第三章 正しすぎる鎮火
【ここまでのあらすじ】
月曜九時、切り取られた二十三秒の動画が啓明ライフシステムズを燃やした。四十七分の元映像には続きがあり、野々村志穂の発言は意味が逆だった。投稿動画には、社内訓練用コピーの識別子まで残っている。出せる事実はもう揃っている。それでも最高リスク・信頼責任者の佐伯諒は、批判の論点が出切るまで待てと公表を止めた。翌日午前十時には、国の最終審査が控えている。
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午前十一時二十四分、炎上は三分後に消えることになっていた。
第七会議室の大型モニターに、公開待ちのページが映っている。
元映像、四十七分十二秒。拡散された二十三秒との波形比較。編集で落とされた発言の文字起こし。切断箇所をフレーム単位で示した解析表。報道向けの想定問答は、十一問まで揃っていた。
危機の最中に作った資料には、たいてい急いだ人間の指紋が残る。番号が一つ飛ぶ。見出しの太さが違う。昨年の社名が隅に生き残る。
この資料には、それがなかった。
「表題、『完全版』から『元映像』へ直しました」
大和田が言った。
『長さは完全性を保証しませんので』
モニターの九条が言った。
「法務が午前中に同じことを二回言うの、珍しいですね」
真帆が投稿推移から目を離さずに言った。
『一回で直らなかった場合は繰り返します。法務も人間に対応しているので』
「その言い方だと、法務は人間じゃないみたいです」
『否定する必要を認めません』
塔子は公開文を上から読み直した。
〈本日拡散された動画は、当社の社内検討会映像の一部を編集したものです〉
捏造、悪意、法的措置。強い言葉はどれも外してある。まず見せる。判断は見る側に渡す。その順番でいい。
塔子はチームのチャットに指示を書いた。
〈元映像を先に。編集点はそのあと。「捏造」と断じるのは、映像を見せる前に結論を押しつける〉
送信しようとしたとき、梨木が言った。
『元映像を先に、編集点はそのあとでいきましょう。「捏造」と断じるのは、映像を見せる前に結論を押しつけます』
塔子の指が、送信ボタンの上で止まった。
「今、私の画面見えてます?」
『共有されているのは公開ページだけです』
梨木はいつもの微笑みを崩さない。
「偶然ですか」
『定石です。久瀬さんも私も、同じ仕事をしていますから』
「僕は、その、半歩後ろですけど」
大和田が言った。
「大和田、卑屈になるところじゃない」
「すみません。追いつこうとしただけです」
野々村が、公開文の末尾を指した。
「ここ。『当社社員の発言について』じゃなくて、『当社が公開した映像について』にしてください」
「理由を聞いても?」と塔子。
「私だけの問題に戻されたくないからです。社内で撮って、社外へ渡して、切られた。私の口だけで起きたことじゃない」
「直します」
『同意します。責任主体も明確になります』
九条が言った。
十一時二十六分。松永が腕時計を見た。
「風向きは」
「向かい風。批判投稿の増加は鈍化。黙って見ていた層が、そろそろ説明しろと言い始めてます」
真帆が答えた。
「雨雲は?」
「室長の天気予報を待つほど暇じゃないです」
「危機のときだけ部下が気象庁より冷たい」
塔子は野々村を見た。
「出します」
「どうぞ。今度は途中で切らないで」
午前十一時二十七分。
塔子は公開ボタンを押した。
会社サイト、公式アカウント、報道関係者向けメール。大和田が三つの反映を確認する。
「サイト、公開。公式、投稿。メール、送信済みです」
「元映像、再生できます」
真帆が言った。
十五秒後、最初の反応がついた。
〈これ、前後を切って意味を逆にしてるじゃん〉
「語彙は軽いですが、仕事は正確です」
三十秒後、波形比較の画像が転載された。一分後には、二十三秒版と元映像を左右に並べた動画が作られた。
〈会社かわいそう〉
〈ちゃんと全文出したのは偉い〉
〈切り抜きで叩いてた人、消す前に謝れ〉
画面のグラフが折れた。赤い線が頭を下げ、青い線が追い越していく。
「直近二分、擁護が批判を超えました」
真帆が言った。
「世論、謝罪より手のひら返しが速いですね」
「返してくれるだけ、手のひらは良心的だ」
松永が椅子へ深く座った。
「雨雲が引いた」
「さっきまで横殴りでしたけど」
「広報室長の天気は、結果を見てから当たる」
社内チャットに拍手の絵文字が並び始めた。営業本部から〈迅速な対応ありがとうございます〉、社長室から〈明日の審査への影響は限定的と見ます〉。
二時間待たせた会社へ、迅速という言葉が届いている。
大和田が野々村へ言った。
「よかったです」
「何が?」
「野々村さんの言葉が、野々村さんのところに戻って」
野々村は一度だけ瞬きをした。
「それなら、まあ。よかったです」
小さな拍手が起きた。最初は大和田、次に松永。真帆は片手で二度だけ机を叩き、九条は画面の向こうで会釈した。
塔子も息を吐いた。
そのとき、公開用データのプロパティが目に入った。
ファイル名は〈LINO映像検証資料_公開版〉。最終更新、月曜午前十一時三分。
作成、金曜午後八時十四分。
「梨木さん」
『はい』
「この資料、金曜からあったんですか」
拍手が止まった。
梨木はプロパティを確認し、すぐに頷いた。
『演習用テンプレートです。金曜のナラティブ耐性化演習で作った形式を複製して、今日の映像と波形へ差し替えました。元ファイルの作成時刻が残っています』
「今日の事案に、ずいぶん合ってますね」
『そのための演習ですから』
返答は速く、形もよかった。
『ファイルの来歴としては成立します』
九条が言った。
「成立する、は、正しいと同じですか」
『いいえ。説明可能という意味です』
塔子は、送らなかった自分の指示文を閉じた。
「真帆。八時五十六分の警報、回答は」
「監視会社から来てます。『収集サーバの時刻補正による表示上のずれ』」
「梨木さんは、テスト用キャッシュを先に拾った可能性と言いました」
『初動時点の仮説です。矛盾はしません』
「情シスは、監視側も社内側も時刻同期済み。最大誤差は〇・四秒だそうです」
真帆が補足した。
「四分ずれる時計は、時計じゃなくて意見です」
松永が眉間を押さえた。
「まずは監視会社へ再照会だ。今は鎮火を――」
報道専用の電話が鳴った。
大和田が表示を見た。
「新聞社です」
塔子が受話器を取り、スピーカーへ切り替えた。
「啓明ライフシステムズ、広報の久瀬です」
『東都新聞社会部です。先ほどの公表資料を確認しました。拡散された映像が編集されていたことは、こちらでも確認しています』
「お問い合わせを伺います」
『そのため、弊紙で入手している資料についても、真正性を確認し直しています』
塔子はペンを取った。
『NAGI導入後の三件も、御社は捏造だと回答するんですか』
ペン先が紙に触れないまま止まった。
「NAGI、ですか」
真帆が検索窓へ入力する。野々村は塔子を見た。大和田の指が、通話記録の上で固まっている。
『ご存じないんですか』
「三件とは、何の三件でしょうか」
『照会書を再送します。回答期限は十一時五十分でお願いします』
通話が切れた。
誰もすぐには口を開かなかった。
佐伯だけが、腕時計を見た。
「残りは」
「七分です」
NAGIも、三件も、塔子は知らない。
塔子は紙に二つの語を書いた。佐伯は、腕時計から目を上げなかった。
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次章へつづく。




