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第一章 午前八時五十六分の警報

【あらすじ】

月曜、午前八時五十六分。まだ誰も投稿していない炎上を、監視システムが先に知らせた。四分後、介護施設向けの見守りシステムを手がける会社の広報室に、二十三秒の切り抜き動画が届く。切り取られた言葉。揃いすぎた怒り。翌朝に迫る国の最終審査。広報の久瀬塔子は、確かめられる事実だけを手がかりに、消えた四分の意味を追いはじめる。誰が火をつけたのかではなく、誰が順番を決めたのか。

企業広報の二日間を描く、お仕事サスペンス。

午前八時五十六分、久瀬塔子のパソコンは、まだ起きていない炎上を知らせた。


画面の右下に赤い通知が出ている。


〈CRITICAL 啓明ライフシステムズ/高齢者差別/急上昇〉


塔子は通知を開いた。


投稿件数、ゼロ。


推定リーチ、ゼロ。


関連アカウントも、ゼロ。


「真帆」


向かいの席で、椎名真帆がイヤホンを片方だけ外した。


「寝坊の相談なら、始業四分前は手遅れです」


「まだ燃えてない炎上で、警報が出てる」


「それは寝てるあいだに進化しましたね、うちのシステム」


真帆が椅子を滑らせてきた。月曜の朝から機嫌が悪そうに見えるが、これは平常時の顔である。機嫌がいいときも、だいたい同じ顔をしている。


「予測通知?」


「その契約、先月切りました。予言は費用対効果が説明できないので」


「じゃあ、バグ」


「バグは費用対効果を説明せずに来ますからね」


真帆は自分の端末から同じ監視画面へ入った。検索窓に会社名、製品名、役員名を順に入れる。何も出ない。


「スクショ」


「もう撮りました」


「時刻入り?」


「先輩、私を誰だと思ってます?」


「始業四分前にイヤホンをしてる人」


「評価がログより雑」


午前九時になった。


ゼロだった投稿件数が、一になった。


匿名アカウント〈KLS INSIDE〉の投稿には、二十三秒の動画が添えられていた。


映っているのは、居室内の転倒や呼吸異常を検知して職員端末へ知らせる、介護施設向け見守りシステムLINOの社内検討会だった。


会議室の大型モニター。その前に立っているのは、ユーザー体験責任者の野々村志穂だった。グレーのカーディガンの袖を肘まで上げ、画面に映った操作パネルを指している。


『認知症の人には、選択肢はいらない』


そこで映像が切れた。


無音の黒画面に、白い文字が出る。


〈これが、啓明ライフシステムズの本音です〉


右下には小さく、KLS INSIDEという欄外記号が入っていた。


「お手本みたいな切り抜きですね」


真帆が言った。


「何のお手本?」


「教材にしたくないほうの」


塔子は動画をもう一度再生した。野々村の口は、最後の「いらない」のあとも、次の音を作りかけている。


「原本」


「探します」


背後から声がした。大和田陸が、鞄を肩にかけたまま立っていた。片手にはコンビニのコーヒーが二つある。


「広報共有庫にあると思います」


「思います、を検索語にしないで。持ってきて」


「はい。コーヒー、どっちかいりますか」


「蓋が閉まってるほう」


大和田は両方の蓋を確かめてから、一つを塔子の机に置いた。


「今ので十二件」


真帆が言った。


「十四。十九。あ、広告代理店勤務を名乗る人が拾いました。ここから速いです」


「本人のアカウントは?」


「まだ動いてません」


「止めて。野々村さんには、こちらから連絡するまで投稿しないように」


大和田が足を止めた。


「でも、言ってないなら、本人がすぐ全文を出したほうが――」


「言ってないかどうかを、私たちはまだ確認してない」


「口、続き動いてますよ」


「口の動きは証拠。続きの内容は推測」


大和田は一秒だけ不服そうな顔をし、それから頷いた。


「原本、取ってきます」


九時二分、危機対応用のチャットルームが立ち上がった。


九時三分、投稿は百件を超えた。


九時四分、総務が第七会議室を押さえた。


そこへ向かう途中、広報室長の松永岳が、ネクタイを締めながらエレベーターから降りてきた。


「月曜朝の雨は、会社員の傘を横から折りにくるな」


「外、晴れてますよ」


真帆が言った。


「比喩の傘くらい差してくれ、椎名」


「経費で落ちます?」


「折れたら申請して」


松永は歩調を落とさず、塔子へ手を出した。塔子はタブレットを渡す。


「事実は」


「九時に匿名投稿。社内検討会らしき動画、二十三秒。野々村さんの発言は途中で切れている可能性が高い。原本確認中」


「世間は」


「高齢者差別。製品不買。役員辞任要求まで出始めてます」


「会社は」


「まだ何も言ってません」


「よし。三つとも混ぜるな」


松永はタブレットを返した。


「あと、最悪なのは炎上そのものじゃない。明日の午前十時、国の地域包括ケア基盤の最終審査だ」


「落ちれば、二百施設への導入計画が止まる。取締役会には、LINO事業の売却案まで出てる」


「延期は」大和田が訊いた。


「国は、弊社の都合に合わせて老いてくれない」


「そういう意味では聞いてません」


「分かってる。却下だ」


第七会議室には、十二人用の机と二十人ぶんの椅子があった。危機のときだけ人が増える会社の癖を、家具が先に覚えている。


大和田が原本の探索を続け、真帆が壁面モニターへ投稿推移を映す。塔子は一次回答の下書きを開いた。


〈現在、事実関係が確認されています。関係者の皆様にご心配を――〉


「誰が?」


隣で入力していた大和田が手を止めた。


「はい?」


「誰が確認してるの」


「当社が」


「じゃあ、当社が確認中。『確認されています』だと、確認してる人間が消える」


「そこ、今そんなに大事ですか」


「今だから大事」


大和田が受動態を消したところで、モニターに九条郁美の顔が映った。法務・コンプライアンス室からのリモート参加である。


『謝罪しないでください』


「おはようございますより先に禁止事項」


真帆が呟く。


『法務の挨拶は、おおむね禁止事項です』


九条は真顔だった。冗談かどうかを判別する作業は、聞き手に委託されている。


「謝罪案はまだありません」と塔子は言った。「原本の確保、公開可能範囲の確認、それから投稿群を――」


『自発、誘導、転載に分ける。その間、一次回答は出さない』


別のウインドウから梨木円が続けた。啓明ライフシステムズと危機対応契約を結ぶ、アークライン・ストラテジーの担当者である。


梨木の画面だけ、映像が一拍遅れた。背後のガラスには、誰もいない会議室が映り込んでいる。


『ですね、久瀬さん』


「私の会議を、一行先で進めないでもらえますか」


『遅い危機管理は、回顧録ですから』


梨木は微笑んだ。いつも相手が言い終わる半歩前に立っている。その距離を頼もしいと思う日もあれば、靴の踵を踏まれているように感じる日もある。


『九時十五分までに初動の系統を出します』


「八分で?」


『もう始めています』


九時七分、佐伯諒が入室した。


最高リスク・信頼責任者。肩書だけなら、火災報知器と消火器を同時に持っているような男だった。


「野々村は」


「本人発信を止めています。原本確認中です」


「結構。論点を増やすな。問われているのは発言の真正性だ。製品仕様、とくに夜間運用の話へ広げないこと」


塔子は顔を上げた。


「夜間運用?」


「高齢者の見守り製品なら、記者は必ず機能の話へ持っていく」


「今回は、まだ発言の問題です」


「だから、そのままにしておけと言っている」


佐伯は空いている上座へ座った。


「十一時までに収束案を。明日の審査へ影響させない」


真帆が、モニターのグラフを拡大した。


「収束の前に、変なのが一個あります」


「一個?」松永が訊く。


「正確には四十一個」


画面には、最初に動画を投稿した匿名アカウントを中心に、四十一の点が並んでいた。


「投稿時刻は九時ちょうどから一分二十秒のあいだ。文面は全部違います。介護経験者、広告関係者、人権アカウント、投資家、医療従事者。入口も人格も、きれいに分けてある」


「ボットか」佐伯が訊いた。


「ボットなら、もっと雑です。これは人間に見えるように、投稿を遅らせるところまで作ってます」


大和田が画面へ近づいた。


「四十一人が、たまたま同じ時間に見た可能性は」


「月曜の九時ぴったりに、全員が同じ二十三秒を見つけて、別々の完成した怒りを書いた?」


真帆は大和田を見た。


「そこまで仲がよかったら、炎上じゃなくて社員旅行です」


笑ったのは松永だけだった。


真帆は、八時五十六分の警報と、九時ちょうどの最初の投稿を、同じ画面へ並べた。


「これ、燃えたんじゃないです」


会議室が静かになった。


「配られてます」


塔子は、八時五十六分の通知を削除せずに保存した。

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