[SIX PATHS 021] 神器・如意金箍棒
# The Ruyi Jingu Bang:
星の輝きを遮る街灯りが消えた横浜の夜空は、畏怖を感じるほど綺麗だった。
長大な刀身を覆っていた闇は霧散し、氷の刃が月明かりを受け入れて、青白い光を返した。
俺の全身を駆け巡っていたリリスの魔力が、徐々に薄れていくのを感じた。
本来の強度へ戻った俺の肉体では、支えきれなくなった巨大な氷刃が、ずがあんっと轟音を立てて倒壊したビルに突き刺さった。
その魔法の刃も、青白い粒子となって夜空へ還っていく。
俺は、ふっと身体から力が抜け、その場にぐらりと崩れ落ちかけた。
慌てた様子で駆け寄ったリリスが、俺を抱きとめた。
戦いで熱を帯びた彼女の高い体温が、直接伝わってきた。
汗でぐっしょり濡れた黒い法衣から漂う匂いと、彼女の身体の匂いが混じり合う甘い色香が、ひどく俺を刺激した。
眉根を寄せた彼女は、見上げるようにして、碧い瞳をこちらへ向けた。
「ソ、ソースケ! ……だ、大丈夫か?」
俺の腕に押し付けられたリリスの大きな胸の、ふにゅりと形を変える柔らかさに、意識をもっていかれそうになる。
(うへっ、死線の直後だと刺激が強すぎるな……。駄目だ、そんなことばっか言ってたら嫌われるぞ)
俺は頭を振って邪な気持ちを振り払い、リリスの小さな手をそっと握った。
姿勢を正すと、彼女にうすい笑みを向けた。
「あ、ああ。気が抜けただけだ。……心配させた直後だもんな。……ごめんな」
「……いや。よくやり遂げた。さすが私の下僕だ。褒めてやる」
「ありがとう。へへ……零回になる日も近いな」
俺の最後の言葉を聞いたリリスが、わずかに眉を上げた。
とても不機嫌になった。
ぱっと見た様子では表情の変化はほとんどないが、俺には分かるのだ。
なぜだ。
いつものやり取りじゃないか。
(……いやよく考えたら、リリスだって女の子なんだ。俺は軽口のつもりでも、激闘を超えるたびに毎回言うんじゃ、うんざりしちゃうよな。きちんと自制しよう)
俺は腕を組もうとして、刀をどうしたものか考え、アスファルトにざくっと突き刺した。
鞘がないと不便だな。
俺の手を離し、胸元で腕を組んでこちらを見上げたリリスは、左手で額を抑えながら大きく息を吐いた。
「はぁ……。実に馬鹿馬鹿しい。断言するが、お前の考えていることは見当外れだ。まあよいか。犬と下僕は多少馬鹿なくらいが可愛いといえる」
「いきなり罵倒するなよ。誰が犬だ。……なんだかよく分からないけど、まあいいか」
たったったっと軽い足音が聞こえた。
そちらへ顔を向けると、水色の髪を揺らすリゼさんが駆け寄るのが、視界に映った。
細い両腕を俺の腰に伸ばした彼女が、ぎゅっと俺を抱きしめた。
「宗介君、大丈夫!? ううっ、よかったねえ……」
リゼさんの大きな胸が、俺の胸板にぐにゅぐにゅ押し付けられ、卑猥に形を変えた。
彼女は、潤んだ瞳でこちらを見上げながら、俺の背中を細い指でつつっとなぞった。
背筋を突き抜ける甘い刺激に、俺の背筋がびくりと伸びた。
「うへあ!? ……え、ええ。皆が助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
愛莉が一歩前に出ると、細い腕でリゼさんの襟首を掴んだ。
その細腕からは想像できない筋力を発揮し、片腕だけでリゼさんを持ち上げて、俺から引き剥がした。
ぷらぷらと宙に浮いたまま、リゼさんが口を開いた。
「ちょっと、愛莉。邪魔しないでよ。男なんか、興奮させちゃえばこっちのものなのよ。ふふふ……」
「尊敬しているのですから、そういう発言はやめてください。普段の兄さんと大差ないですよ……宗介君、また強くなりましたね。姫君との連携には美しさすら感じました」
「うんうん! 宗介君、格好良かったよ!」
眠そうな表情に、珍しくはっきりと不機嫌を浮かべたリリスが、俺の前に立った。
彼女の全身がうっすらと紫色の光を放っていた。魔力が漏れている。
苛立ちを含んだ声音で、リリスが言った。
「おい、リゼロッテ。私の下僕に気安く触れるでない。さきほどの恩に免じて、一度は許してやる。だが、次、ソースケに色目を使ったら殺す」
「まあまあ、落ち着けよ。リリス」
俺は、真下に見えているリリスのつむじを可愛いなと思って、金色の髪に手を乗せた。
頭を撫でられたリリスが、碧い瞳をこちらへ向けた。
「ふん! 主人の頭に手を乗せるなど無礼だぞ。……だが、今日は頑張った褒美に許してやる。もっと撫でろ」
「へいへい」
彼女たちの後ろで、呆れたように俺たちの様子を見ていた海斗さんが、口を開いた。
「あれほどの激闘の直後だというのに、お前らは元気だな。宗介、素晴らしい戦いぶりだった」
「海斗さんが、あのときブリーフィングに連れて行ってくれたおかげで、状況が分かりました。何も知らなければ後悔するところでした。ありがとうございます」
「お前の力が、必要になるのではないかと思っただけだ。結果は想像以上だったがな。宗介、頼みがある。手の空いたときに、俺を迷宮へ同行させてくれないか。お前の師……名はリリス殿だな? 少しでいい。彼女に魔導の叡智について尋ねたい」
俺は、リリスのさらさらとした触り心地のいい金糸のような髪を撫でながら、答えた。
「いいですよ。今度、一緒に行きましょう。いいよな? リリス」
「呆けすぎだぞ、ソースケ。私がこやつらの言葉が分からんのを忘れておるだろう」
「あ!?」
まずい。完全に気が抜けていた。
そういえば、偽装魔法はどうなっているんだ?
俺には効果がないから分からない。
あれ!? そういえば俺の再生も見られたんじゃ……。
「リリス、偽装魔法って……」
「……すまん。強度を上げるような余裕はなかった。今かかっている偽装魔法に、この近距離でレベル90超えの探索者を誤魔化せるほどの効果はない」
俺は、おずおずと様子を窺うように海斗さんを見た。
海斗さんが、苦笑しつつ言った。
「心配するな。ある程度は愛莉から聞いた。今さら、お前が死人であることなど、どうでもいい。ましてや、リリス殿の耳の長さなど何とも思わん。やったことは間違いなく英雄の行いだ。なあ、純也?」
少し離れた位置で、何かを確認するように周囲を見渡していた純也さんがこちらへ視線を向けた。
「あのなあ、海斗。そりゃ、別に宗介君がアンデッドだろうが彼女がエルフだろうが、個人的にはどうでもいいさ。けど、これはそんな簡単な話じゃないぞ。ま、その件はまた個人的に話そう、宗介君。会社に密告はしないから安心してくれ。そんなことしたら、愛莉に寝首をかかれるからな」
「あ、ありがとうございます」
純也さんは、肩を竦めて答えた。
「気にするな。それより、皆忘れてるだろう。ここに俺たちが来た目的は、核攻撃を止めるためだぞ。天界人はその障害だ。さっさと鎮圧を報告しないといけない。宗介君、戦った天界人の人数を教えてくれ」
「……あ、そ、そうか。ぜんぶで四人です。全員の死体が近くにあるはずです」
「俺たちが来る前に、あの格の敵を三人倒していたのか? 凄まじいな……」
「あの斉天大聖みたいなやつが、異常だっただけで、最初に戦った三人は普通に強い程度だったんですよ」
少し思案してから、純也さんが言った。
「だとしても驚きだ。まあいい。……宗介君、政治の話だ。彼女さんの件、そして君の肉体の特殊性。このふたつが重要な秘密だな? これを確実に隠すためには、ひとつ真実をばらしたほうがいい。そうだな……君の飛び抜けた戦闘力が最適だ。これを囮の情報にして重要な秘密から目を逸らす。それでいいか?」
「はい。飛び出す時に、ちょっと目立っちゃいましたからね。それでお願いします」
「ああ。ディエスさんは、今回の件で、間違いなく君に目をつけているだろうからな……。ではそれで進めるぞ。なに、頼れる兄貴に任せておけ」
「ありがとうございます」
純也さんと真剣に話し始めた俺は、リリスの頭を撫でる手を下ろした。
ちらりとこちらに視線を向けた彼女は、表情を変えないまま、俺の腕を掴んで自分の頭の上に戻した。
えらく、今日は甘えてくるな。……可愛いからいいけどさ。
俺は、優しく彼女の頭を撫でながら、純也さんに顔を向けた。
「それと、……実は会社を辞めようと思っています。俺は、あの天界人と同じことをするのは嫌なので。ですので、レベルや魔法剣はばれてもそれほど問題ありません」
「ま、ほとんどの探索者は他世界に人がいることを知れば同じことを言うだろうな。会長の方針は性急すぎるんだ。今回の件を受けて、グループ全体で何かしらの動きが起きると俺は予想している。だから、すぐに辞表を出すのはやめておけ。……このタイミングだと、拘束される可能性すらある」
俺と純也さんのやり取りを聞いていたリゼさんが、目を見開いた。
「ええ! 宗介君、会社やめちゃうの!? じゃあ、わたしもついて行こうかな。ねえねえ、起業しようよ。宗介君が社長で、わたしが社長秘書ね。出資金は任せなさい」
「リゼさんの支援魔法は、彼に使えないのですから、ついていく意味はないのでは? むしろ私が行きますよ。お金も私が出します」
「ふふふ。甘いわね、愛莉。わたしには魔法だけじゃなくて、この柔らかな身体があるの」
ずがん、っと音を立てて氷の槍がリゼさんの足元に突き刺さった。
「リゼロッテ、その口を閉じろ。言葉はわからんが、なぜだかとても不快だ」
◇ ◇ ◇
純也は笑みを消し、小さく息を吐くと姦しく騒ぎ続ける宗介たちから視線を外した。
燃えるような赤い髪が、夜風を受けてさらさらと揺れた。
彼は、ぼろぼろになった白いコートの内側に差していた軍用の通信機に手を伸ばした。
少し思案した彼は通信機を使うのを止め、腰の鞄からスマホを取り出した。
軍に報告するより、ディエスに直接通話したほうが早いし確実だろうと考えたからだ。
彼は、ふと顔を上げた。
臓器の零れ落ちる断面を晒した、斉天大聖もどきの上半身が目についた。
罅割れたアスファルトに、崩壊したビルの瓦礫が散乱している。
純也の思考が、しばしの間逸れた。
純也は極めて理知的な青年であり、自分がただの天才に過ぎないことを自覚していた。
迷宮踏破など望むべくもない。
いつか道半ばで生命が潰えるだろうと考えていた。
だが、宗介との出会いが、厭世観に染まっていた純也の視野を広げた。
浜名湖迷宮での水竜戦。
純也からしてみれば、宗介が見せてくれたものは強大な魔物を斬り裂いたという、単純な事実ではない。
あのとき、渋谷宗介という少年は運命を捻じ曲げたのだと感じていた。
そして今日、彼は強大な侵略者を討伐した。
純也は、そのことに対する受け取り方が、愛莉たちとは違っていた。
黒い魔法剣の異常さや、精神力の強靭さなど副次的なものだ。
重要なのは、彼の周りでは世界が揺らぐことだ。
ひときわ大きな声で、リリスとリゼが罵り合い始めたのが聞こえた。
「Dixi enim tibi, ne eum tangeres! Sōsuke mammārum tuārum nihil curat!」
「何言ってるかわからないのよ! なによ、別に本当に付き合ってるわけじゃないんでしょ!」
「リリス、落ち着けよ。リゼさんも……なんで、言葉が分からないのに喧嘩できるんだ」
「宗介。お前、女難の相でもあるんじゃないか」
海斗まで混じって盛り上がっている。
呆れた純也は苦笑いを浮かべ、宗介たちへ視線を向けた。
「うるさいぞ、お前ら。通話するから静かにしていてくれ」
「あっ、はい! ほら、リリス。頭撫でてやるから落ち着け」
「Hm. …Heus, verticem meum noli vexare.」
可笑しそうに鼻で笑った純也の耳に、スマホから軽快な電子音が届く。
その呼び出し音を聞きながら、純也は宗介に視線だけを向けた。
(彼は、世界に大波を起こす存在だ。そばにいれば巻き添えで沈没するかもしれない。だが、本来なら届かない空へ跳ねることもできるかもしれない。今さら、コミックヒーローになりたいなんて考えちゃいないが……大事なことを思い出したよ。俺はエキストラにだけは絶対になりたくないんだ)
愛莉は、純也が宗介を利用することを警戒していたし、今回の行動にも不審を抱いていた。
だが、彼女は自覚していないが、どちらも妹の贔屓目に過ぎない。
純也の行動理念は至極単純で、合理的だ。
宗介への好意や恩返しも兼ねて、彼を有象無象から守り、ついでに自分の人生のステージを引き上げてもらおうと、ただそのために動いているだけだった。
純也の耳に、ディエスの冷徹な声がスマホ越しに届いた。
「――ディエスだ」
「星川です。スタンピードの対象は天界人四名。全員を殲滅し、鎮圧を完了しました」
「そうか。報告を続けろ」
純也は、ディエスが求めているであろう情報から順番に伝えていく。
「天界人の死体がほぼ完全な形で現存。こちらの死傷者は無し。渋谷も現場にいます。付近の生存者は絶望的だと思われますが、このあと周囲を捜索します」
「他世界人の完全な死体が残っているのであれば、核攻撃など即時停止される。よくやった。星川、お前は救助活動に参加する必要はない。現場調査の指揮を取れ」
矢継ぎ早に続くディエスからの質疑に、的確に答える純也の視界に、金色の光を放つ何かが映った。
眉根を寄せた彼は、ディエスと通話を続けながら、そこへ歩み寄った。
「……はい。……はい。……可能な限りは。……そうです。……それは通話で話すのは止めておきましょう。……ええ。では」
通話を終えた純也は、スマホを鞄へ仕舞い込みながら、光のもとへ辿り着いた。
そこへ視線を向けると、うっすらと金色の光を帯びた棍が転がっていた。
(あの天界人が持っていた武器じゃないか。宗介君が、真っ二つにしていたはずだが。……魔力で復元したのか? ははっ。見れば見るほど、如意棒だな)
うすい笑みを浮かべた純也は、何気なく棍へ手を伸ばした。
鉄製の棍にしか見えないそれが、一瞬ぶわりと金色の光を放った。
純也は、右手で持った棍をくるくると手元で回してみた。
ひどくしっくり手に馴染む棍をまじまじと見つめていると、宗介が上げた大きな声が聞こえた。
そちらへ視線を向けると、リリスが、宗介を両腕で抱き上げていた。
慌てた様子で抗議する宗介が口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。リリス! 俺は皆と話したあとタクシーで帰るよ!」
「うるさい。下僕のくせに、他の女にでれでれとしおって。もう我慢できん。一緒に帰るか、女どもを皆殺しにするか選べ」
「無茶苦茶言うなよ! 分かったから! 一緒に帰るよ。けど、せめて純也さんの通話の結果だけでも聞いてからにしよう! な!?」
「待てない。ではな、アイリ、リゼロッテ。あとお前はカイトだったか。そして、ジュンヤ。お前たちの名は覚えた。手助け感謝する」
純也は目をわずかに見開き、肩に担いだ棍に視線を向けた。
紫色の魔力を解放したリリスが、ぐっと腰を屈めた。
自身の身体能力に魔力を上乗せした彼女が、勢いよく跳躍した。
空高く跳び上がった宗介たちを見上げた純也は、うすく口元を歪め、声を張り上げた。
「はははは! 宗介君、核攻撃は停止した。心配はいらない。今晩は、可愛い彼女のお願いを聞いておきな! じゃあ、またな!」
「は、はい! 純也さんもありがとうございました! また、落ち着いたら食事に行きましょう!」
倒壊したビルに足をかけたリリスが、眉を上げ、碧い瞳を純也へ向けた。
だが、彼女はすぐに興味を失うと、宗介を抱きかかえたまま、凄まじい速度で夜空へ消えていった。
◇ ◇ ◇
とぉん、とぉんっ、とリリスがビルの屋上を蹴って、夜空を跳んでいく。
今さら驚きはしないが、このまま走って帰るつもりなのだろうか。
俺が彼女と同じレベルになっても、こんなことができるようになれる気はしない。
抱き合うように彼女が伸ばした細い両腕が、俺の腰を固定していた。
肩へ担がれるような俺の向きは、彼女の跳ぶ方向とは逆だから、視界に映るのは金色の髪と、ぎりぎりで彼女の横顔くらいだ。街のネオンも見えてはいるが、リリスの輝きに比べればないも同然だった。
まぶたの半分落ちた彼女の相貌に、月明かりが浮かべる陰影は本当に綺麗だ。
夜風に流れる金糸のような髪が、きらきらと光を零すように輝いていた。
「なあ、リリス」
「ん。なんだ?」
「……俺さ、強くなったかな?」
「ん。うむ。立派な剣士になった。きっと、六界巡りもお前なら成し遂げられる」
少し感傷的になった俺は、リリスの首筋に回していた腕に少し力を込め、ぎゅっと抱きしめた。
まるで、子どもが甘えるような格好だ。
「あっ、あのさ。……俺は自分ではまだまだ、かなって。だから、さ。……もう少し一緒にいて欲しい」
「……ふっ。ふははは! なんだ、ソースケ。甘えた声で何を言い出すかと思えば。お前はユイには偉そうなくせに、本当に私には甘えた言葉しか吐かんな。たまには男らしくびしっと私に言ってみろ。ん?」
むっとした俺は、格好をつけた表情を作った。
抱きついた格好は、結局変わらないのだが。
「ず、ずっと、俺のそばにいろ!」
月光を返して宝石のように輝く、リリスの碧い瞳がこちらへ向いた。
彼女は意地悪そうな笑みを浮かべて、口を開いた。
「ふふふ。ずいぶん、可愛らしい殺し文句だ。……まあ、考えておいてやる」
夜空に浮かぶ月は丸く、とても大きかった。
# SIX PATHS 021 END




