7月1日 3
「こっくりさん、こっくりさん、おいでください。」
赤い服を着た少女が、部屋の片隅で、1枚の紙と、紙を切り抜いた10円玉ほどの大きさの円形の紙で遊んでいた。
その紙には、順番に並べられた50音と鳥居、男と女、それのサイドにはい、いいえとそれぞれ書かれている。
いわずと知れた『こっくりさん』の遊びだ。本来は、複数人で、それに円形の紙は10円玉で遊ぶものだが、少女に友達と呼べる存在はいない。
少女は、鳥居の絵の上に置かれた円形の紙を、醜くはれ上がった左腕の先にある指先で不器用に抑えていた。
(この女の子……。)
真琴は、心の中で呟いた。第三者視点のように、ぼんやりとした意識の中でその少女を見る。
部屋の様子も変わっておらず、どことなく親近感を感じる。
「わたしにできるのは、おとうとといもうと、どっち?」
少女は無邪気に問いかける。すると、円形の紙はするすると紙の上を滑り、男、と書かれた場所の上で止まる。
「おとうとかぁ……。じゃあつぎ。わたしのうでは、なおる?」
楽しそうな声を一転させ、切ない声でそう、見えない何かに問いかける。
すると、円形の紙はまたするすると動きだし、途中で止まり、また動き……をいくつか繰り返す。止まった文字を順番に並べると『なおる』、つまり『治る』。
「うふふ、こっくりさんって優しいんだね。」
少女は、悲しそうな声だが、いくらか明るさを取り戻す。その様子を見て、真琴は妙な安心感にとらわれた。
(この女の子……こんな声も出せるんだ。)
真琴はそう考え、やっと精神的な余裕を取り戻し、部屋の中を見回した。窓がなく、部屋には、6冊ほどの本が収まった小さな本棚が1つと、黒いクレヨンだけだ。とてつもなく殺風景で、その理由が『何故だか』理解できる。
(この女の子、腕が原因で両親に暴力を振るわれているのか……それで、部屋に閉じ込められて、ほんの少しの遊び道具しか与えられていないんだな。)
それを、真琴は違和感なく自然に受け入れる。
(女の子がやっている『こっくりさん』は親から適当に与えられた本に載っていたやつだ。一人遊びがあれしかないから、ずっとああしているんだな。)
そして、真琴は悲しむ。何故、こんな酷いことが出来るのだろうか、と。
(確かに、あの腕じゃあ親の苦労も絶えないだろうけど……それでも一緒に生きていくのが親なんじゃないのかな?)
真琴は、胸が苦しくなるのを感じた。
「もうすぐわたしのおたんじょうび、7がつの7かだね。そのとき、なにかいいことある?」
少女は無邪気に、『こっくりさん』に質問をする。
示された回答は『はい』。
「うふふ、ありがと。ほんとうにやさしいね。こっくりさん、ありがとうございました。おはなれください。」
舌足らずな声で少女はそういうと、少女は紙から指を話した。
(うっ……何だ……?)
その瞬間、急に真琴の視界が暗転する。そして、再び見えるようになったのはそのすぐ後。同じ部屋、同じ場所、少女もいる。しかし、状況が違う。例の、大人の男女が少女に虐待を加えている場面だ。
「お前が!お前が生まれなければ!」
「私たちは平凡に暮らせた!何もかもあんたが悪いのよ!」
大人2人はヒステリックに叫び、少女を虐げる。
(あれが……っ!?)
真琴は、この2人が、この少女の両親だと直感した。そして、その声から……前回はあまり聞こえなかった声から、その顔……前回は隠れて見えなかった顔から、その2人が誰だかを知る。
「父さんに……母さん!?」
思わず真琴は声に出すが、それでも全く意味はなく、目の前の光景に一切干渉できない。
(何で!?どうして!?嘘だ……何があった!?)
真琴はひたすらに混乱した。目の前の両親は、少女をものすごい形相で痛めつけている。少女はひたすら無抵抗。声もあげず、泣きもしない。
(いや、やめて、なんで、こんなうでに……。)
ただし、今日は少女の心の悲鳴が聞こえる。それは真琴の身体を蝕み、心を蝕む。
(やめて!やめてくれ!)
真琴は必死に心の中でそう叫んだ。対象は少女の心の声か、目の前の両親か。
(なんで、たすけて。)
その声が聞こえた瞬間、再び視界が暗転した。
再び視界が戻ると、また同じ部屋で、同じ少女の1人遊びの光景が映った。
「とおりゃんせかぁ……おもしろそうだなぁ……。」
先ほどの光景が嘘のように、少女の声はどこまでも無邪気で楽しげだ。
少女は本の、『とおりゃんせ』と題が記されたページを見ながら、不完全な両手を上げ、それを見上げる。
「おともだちもいないし、うでも、おててもダメ。うーん……。」
少女の声はやはりあどけなく、無邪気だ。
その様子を、真琴はただ少女の後ろから見ているだけだ。少女は壁に向かい、部屋の中央に背を向けている。その部屋の中央あたりに、真琴はいる。
「うーん……ん?」
少女はそんな声を上げると、いきなり振り返った。
真琴と少女の視線がぶつかる。少女は、真琴の顔をじっとみている。
真琴の心臓は、驚きと訳の分からない恐怖と緊張で早鐘を打っている。
少女の顔は、どこか幼く、目はくりくりとしていた。足と顔は骨ばっていて、まともに栄養が与えられていないのが分かる。それでも、その表情は無邪気さを表している。
「おにいちゃん……あ、きてくれたんだ!」
少女はぱっと顔を輝かせると、立ち上がって真琴の元に駆け寄る。
「ねぇねぇ、おててつないで!」
少女は、『肘から下がない右腕』を真琴に差し出しながらそういった。
「えっと……。」
真琴は困り顔だ。手を繋ぐと言うのは、手のひらと手のひらを繋ぐことだ。手のひらがない少女の右腕を出されても、真琴は少女の願いを叶えられない。
「ねぇねぇ、どうしたの?はやくはやく!」
少女はぷっと頬を膨らませ、年相応の拗ねた表情をする。
「あ……あのね、おててを繋ぐのは、手のひらと手のひらじゃないとダメなんだ。そっちの腕じゃあ……。」
真琴は少女を諭そうとする。
「ちがうもん!こっちでいいの!おにいちゃんもみぎてだして!」
「う、ううん……。」
少女の訳が分からない言葉に、真琴はつい右手を差し出してしまう。
「じゃあ、おててつなぐね!」
少女はそういうと、『左手で』真琴の右腕の、『肘の少し下あたり』を掴んだ。
そして、少女は真琴を見上げ、どこまでも『無邪気な笑み』を真琴に向けた。
(うっ!)
真琴は本能的な恐怖から、心でそんな悲鳴を上げた。その『無邪気な笑み』は、完全に無邪気、どこまでも無邪気で『悪意がない』。それ故の、『恐ろしいまでの無邪気な笑み』に、真琴は恐怖した。




