束だよ」
「そうね、約束……」
シンディはレオの小指に自分の小指をそっとからめた。その細い指には、言葉では表せない決意と祈りが込められていた。
「そういえば、お話ししたことあるかしら? なぜ、わたしが先生になったのかって話」
シンディの声音には、どこか遠い場所へ思いを馳せるような響きがあった。
「聞いたことないと思う」
レオは首を小さく傾げた。
「じゃあいま話しておくわね」
シンディは声を落とし、まるで大切な遺言を託すかのように身を寄せた。
「移民船に住む人はみんな、自分でお仕事を選べないの。みんなのお仕事を決めるのは移民船団システム。システムがわたしたちの適性を診て、どのお仕事がふさわしいか決めるのよ」
「そうなの?」
レオの瞳が驚きで見開かれた。
シンディは一瞬周囲を見回してから、両手でレオの肩をしっかりと掴み、瞳には強い決意が宿っていた。
「そう。だけどねレオくん」
彼女は声に力を込め、瞳が決意に燃えていた。
「君の人生は君だけのもの。これからもし、大事な決断を迫られたときは、どんな時でも自分で決めるのよ。後悔しないためにも、誰かに決められた道じゃなく、自分の選んだ道を歩むの――」
「よくわかんないよ、先生」
レオは眉をひそめ、小さな額にしわを寄せた。幼い理解力では掴みきれない真実に苦悩する表情だった。
レオの困惑した様子に、シンディは優しく微笑み、その瞳の奥に浮かぶ涙をかろうじて堪えていた。彼女の目は未来を見つめているようだった。
「ごめんね。ちょっと難しかったかもね。でも、先生が言ったこと忘れないで欲しいの。いまはそれだけでも充分だから……」
彼女の声は感情を抑えるように小さく震えていた。
「わかったよ先生。じゃあそれも約束――」
「はい、やくそく」
からめていたままの小指に、シンディはぎゅっと心を込めた。
「ふふっ。なんだか、かわいい弟くんができたみたい」
シンディは空いていたもう片方の手のひらをレオの頬にそっと当てた。その温もりがレオの心に染み渡る。
シンディの幸せそうな笑顔を垣間見た気がした。
それに彼女の手の温もりのせいかわからないが、なんだか照れくさい。
シンディの幸せそうな笑顔が、少年の目に焼き付いた。
その優しさと、手の温もりに、レオは思わず頬を赤らめた。照れくささと、言葉にできない感情が胸の中でぐるぐると渦を巻く。
「いい? 少しの我慢よ」
シンディは優しく言い聞かせるように告げ、ポッドから離れた。代わりにウィルソンが顔を覗かせる。
「それじゃレオくん。ハッチを閉めるよ」
レオは小さくうなずいた。
シンディとの約束が、これから先の未来への希望になるような気がした。
たとえ宇宙の果てに放り出されても、きっとまた会える。そう信じられる約束だった。
少年の心に灯った小さな光は、この先の暗闇を照らす松明となるだろう。