7月1日 1
「はっ!」
とある街の一角、どこにでもある一軒家の一室で、少年はベッドから跳ね起きた。
「はぁ……はぁ……。」
息は荒く、全身から冷や汗と脂汗がこれでもかと噴き出ている。パジャマや下着は既にびしょびしょで、肌に張り付く感触が不快感を誘う。
「今のは……夢……なんだよね……?」
少年は、呼吸を整えると、そう漏らした。
「はぁ……恐ろしい……。」
少年は一息つくと、この不快感を何とかするべく、ベッドから這い出て、前日の夜に準備した制服に着替える。
「全く、なんて夢なんだよ……。」
少年はブツブツ文句を言いながら、パジャマを脱ぎ、制服の下に着る体育着を着て、それから制服であるYシャツ着て、黒い長ズボンを履く。
少年の名前は神原真琴。近くの公立高校に通うごく一般的な高校生1年生だ。日本人の特徴を抜き出したかのような、黒い髪と瞳。平ためで、幼さが残る顔。その造形は悪くはなく、むしろいいといえるほどではあるが、本人は自覚していない。
真琴が文句を言っているのは、先ほど見た夢。どことなく親近感を感じる部屋の隅に蹲る少女。それを感情的に虐げる、これまた見覚えのある大人の男女。途切れ途切れの、幼さがある少女の声。否、あれは悲鳴か、恨み言か。
全く身に覚えのない恐ろしい夢だった。しかし、少女の声は他人事に感じず、ところどころに、自分が『知っている』のでは、と思うほどのところがある。
「ま、夢は夢だし……朝ご飯でも食べよ。」
真琴は着替え終えると、パジャマを抱えて、自室がある2階から、リビングがある1階に下りて行った。
「ぐあぐあぐあ……ぺっ。……ふう、少しはすっきりしたかな。」
真琴は、洗面所の近くにある洗濯機の傍らに置かれた籠にパジャマを放り込むと、手を洗い、それからうがいをした。朝起きた時に、口の中に残る不快感や、喉の渇きを潤すための行動だ。今日は、夢のせいか特に酷く感じたので、念入りにした。
「あら?真琴、何か顔色悪いわね?」
「うん?本当だ、大丈夫か?」
リビングでは、すでに真琴の母親と父親が朝食を食べていた。いつもの光景で、ほぼ毎朝みるものだ。しかし、
(うっ!)
真琴は、背筋に悪寒を感じた。それを、真琴はどこか釈然としないながらも、汗をかいたからだと結論づける。
「ちょっと、悪い夢を見てさ。この歳になっても、嫌なものは嫌だね。」
真琴は、一瞬感じた悪寒を振り払うように、両親に笑顔を向け、冗談めかして説明する。
「あらそう。なら良かったわ。」
「なんなら、熱でも計っとくといい。」
両親は、優しげな笑顔を向けると、また、それぞれの朝の営みに戻っていく。
真琴の両親は、どちらも平凡な人間だった。父親の名前は真尋、母親の名前は美琴。真尋はサラリーマン、美琴は専業主婦。学生時代の成績はどちらも中の上だったらしい。稼ぎもそこそこと、どこまでも平凡だ。2人は、どちらも『平穏、平和、平凡』をモットーにしたようにそれらを望む人間だった。その教育を受けた真琴も、当然ながら、この平凡な家庭に安堵を抱いている。
どちらも優しい親で、真琴は健康にすくすくと育った。真琴は、そんな両親を見て悪寒を感じるなど、やっぱりありえない。そう感じて食卓に着く。
「ところで昨日学校でさ……」
「ほう、そんなことが……」
「そういえば、今度の……」
他愛のない会話を交わしながら、朝食を食べる。それは、いつも通りの平凡な日常だ。
(夢に惑わされないようにしなくちゃな。)
真琴は心の中でそう呟いた。
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「よっす、真琴!」
「あ、真琴、おは~。」
家から歩いて数分のところにある学校に行き、教室に着くと、そこで2人の親友に挨拶をされた。
元気な挨拶をしてきたのは、中学時代からの友達である、辰巳雄介。軽い挨拶をしてきた女の子は、同じく中学時代からの友達である、美空裕子。
雄介は、身長が180cmと大柄で、スポーツ刈りの爽やかな少年だ。見た目通り運動は得意だが、運動部には入っていないという、運動部の生徒に、惜しい気持ちと安心感を同時に与えた少年だ。
裕子は、つやがあり、さらさらしている黒い髪の毛をポニーテールにまとめ、快活な印象を与える少女だ。身長は155cmほどで、顔立ちが整っている可愛い系の見た目。運動も勉強もどちらも出来、器用貧乏を誇る真琴と比べられ、『上位互換』と雄介がしばしば呼ぶ。
「おう、おはよう。」
真琴は2人に挨拶を返しながら移動し、自分の席につく。2人は真琴の席の周りに集まってきて、いつも通りの雑談が始まる。
「それにしても、顔色悪いな。どうかしたか?」
「あ、そうね。大丈夫?」
2人は真琴の顔を見るなりそういった。
(どうやら、まだ引きずってたかぁ。やっぱ寝覚めは大切だなぁ。)
真琴はそんなことを考えながら、2人に事情を説明する。
「いや、ちょっと悪い夢を見てさ。朝起きたら汗びっしょりでね。」
苦笑しながら、真琴は2人にそういった。
「へぇ、お前に夢を見てそれに左右される神経があったとはな。」
「ちょっ!それ酷くないか!?」
「あははは!雄介、面白いけどちょっと酷いわよ!」
雄介の冗談に真琴が反応し、それを裕子が傍観者として笑う。これの立ち位置の交換が繰り返され、朝のひと時を過ごす。
「あーい、お前らそろそろ席つけぇ。ホームルームだ。」
教室のドアをガラガラと音を立てて開け、生徒ではない男性が教室に入ってくる。
3人のクラスの担任である末原大樹だ。がっちりした体で、身長もそこそこあり、生徒からの信頼も厚い。一見体育教師だが、数学の教師だ。
生徒たちはそれぞれの席に座る。それを学級委員が確認すると、号令をかける。
その後、眠気を誘う退屈な話が続き、またチャイムが鳴ると1時間目の授業の準備の時間となる。
「さて、今日も一日頑張りますかね。」
真琴はそういって伸びをすると立ち上がり、ロッカーに国語の教材を取りに行った。




