7月4日 1
「ぐあああああ!」
末原は、借りているアパートの一室、布団の上で目が覚めた。
「何なんだ……あの夢は……神原んところの考えすぎか?」
自分の生徒の両親が奇形の少女を虐待している光景、そしてその後に向けられた『無邪気な笑顔』と掴まれた右腕。
「ぐっ……。」
末原は気づいた。右腕の感覚がなく、左腕が重いと。
「辰巳や美空と同じか……感染症かもな。」
末原は汗を吸ったタンクトップを脱いで、学校で来ている半袖とジャージの格好になる。
「生徒は休んでも……俺が休むわけにはいかんな。」
無理矢理悪い気分を吹き飛ばすように、ふっと微笑んだ。
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7月4日の朝、職員室は電話がなる数が少し多かった。そのほとんどが欠席連絡だ。末原のクラスが少し多かった。
「あの3人に加え、あいつらと特に仲が良かった奴らが欠席か……。」
末原は出席表を見てため息をついた。その理由を見て、さらにたまったもんじゃないことが分かる。全員、『腕に違和感を感じるため、大事を取って欠席』なのだ。普通の違和感程度なら学校には来れるが、とにかく『感覚がない』のは異常だ、と感じているのだろう。
これはますます感染症かもな、と末原は思ったが、心のどこかで否定をしていた。
職員会議を終え、朝のホームルームをすべく教室に向かうと、何人かの生徒の顔色が悪く、どことなく動きも不自然だった。
「えー、今の席を見ればわかるが、体調を崩して休む奴が多い。症状が共通しているから感染症かもしれん。夏とはいえ手洗いうがいはしっかりするように。」
そういって、体調が悪そうな生徒を観察する。
「今この場に体調悪い奴らも結構いるな。顔色も悪い。今回は皆腕の感覚がないか違和感を感じる人ばかりだ。無理をせず保健室にいったりしろよ。以上。」
体調が悪そうな生徒は末原の言葉にびくん、と反応した。末原はやっぱり、と思いながら、号令係の挨拶を聞いていた。
教室を出ていく際に、生徒たちの雑談の内容が聞こえた。
「なんか怖い夢見ちまってよ。」
「ああ、別の奴も言ってたぜ。なんか腕がおかしい女の子が虐待されてるんだろ?」
「そうなの、それでそのあと、その女の子に腕を掴まれちゃうんだけど、その笑顔がすっごく怖いんだって。」
「やあね、気持ち悪い……。体調が悪い人は皆同じ、その夢を見ているんでしょ?ラインで話題もちきりよ。」
(……あの夢、やっぱりおかしいな。)
末原は心でそう結論付けながら呻いた。
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「もう……一体何なのよ……。」
寝不足で痛む頭を押さえながら裕子は呟いた。また寝てはいけない気がして、夜通し雄介とメールで、意味のない相談をしていた。相変わらず右腕は何も感じないし、左腕は重い。そして、クラスのラインを見て、ついに自分たち以外にも同じ症状が出ている人がいることを知った。そして、その人たちは全員、『赤い服を着た奇形の少女』の夢を見たと言う。
「はぁ……何か本でも読も。」
ため息を吐くと、本棚から目についたある本を取り出した。
裕子は、ある小説を読んだことがきっかけで、童謡などの意味や暗喩を読み取ることが趣味となった。共通の趣味を持つ友達がおらず、寂しい思いをしていたが、中学生のころに奇しくも真琴や雄介と出会い、意見を共有する相手が出来た。
当然、裕子の部屋の本棚はその趣味に則った本が多い。童話の研究や童謡歌集、はてはもっと突飛なものまでたくさんあった。
取り出した本の題名は『こっくりさんの意味』と題がふられた本だ。
「あの女の子が遊んでいた……。」
何かの参考になるかもと、その本を開く。
「……。」
無言で読み進めていく。
始めには、こっくりさんの遊び方が書かれていて、その後に様々な意見が乗せられている。
科学的見地によると、人間が無意識に10円玉を動かしているとのことだ。潜在意識によって無意識に体が動いて、10円玉を動かすとされている。
その反対に、これは降霊術の一種だと言われている。神様を人間に憑依させて神託を受けるのと同じように、ものに『何か』を宿らせて疑問を聞く、というものだ。一般的に、狐や狸などの低級霊や自然霊、または『死んだ子供の霊』がこっくりさんの正体と言われている。
ここまで読んで、裕子は本を閉じた。次に目についたのは『童謡研究所』と題がふられた本だ。その本をぱらぱらと開き、『通りゃんせ』のページに目が留まる。
「これはあの子が遊びたがっていた……。」
そう呟きながら、裕子は読み進めた。
始めに遊び方が書いてあり、その後に様々な説が載っていた。
歌の意味として、真っ先にあがる候補が『関所が舞台』という説だ。出立の際は緩いが、入る際は審査が厳しかったことが挙げられる。
しかし、それだと他の歌詞の意味が通じないのも事実だ。
1つの説として、これは『生贄説』が挙げられる。関所の人に嘘をついて子供と一緒に外に出て、子供を捨てて帰ってくる。この際、子供がいないことをいぶかしんだ関所の人が厳しく取り調べてくるため、『行きはよいよい、帰りは怖い』となるわけだ。これは、飢饉で困った結果、口減らしと神への生贄を同時に行った、ということがある。故に、どんなに怖くてもやらなければならず、『通りなさい、通りなさい』となるのだ。
「通りなさい……か……。」
裕子は本を閉じて、ベッドに寝転がった。そのまま寝てしまいたいが、結局我慢する。
「どこを通ればいいのかしら……天神様のお通りか……。」
何もできない現状は、裕子にとって耐えがたいものだった。
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「はぁ……どうなってんだこりゃあ……?」
雄介は携帯電話をいじり、クラスのラインを見て呻いた。そこに書かれているのは、夢の内容と腕の異常についての話しだ。
「あいつも、あいつも、うわ、こいつもか……。」
腕に異常をきたした友人の名前を見て、雄介は顔を顰めた。
睡眠不足で痛む頭を抱えながら雄介は愚痴を漏らす。
「くっそ、原因も分かんねえのになんてことになってるんだよ!」
睡眠不足とストレスで、情緒不安定になっていた雄介は、思わず本棚を蹴り飛ばした。バサバサッといくつかの本が落ち、自己嫌悪を感じながら雄介は本を片付け始めた。
雄介は心理学が好きだ。人の心はこの世の何よりも複雑で単純なもの、と雄介は思っている。自分の心の真意すら分からないのに他人の心なんか、と雄介は思っていたが、テレビで心理学の番組を見て、小学生のころにはまった。動作や表情などで嘘をついているかどうかを当てて見せている心理学者を見て、これは凄いものだ、と感じたのだ。それ以来、その勉強に熱心になった。その流れで、童話や童謡の歌詞に隠された心理、というのにも興味を持ち始めたのだ。共通の趣味を持つ友人はいなくて、多少寂しい思いはしていた。だが、中学校で真琴を通して裕子と出会い、仲間が出来た。3人での雑談や相談、持論を語り合っているときはとても楽しかった。
当然、雄介の部屋の本棚はその手の本でいっぱいだ。雄介はそういった本を片付けているうち、1つの本に目が留まった。
「『夢見る心理学読本』、か。」
夢、という字を見て、今の現状のヒントが載っているかも、と感じてその本を開いた。
夢とは、簡単に言えば記憶の整理だ。パソコンのデータをこまめに処理するようなもの、と考えてくれればよい。記憶とは、ある意味ではその人物を構成する最大の要素といえるだろう。だからこそ、夢というのは心理学的に見ればとても興味深いものだ。人物を構成する要素として、大きく取り上げられるのは『人間関係』もあるだろう。これも『記憶』の一種だ。夢を辿っていけば、もしかしたらその人物が抱える本当の人間関係が見えるのかもしれない。
「今読んでみればわかるけど、結局これといった結論出てねえな。」
雄介は苦笑しながらその本を閉じて本棚に戻した。
「人間関係と夢、ねぇ……っ!?」
雄介は思い出した。先ほどの腕に異常が出たメンバーを。真琴から、自分と裕子を通じて、『それぞれの仲のいい友達』が腕に異常が出ている。
「これは、関係があるんじゃねえか……?」
雄介は怖気がして、ぶるる、と震えた。雄介はそれを無理やりクーラーのせいにして、温度を上げた。