[SIX PATHS 020] 斉天大聖との戦い 2
# Battle Against the Great Sage Equal to Heaven 2:
◇ ◇ ◇
リリスは、腰を屈めて地面に膝を突いた。
宗介に腕を伸ばしたリリスは、不安と恐怖からくる衝動を抑えきれず、いきなり抱き上げてしまった。
彼がどれだけ大怪我を負っても平然としていた彼女は、今、平静さを失っていた。
下半身と腕がまだない宗介の口から、ごぼっと血が漏れ出した。
白く美しい肌に血がかかることも厭わず、リリスは慌てた声を上げた。
「あっ、す、すまん。ソースケ」
かすかなうめき声を発する宗介の頬に、彼女の長い金糸の髪がかかった。
宗介の濁った瞳を見たリリスの喉から、つばを飲み込むごくりという音が鳴った。
彼女は、なぜこんなに視界が歪み、頬に濡れを感じるのだろうかと、不思議に思っていた。
宗介を癒そうとしたリリスから、煌々とした紫光を放つ膨大な魔力が立ち昇った。
平時の繊細な魔力操作など行うことはできず、彼女が願うがままに吹き荒れた魔力が起こした暴風が、辺りの残火を消し去り、瓦礫を吹き飛ばした。
転がっていた重量のあるチタン合金製の刀までもが、風に煽られて舞い上がり、くるくる飛んでいく。
切っ先から地面に落ちた刀が、大地にざくりと突き刺さった。
魔力が放つ紫色の光が、宵闇を照らしていた。
リリスは、猛る魔力をそのまま宗介へ一気に流し込んだ。
ときおり痙攣していた宗介の肉体が、わずかに落ち着きを取り戻した。
「い、痛みは消えたか!? 今すぐ治してやる! か、感謝しろ!」
膨大な魔力が、宗介の肉体を瞬く間に再生していく。
背骨がめきめきと伸び、ぬらりとした粘液を帯びた臓器がぐちゃりと組成された。
剥き出しの内臓を守る骨が生え、蠢く脂肪と筋肉がそれを覆い始めたのと同時に、神経が一気に奔った。
強烈な刺激を受けた宗介の身体が、大きく跳ねた。
「ああ! すまん! だ、大丈夫か!!」
リリスは、慌てて宗介をかき抱いた。黒い法衣を、跳ねた血が赤く染め上げる。
形を取り戻した彼の肉体を、皮膚が包んでいく。
無数の古傷が浮き上がった。
それは、アンデッドになる以前の二年間の探索者生活で負った傷だ。
リリスの法衣や肌に付着した血が、宗介のもとへずるずると這い戻り始めた。
周辺に飛び散っていたものも、持ち主のもとへ還っていく。
宗介の肉体が、完全に再生した。
それでも彼の瞳に光は戻らない。
口はわずかに開いたまま、肉体は反射行動だけを起こしていた。
リリスは、齢XXX歳を超える大魔道士だ。
その長い経験が、焦りで低下した思考とは無関係に警鐘を鳴らしていた。
再生の途中、脊髄を剥き出しにしたまま、宗介は意識を取り戻してしまった。
どれほど強靭な精神をしていようと、その激痛は人に耐えられるものではない。
そして、それ以上に問題なのは、魂が肉体喪失の事象を観測してしまったことだ。
死は普遍的なものだが、不死は真理に真っ向から歯向かっている。
精神を持つ生命は、因果を超えたものを現実だと認識できない。
それでも、リリスは声をかけ続けた。
「お、起きろ! お前は、あのとき輪廻すら拒否したではないか。そ、そうだ! お前が逝ったら、ユイはどうするのだ。一人で戦わせるのか! いいか、私はお前の代わりなど務めんぞ!!」
宗介の指先が、ぴくりと動いた。
リリスは、半分落ちていたまぶたをほんのり見開いた。
――声が、届いた。
真っ黒な魔力が、宗介の指先から漏れ出した。
傲慢な彼の魂は望まぬ因果を否定し、運命に抵抗し始めた。
徐々に勢いを増していく黒い魔力から迸る闇の粒子は、ひとつひとつが特異点だ。
すべてを消滅させる漆黒の魔力を、リリスは睨みつけた。
「ああ!? なんだ? ユイの名を聞いた瞬間に反応しおって。この妹好きが! ユイのことばかりか! あいつ以外どうでもいいのか……この阿呆が! 今、お前を抱きしめているのは私だぞ! 私のために格好つけていると言っていたのは口だけか!」
焦燥と苛立ちで、心がぐちゃぐちゃになったリリスは、やけくそのように大きな声を上げた。
「私のために起きろ、阿呆! ……ええい、零回にしてやるわ!」
闇を帯びた宗介の右腕へ、リリスは躊躇なく手を伸ばした。
小さな手が黒い魔力に触れた。――彼女は、消滅しなかった。
リリスは、ぐっと掴んだ宗介の右腕を、自分の胸元へ引き寄せた。
彼女の黒い法衣に包まれた胸元の豊かなふくらみに、宗介の手のひらがぺたりと乗った。
そのままリリスは、宗介の手のひらを、自分の胸にぎゅっと押し付けた。
彼女の大きく柔らかな胸が、ふにゅりと手のひらの形に沈む。
「ほら、こうしたかったのだろう? この不埒者が! ……ぁんっ。……ば、馬鹿なのか!? 揉んでないで、目を開けろ! 愚か者が!」
◇ ◇ ◇
なんだか、俺の右手が柔らかなものに触れた気がした。
意識が徐々に覚醒していく。
ひどく、ぼんやりとしていた。
まず、視界が霞んでいることに気がついた。
どうやら、目やにが溜まっているようだ。
俺は、右腕を伸ばしてぐいっと拭った。
ひらけた視界いっぱいに、リリスの美しい相貌が映った。
息がかかるほど近い距離にある彼女の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
いつもの仏頂面は崩れ、潤いのある唇がほんのり開いていた。
なんだかえっちだな、と思いながら俺は口を開いた。
「リリス、おはよう」
「……ああ、……ああ。……良かった。良かった、ソースケ……」
「……泣いているのか?」
「……お前のせいだ。……馬鹿者。……阿呆。……破廉恥軽薄色情男」
俺は、リリスの涙を拭おうと彼女の頬に手を伸ばし、自分の身体から黒い魔力が漏れ出していることに気がついた。
慌てて離れようとした俺を、彼女がぐっと抱き寄せた。
汗でぐっしょりと濡れた黒い法衣が、リリスのなだらかな肢体に張り付いていて、胸の輪郭が露わになっていた。
彼女の色香を強く感じる、じっとりした匂いが俺の鼻腔に届く。
俺は、なんとか彼女を引き剥がそうとしたが、リリスの筋力にはとても敵わない。
「リリス、離してくれ。危ない」
「心配いらん。以前、教えただろう? 魔力とは、至極都合のいい働きをするものなのだ。術者と、その魂が所有物だと認識しているものには影響を及ぼさない。……つまり、そういうことだ。ふふ、下僕のくせに生意気な心持ちだな?」
「……いや、さすがにそんな獣みたいなこと、俺は考えてないぞ」
「ふん。魂だと言っただろう」
意識がはっきりしてきた俺の耳に、凄まじい轟音が届いた。
そちらへ顔を向けると、スターウェイがあの天界人と戦っているのが見えた。
時間を稼ぐようなその戦い方を見て、なんとなく現状を理解した。
「リリス、離してくれ。行かないと」
「ん。戦うのか? ……このまま、逃げんか?」
「逃げるわけないだろ。……何のために戦ってると思ってんだ。風船とおっぱいのためだ」
「……は、はあ? ……そうか」
俺は、リリスを優しく剥がし、立ち上がった。
なぜか頬を上気させたリリスが、ぼそぼそと呟いていた。
「……触れられたのは初めてなのだが。これは……腹が立つな」
リリスの様子に俺は首を傾げたが、気にするのはやめ、周囲を見渡した。
地面に突き刺さった刀へ歩み寄る途中で、自分が全裸であることに気がついた。
とはいえ、戦いの最中に恥ずかしいという気持ちを抱くほど、俺は駆け出しではない。
刀を拾い上げた俺は、リリスへ視線を向けた。
いつもの仏頂面に戻った彼女は、何かに気がついたように眉根を寄せ、自分の頬に手を伸ばした。
少し慌てたようにした彼女は、袖で顔を拭い始めた。
そしらぬ顔をして彼女は立ち上がり、乱れた衣服を整えたあと、長い髪の後ろに手を差し入れた。
金糸の髪を後ろへ流しながら、彼女が口を開いた。
「ふ、ふん。まあいい。……おい、戦うにしても全裸は止めろ」
「ん? 男なんだから、このままでいいだろ。急がないといけないんだしさ」
「いいわけあるか、馬鹿者。お前は私の下僕なのだ。他の女の前に、そんな姿で立つでないわ」
「分かりましたよ、ご主人様」
微妙に甘ったるいことを言っている自覚はあるのだろうか。
苦笑いを浮かべた俺は、全裸で刀を肩に担いだ妙ちくりんな格好のまま、視線を巡らせた。
崩壊したビル群に落下したアパレルの看板を見つけ、その建物へ向かった。
緊急行動という名の窃盗で手に入れたズボンを履いた俺は、適当なシャツを羽織った。
靴は見つからなかったので、裸足のままその場で跳んでみる。
踏み込みは少し弱くなるな。
まあ、慣れればなんとかなるだろう。
リリスが、轟音の鳴り響く戦場へ視線だけを向けた。
「まあ、手を借りた以上はアイリたちを捨て置くわけにもいかんか。私とて、あの業腹な猿めを殺したくもあるしな。だがそのためには、あの棍をなんとかせねばならんぞ」
「ああ。神器とか言ってたっけか。それは大丈夫だ。……俺に考えがある」
俺は右の手のひらで、開いては握ってを繰り返した。
よく分からないが、右手からリリスの体温を感じる気がした。
「……その下品な手つきを止めろ、ソースケ。考えとはなんだ?」
「なんだか、うまく表現できないんだけど。……できることが増えた気がしてるんだよな」
妙な予感がした俺は、リリスに頼んで、あることを試してみた。
俺の直感は正しく、思いついた試みは成功した。
腕を組んだリリスが、呆れた表情で俺を見上げながら言った。
「……ソースケ、お前は本当に馬鹿なのかもしれん。神仏の理を拒否するほど妹好きな上、私の魔法すら自分のものだと言い張る色情魔だ」
「なんで強くなったのに、シスコン呼ばわりされた上、すけべ扱いされるんだ。……まあいいや。これなら、いけそうだな」
リリスが右手に握る銀の杖で肩を叩きながら、うすく微笑んだ。
いつもの仏頂面に、ほんのり喜色を浮かべているような気がした。
「ん。すまん、言い過ぎた。思いつく要因がしょうもなさすぎるが……力自体は素晴らしい。……よし、あの猿めを完璧に殺してやろう」
服や鞘、身につけていた何もかもを失った俺は、ただひとつ残っていた刀を右手に握り、駆けた。
リリスが、黒い法衣の裾を翻し、後ろから追従する。
なんだか、いつもより身体が軽く感じた。全身に迸るリリスの魔力が要因だろう。
宵闇を切り裂く赤い炎が、遠目に見えた。
純也さんの業火の剣だ。
最前線で、白い髪の少年と斬り結ぶ純也さんを、彼の生み出す炎が照らし出した。
真紅の剣を振るう愛莉の姿が、同時に見えた。
ほっとした顔を浮かべるリゼさんと海斗さんが、その奥に見えた。
全員無事だ。
よかった。
真正面から天界人と打ち合う、血まみれの純也さんが、ちらりとこちらに視線を向けた。
……やはり、強者の揃うスターウェイの中でも、純也さんは飛び抜けて凄い。
今となっては、俺と彼の間のレベル差は10程度しかないはずなのに、実際の技量差は圧倒的だ。
彼の立場なら、俺はすでに死んでいる。実際、さっき死んだ。
そんな純也さんが、楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「は、ははは! 宗介君、君は本当に格好いいな!」
「兄さん、興奮しすぎです! 一度回復に下がってください!」
俺は、声を上げた。
「いや、愛莉! お前も下がってくれ! 巻き込んじまう!!」
「む。……そうですか」
俺の魔力制御に難があるのは、なにも変わっていないのだ。
おそらく、俺の魔力が消滅させないのはリリスだけだと直感していた。
愛莉は不服そうにしたが、理由を察したのか、純也さんを促しながら距離を取ってくれた。
構えを戻した白髪の少年は、真っ直ぐに俺を見た。
離れていく愛莉たちには、目もくれない。
少年が、犬歯を剥き出しにして笑った。
「かはは! なんだ、魔王君。愛の力で復活か? それとも、実は精神まで化物なのかい!?」
「どちらも正解だよ!」
「へえ。じゃあもう一度、愛を確かめ合わせてやるよ。次は脳みそまで、ぐちゃぐちゃにしてな!」
半身に構えた少年が、金色の光を帯びた棍をこちらへ向けた。
あの棍の一撃は、俺の半身を消し飛ばす。
だが、……あいつには神器に頼らなければ、できないことがある。
追走していたリリスが、美しい声で歌を紡いだ。
「――冥界の神よ。我が下僕のかいなへ、我が魔力を糧に屍の槍を顕現せよ」
裸足で地を蹴りながら俺は、空手の左腕を掲げた。
リリスから流れ来る紫色の魔力が、俺の振り上げた左手の中へ収束していく。
顕現した巨大な骨の槍を、ぐっと握った俺は歌を紡いだ。
「――闇の大蛇よ。我が主に賜りし槍に宿りて、すべてを穿つ漆黒の槍と化せ」
蠢く黒い魔力が、ずるりと這いずり骨の槍を覆った。
全身の力を使って左腕を振り抜き、漆黒の槍を投擲した。
すべてを穿つ漆黒の槍が、空気を消し去りながら一直線に飛翔した。
白髪の少年が腰を落とし、声を上げた。
「なるほどな! やるじゃん!」
少年が、両手に握り直した棍で闇の槍を打ち払う。
俺の魔力を貫いたのはあいつの力ではなく、神器だ。
棍でなければ闇を防御できないはず。
俺は、距離を詰めるため駆けつつ、もう一度歌う。
「――闇の大蛇よ。我が刀剣に宿りて、すべてを斬り裂く漆黒の刃と化せ」
蠢く闇が、刀へ這いずっていく。
俺は、鞘を介さず魔力を制御し、刃に収束させた。
眉を上げた少年が、左手を頭へ伸ばした。
迫る俺を押し留めようと、少年が分身を繰り出した。
にっと笑った俺は、地を蹴って真横へ跳んだ。
視界の端に、脚を開き銀の杖を肩越しに掲げたリリスが映った。
美しく邪悪な笑みを浮かべた彼女が、口を開く。
「――雷の精霊よ、愚者が生み出せし偽りの影を、雷鳴轟く稲妻で裁け!」
リリスが放った完全な稲妻の魔法が、雷鳴を轟かせ、分身をすべて炭化させた。
金糸の髪を流すリリスが、大きな笑い声を上げた。
「はははは!! ん? どうした、猿めが! 大魔法は使わせないのではなかったのか!? ほれほれ、止めてみろ!」
「はん! 調子に乗りやがって!」
リリスは、少年を煽る言葉を吐きながら、幾度も豪雷を奔らせた。
舌打ちをした白髪の少年は、身を捻って稲妻を避けつつ、リリスへ棍を向けた。
同時に、俺の攻撃範囲がやつを捉えた。
前方へ加速し、肩越しに振り上げた刀で袈裟斬りを放つ。
白い髪の少年が棍を薙ぎ払って、闇の刃を打ち返した。
俺の肉体をどれほどリリスの魔力が強化していようと、俺と少年の間には圧倒的なレベル差が横たわっている。
俺の剣戟を軽々とさばいた少年は、馬鹿にするように言った。
「ちっ。お前程度の剣が、僕に届くわけがないだろう!?」
「……余裕ぶってても怖いんじゃないか? 胴が千切れたら死ぬぞ? 化物の俺と違ってさ!」
刀と棍が打ち合う金属音が幾度も響き渡る。
リリスの涼やかな声が、俺の耳に届いた。
「合わせろ、ソースケ!」
彼女が編み上げた強大な轟雷が、白髪の少年へ奔る。
俺は、闇を帯びた刀を左へ引き絞った。
刀と雷撃が、同時に少年へ襲いかかる。
白髪の少年が、大地へ棍を突き刺した。
ぐんっ、と凄まじい速度で棍が伸びた。
天高く伸びていく神器の先を握った白髪の少年は、飛ぶように空へ舞い上がり、闇の刃と雷撃を避けた。
夜空へ昇っていく少年が、金色の瞳に憎悪を浮かべた。
激しい苛立ちを込めた怒号が響き渡った。
「ああああ! うぜえ! うぜえ、うぜえ! 僕は仙人だぞ!」
棍を握ったまま中空で静止した少年が、左手で素早く印を結んだ。
ざああっ、と吹きすさぶ疾風に覆われた少年が、凄まじい威圧感を放つ。
端正な相貌が、赤みを帯びた猿の顔へ変化し、剥き出しの犬歯が鋭く伸びた。
爛々とした輝きを帯びた金色の瞳に、強い殺意が宿る。
綺羅びやかな黄金の毛皮が、全身を覆っていた。
金色の猿人へ変化した天界人が、鋭い声を上げた。
「喝!」
質量を帯びた衝撃波が、迫り来た。
その衝撃をまともに喰らった俺は、血反吐を吐きながら吹き飛んだ。
大地へ激突する寸前、リリスが左腕で俺を優しく抱きとめた。
リリスの柔らかさと体温を感じながら、俺は彼女に文句を言った。
「おい、リリス! 殺し合いで出し惜しみするやつ、いるじゃないかよ! また死ぬところだったぞ!」
「うるさい! あれは出し惜しみではなくて、奥の手というやつだ! 私は間違っていない!」
猿人が、声を荒げた。
「てめえら、余裕こいてんじゃねえぞ!」
地に降り立ったリリスが、優しく俺を下ろし、首を振って金糸の髪を流した。
猿人を見上げた彼女が、じとっとした目元のまま、口の端を歪めた。
「ふん。やはり猿ではないか。実際、余裕なのだから仕方あるまい?」
リリスが、銀の杖を上空の猿人へ向け、歌を紡ぐ。
「――氷の精霊よ。我が眼前に広がる大地へ、天翔る橋を築き上げよ」
リリスの歌が生み出した氷の柱が、びきびきと音を立てながら、猿人へ真っ直ぐに伸びていく。
俺は、氷の柱に左手を添えた。
「――闇の大蛇よ。我が主に賜りし槍に宿りて、すべてを穿つ漆黒の槍と化せ」
漆黒の魔力が、俺の左腕を伝って氷の柱へ流れ始めた。
勢いよく伸びていく氷の柱を、俺の魔力が真っ黒に染め上げていく。
闇を纏う氷柱が、猿人へ襲いかかった。
声を荒げた猿人が、棍をもとの大きさに戻した。
「くっ、ふざけるな! 槍じゃねえだろ! それは!」
襲いかかる闇の柱を、金色の猿人は棍で破壊した。
支えを失い落下していく猿人が、咆哮を上げた。
「喝!」
衝撃波が、こちらへ迫り来た。
リリスの前へ躍り出た俺は、上段へ構えた刀を振り下ろした。
闇の刃が、衝撃波を大気ごと斬り裂いた。
俺とリリスのいない場所のアスファルトが、衝撃に砕け散った。
地に降り立った猿人に向かって、俺は再び駆けた。
前方へ跳び込み、両手で握った刀を左へ引き込む。
俺を睨みつけた猿人は、憤怒を浮かべていた。
「うぜえな! 何回繰り返そうが、お前の剣術が僕に届くことなどない!」
「そうかもな。……けど、こっちは二人いるんだ」
俺の身体を死角にしたリリスが、後ろから跳び上がった。
両手に握る紫光の鎌を頭上へ掲げた彼女が、視界の端に映った。
猿人が声を上げた。
「ひ、卑怯だぞ!」
「当たり前だ! こちとら、邪悪な死霊術師と、その下僕なんでね!」
俺とリリスは、同時に武器を振り抜く。
猿人は、棍を地に突き立て、横薙ぎに払われた闇の刃を防いだ。
リリスの鎌が猿人の脳天に迫る。
紫光の刃が頭部に突き刺さる寸前、やつは左手で印を結んだ。
「くっ、甘いわ! ――ディヤーヴァープリティヴィ・アヌカラナム!」
棍が解放した黄金の魔力が、猿人へ流れ込む。
膨大な魔力を受け取った猿人が、勢いよく巨大化し始めた。
リリスが振るった紫光の斬撃は、一拍遅く、刃が届いたのは巨大化した脚の薄皮だけだった。
俺たちは、揺れる大地から逃れるように跳躍して距離を取った。
咆哮を上げる金色の大猿を見上げたリリスが、口を開いた。
「……法天象地というやつか。まさしく西遊記だ」
「へえ、妖精界にも同じ童話があるのか」
「ん。古書で読んだ。……不思議なこともあるものだ」
大猿は、同時に巨大化していた長大な棍を握り直した。
こちらへ向かって踏み出す足が、大地を揺らしビルを倒壊させた。
(……ん? 街中で巨大化したまま戦うのか? 他世界って、あまり文明が発展していないのだろうか)
刀を下ろした俺は、リリスに言った。
「リリス、全力の魔法であいつの足元を撃ち抜いてくれ」
「ああ、なるほど。任せろ」
ぐっと脚を開いた魔導の構えを取ったリリスの全身から、吹き荒れる嵐のような魔力が立ち昇った。
彼女が美しい声音で、歌を紡ぐ。
「――雷の精霊よ、神仏を騙る愚者の立つ大地を、雷鳴轟く稲妻で裁け!」
膨大な魔力のすべてが杖の先で収束し、紫電へと在り方を変えていく。ばちばちと激しい放電音を立て始めた。
リリスが鋭く振り下ろした杖から、稲妻が迸った。
夜空を青白く染め上げる轟雷が、大気をイオン化させながら奔る。
強大な雷撃が大猿の足元へ直撃し、ずがあんっと轟音を立てて大地を抉った。
彼女の大魔法を受けてなお、神器の魔力に守られた大猿は、僅かに血を流しただけだ。
――だが、穴だらけの横浜の地下は耐えられず、崩落した。
地面が大きく陥没し、大猿が足をとられて姿勢を崩した。
「リリス!」
「うむ!」
リリスの魔法が生み出した氷柱に、俺は跳び乗った。裸足で。
「冷た!? なんで氷なんだよ」
「む。すまん。考えていなかった」
紫色の魔力が俺の足を包み、冷たさが和らいだ。
伸びる氷柱に押し上げられた俺は、瞬く間に上空へ登っていく。
大猿の上へ達した俺は、氷柱から飛び降り、天を突くように掲げた闇を帯びた刀を振り下ろした。
漆黒の刃が、大猿の右腕を斬り飛ばした。
神器が、やつの手を離れた。
棍を失い、巨大化が解けた猿人が、落下していく。
中空でリリスの生み出した骨を蹴った俺は、猿人へ向かって加速した。
猿人が苦し紛れに放った衝撃波を、斬り裂く。
両手で握る刀を、手元で返し左へ引き絞った。
「じゃあな! 斉天大聖!」
俺は、刀を一直線に薙ぎ払った。
猿人の胴を、黒い剣閃が奔り抜けた。
両断され、臓物を撒き散らす猿人の左手に、飛翔した棍が戻った。
猿人が、その棍を天高く投擲した。
死にゆく猿人が、最期の雄叫びを上げた。
「がはっ、……くそが! くそがああ! お前らも、死にさらせ!!」
上半身と下半身に分かたれた死骸が、どすんっと音を立てて大地に落ちた。
地に降り立った俺は、頭上へ視線を向けた。
上空で、神器が横浜の街全体を覆うかのような大きさに膨れ上がっていた。
巨大化した棍と大気とぶつかる摩擦熱が赤光を放つ様子は、隕石のようだ。
リリスが、こちらへ飛ぶように跳んできた。
俺は刀を頭上へ掲げ、彼女は小さな手を俺の背中に添えた。
うすく甘い笑みを浮かべたリリスが、口を開いた。
「やれるな?」
「もちろんだ」
俺の身体を通して刀へ流れ込んだリリスの魔力が、刃を包み込み、氷の刀身を形作っていく。
白い粒子を撒き散らす氷刃は、どこまでも伸びていく。
大空を断ち切るほどに伸びた氷刃に、俺は漆黒の魔力を纏わせた。
意思なき武器などに、俺の闇は負けない。
刀を振り抜いた。
すべてを斬り裂く闇の刃が、神の武器を斬った。
二つに断たれた神器が、金色の魔力を霧散させながら、もとの大きさに戻っていく。
そして、一拍置いて。
両断された棍が大地に落ちる、からんっという音が俺の耳に届いた。
# SIX PATHS 020 END




