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琥珀  作者: 津蔵坂あけび
15/15

琥珀

 翌日、葬儀はしめやかに執り行われた。クラス総出で出席した。僕は、クラスメイトという形で霧島さんの葬儀に出席した。これなら彼女に嫌われたままでも、きまり悪くないな。こんな陰気な僕を、霧島さんは笑うかな。いや、笑っても、もう、僕には分らないのか。


 親族のすすり泣く声を耳で聞きながら。僕は、身の回りに横たわる現実を、テレビの中の映画を見るような気持で眺めていた。

 瞳に映るもの。耳に聞こえるもの。鼻に香るもの。麻酔を打たれたように、何も感覚がない。


 悪い夢なら醒めてくれ。

 

 僕は涙を流すことすらできないまま、虚無の時間を過ごした。


「皆瀬くん」


 背後から、聞き覚えのある声が。振り返ると、霧島さんの母親が立っていた。


「あれからもお見舞いに来ていたんですって?」


 僕は、言葉を忘れてしまったみたいに、無言で頷いた。僕に発語能力がないと察した霧島さんの母親は、何も詮索せずに話を進めた。


「あのこ。ずっと、大切そうにしていたから」


 僕と霧島さんをつなぐものならば、僕が持っていた方がいい。そう判断したらしい。僕が、霧島さんに「好きだ」と伝えた日に渡した便箋とペンが、無様に帰って来た。無様な僕が、無言で頭を下げる。


 脳みそを摘出した僕は、ふらふらと家路についた。


 なにも無くなった。

 なにもかも無くなった。

 葬儀会場からは、電車で帰る。脳みそがなくても、降りる駅が分かって、帰り道も分かった。狩谷と途中まで一緒だった。互いに何も話さなかった。

 便箋とペン。霧島さんの残り香に埋もれながら、彼女の姿を思い描く。反射で映った僕と狩谷が座る電車の椅子。僕の隣にスペースが空いている。そこに霧島さんの姿を思い描いた。


 でも、もう彼女はいない。


 駅で停車して扉が開くと、僕の隣に中年の女性が座った。


 辛い。


 たどり着いた家。僕は言葉を失ったまま、自室にとぼとぼと上がる。部屋のドア、敷居を跨いだ瞬間、電源が切れたように倒れ込んだ。耳の中で微かな音が聞こえた。小さな生き物が、粘性の高い液体の中に飛び込むような音。


 とぷん。


『私は琥珀になりたい』


 もう聞こえないはずの彼女の声が聞こえた。彼女はその願いをずっと持ち続けていたのか。あの夢の続きが天井の真っ白なキャンバスに浮かびあがる。


『あなたは優しい。でも優しいことが私には苦しい。だから、私は琥珀になりたかった』


 いつから、霧島さんはそう思っていたんだろう。

 琥珀になりたいと思っていたんだろう。

 時を止めてしまえたらいいのにと。


 答えを知りたかった僕は、彼女がいつか「見ないで」と言った便箋をついに開いてしまった。


 そこには、僕の知らない霧島さんがいた。彼女の綺麗な文字が並んでいる。



 ――今日、空太が好きだと言ってくれた。嬉しかった。この便箋と、万年筆みたいなインクペンをくれた。素敵なプレゼントだった。ずっと、こんな日が続くなら、もう少しここにいてもいいかな。

 いや、駄目だよね。きっと駄目だよね。

 私は彼に甘えるだけの存在になりたくない。私は、そんな自分を許せない。

 だから、覚悟を決めないといけない。今日を最後にするそのときを。



 ――夜になると、独りになる。

 空太が帰っていったあと、看護婦が夕食を持ってきてくれた。今日の食事の内容もすごく寂しい。

 カーテンの隙間から、抗菌手袋が伸びてくる。冷たい。私の手は、空太の手をもう握れない。誰の手ももう握れない。私はずっとこの、透明な檻の中なんだ。そう思うと、辛い。死にたい。



 ――空太が、昨日見た夢の話をしてくれた。蟻になった夢だった。

 もうすぐ歩けなくなる蟻。私みたいだなと思った。

 それを意識して、空太は歩幅を合わせたいなんて言ったのかな。

 空太は優しい。でも、それがずっと続いてその蟻が歩けなくなったら、どうするのかな。


 空太は、歩くことを止めてしまうのかな。


 ここが潮時かな。でも、まだ傍にいたい。もう少し。あと少し。

 だから宿題を出した。行けもしないデートプラン。

 空太の顔が紅くなった。かわいい空太。私は空太とならどこへでも行きたいよ。

 ――日が暮れて、またひとりになった。夜は嫌いだ。夜は空太が忘れさせてくれた全てを、思い出させるから。

 トイレに行きたくなって、ナースコールを押した。

 トイレさえ、ひとりで行けない。そんな身体になってしまったのは、自分で飛び降りたから。

 私の身体は重い。

 看護婦の頼りない手の震えを感じながら便器に座る。

 私は重荷だ。何の役にも立たない。

 空太は、私を好きだと言ってくれたけど。


 どこが?


 手もつなげない。抱きしめてあげることもできない。口を開けば、私は空太の中に居場所を求めてしまう。夜になると、自己嫌悪になって。あとは、息を吸って吐いて、飲んで食べて、汚いものを出すだけ。

 こんな、役に立たない私を好きだと言ってくれる空太に、甘えてしまっている。

 こんな自分は大嫌い。やっぱり、死にたい。



 ――空太が考えてくれたデートプラン。誰にも見えない月の裏でキス。カーテンがなければ、空太と本当にキスができたのに。もったいない。

 でも、素敵だった。空太も案外、ロマンチストなんだね。


 空太のことを待ってないで、私から言えば、素敵なデートができたかな。

 空太は鈍感だから、私から言ったほうが良かったかな。


 空太のこと、好きだって。


 空太が詩を書けるようにとくれた便箋が、ただの日記になっちゃった。

 空太はこんな私が嫌いかな。でも、嫌いになってくれたら。むしろ楽かな。そう考えてしまう自分が怖い。

 そろそろ終わりかな。だったら、私は空太の背が知りたい。ずっと私がのっぽで空太を見下ろしていたから。

 どこかで、こんな私可愛くないかなって思っていた。

 空太が私の背を越えれば、そんなちっぽけなことは吹き飛ぶと思ってたけれど。そのときまで、私が空太の傍にいる自信はないなあ。

 今を知りたい。私は、この今を手放そうとしているから。



 ――睡眠薬、吐き気止め。薬で死ぬのは簡単じゃないけれど。眠るように死ぬことが出来るなら、それがいい。

 

 睡眠薬と吐き気止めと合わせてアルコールで流し込んで。ペットボトルのキャップを口の中に入れて。意識を失うとともに、喉を詰まらせる。

 薬だけじゃ難しくても、これなら確実かもしれない。ついにこんなことを書いてしまった。

 こんな自分は、早くいなくなった方がいい。死のう。



 ――空太はまだ、ちっちゃい空太のまんまだった。

 私と空太。もう、ここで終わりだよ。

 忘れないと言ってくれたけど、駄目だよ。

 私はね、ずっと前から歩くことを止めてしまったの。

 空太はそれ気づいて、立ち止まってくれた。

 嬉しかった。でもね。そんな必要なんてないんだよ。

 空太は、歩き続けないといけない。私は空太のために歩きたくても、もう歩けない。

 だから、さようなら。


 空太は、私を忘れるの。約束だよ。



 ――約束したけれど、空太はやっぱり来た。すこし嬉しくなってしまっている自分はなんなんだろう。

 私は、空太を傷つけたいの?

 空太を自分がいるところまで、引きずりおろしたいの?


 空太を見ると、往生際が悪くなってしまう。甘えてばかりの嫌いな自分が、生きたい、生きたいって泣き叫んでしまう。

 ねえ。お願い。もう、来ないで。



 ――空太がまたやって来た。冷たくしたのに、空太が優しいままなのが辛い。

 会話をすることもないのに。私の隣にいる。

 話したいけど、話せない。話したら、また私は空太に依存する。

 諦めて欲しい。辛い。死にたい。



 ――何で来るの?

 私のこと嫌いになってよ。忘れてって言ったじゃない。約束したじゃない。


 辛い。



 ――空太に嘘をついた。嘘だって言って謝りたい。でもそんなことしたら、意味がない。

 せっかく、私のこと嫌いになってくれたのに。

 これでもう、空太には会わない。

 自分で決めたことだけれど。さよならは辛いよ。

 せめてここでは、正直な自分でいさせて。


 嫌いになったなんて嘘だよ。


 空太が好き。この気持ちを抱いて、私はいなくなりたい。

 

 空太、大好きだよ。



 ――薬がたまってきた。もう、死ぬのに充分かな。

 空太は今日も来ない。これでいい。

 私のことなんて忘れてしまえばいい。そういう約束だったんだ。

 私だけが、空太を好きなままで。


 空太が好きなだけで、何もできない自分は嫌い。

 でもこうして、空太のことをぼんやりと考える自分は好き。

 死ぬなら、自分が好きな自分のままで死にたい。



 ――今日、薬を飲もうとした一歩手前で、思いとどまってペンを握っている。

 思えば、この便箋も、ペンも。空太がくれたもの。

 もっと、こうなる前に空太を好きだと言ってたら。他にもいろいろもらえていたのかな。

 こんな想像に浸っていたい。もう、空太には会えないけれど。


 辛い。死にたい。でも


 怖い。



 ――辛い。会えないのが辛い。会えないと決めたことが辛い。はやく死んでしまいたい。でも怖い。辛い。



 ――私は意気地なしだ。まるで、自分に未来があるかのような幻想を抱いている。自分に、明日なんて与えられていないのに。

 今日、久々に母親が見舞いに来た。

 私が死のうとしていることは勘付かれないようにした。

 空太が来ていないことを伝えると、どこかホッとしたような顔をした。私と同じ願いを持っているけれど。私は母親が嫌いだ。

 母親が求める私と今の私は離れすぎている。

 それを露骨な態度で表してくる。


 嫌いだ。


 私だって、こんな自分、大嫌いなのに。

 やっぱり、死んだ方がいい。こんな自分は生きていても何の意味もない。



 ――間もなく、私はいなくなる。

 さっき薬をのんだ。アルコールも流しこんだ。あとは意識が遠のくのをまつだけだ。

 たぶんアルコールのよいがすぐにくる

 くすりでいしきがとぶまえに、ペットボトルのふたをのみこもう

 これで、さようなら




 こわい

 

 そらた 私のこと ちゃんと わすれてるかな

 つらいな 私は そらたのこと すきなのに


 そらた やくそくだよ 幸せにな て


 さようなら



 僕はそのときに初めて、遅い痛みを知った。


 のたうち回って、鞄の中も、机の中も全てをひっくり返して。僕はひたすらに、残り香を探した。便箋の中身は、僕が見てはいけないものだったかもしれない。でも、彼女が見ないでと言った彼女の本当の想いを知った今。


 僕は、どれだけ悔いればいい?

 どれだけ、彼女に想いを馳せればいい?


 答えは返らない。

 いくら泣いても。答えはどこにもない。


 鞄の中にも、机の中にも、筆箱の中にも。


「霧島さん……」


 いつか彼女が渡してくれた、小さく折り畳まれた紙が目に入った。彼女が絶対に開けたら駄目だと言ったもの。震える手で、それを開く。

 ただただ、彼女の残り香を求めて。



『大スキだよ、空太』



 紙の中で猫は鳴いていた。僕が伝えるずっと前から、彼女は、僕よりも大きな想いを抱いていた。


 彼女は、いつから僕のことを好きだったのだろう。

 僕は、いつから彼女のことを好きだったのだろう。

 僕は、彼女にとって何だったのだろう。

 彼女はいつから病気で、いつから僕は病気の彼女を救えていたのか。

 それとも救えてなどいなかったのか。

 何も分からない。


 そこにあるのは、もう終わってしまった僕と霧島さん。死にながら僕の胸の中に生き続ける黄金色に光り輝く宝石。




 琥珀



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