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「〝吾〟〝唯(われ ただ)〟〝足〟〝知(たる を しる)〟──」

 宮崎(みやざき)良樹(よしき)の視界の中で、須藤(すどう)亜希子(あきこ)が大きく広げた模造紙の上にカラーペンで大きく丁寧にその四文字を書き記してから、おもむろにそれを読んで口に出した。それから小さく首を傾げて目線を向けてくる。

 亜希子とまともに視線がぶつかって、良樹は困った顔を左右に振り、小さく両手を挙げてバンザイした。亜希子も小さくバンザイを返す。

 どちらかといえば文科系少年の良樹ではあったが、遺憾ながらこの言葉は知らない。

 すると静かに、落ち着きのある声が割って入ってきた。

「お釈迦さまの『知足(ちそく)の心』を表す言葉だよ」

 良樹に助け船を出すようにクラスメートの塩谷(しおや)邦弘(くにひろ)が説明する。

「際限なく求めるんじゃなく、自分に必要なもの、必要な量を知る、という感じ……だったかな」

 皆がそっちに向き直る。

 ハーフリムのメガネがよく似合う、一見すると秀才タイプがそこにいる。

 邦弘の家は禅宗の寺なので、そういう知識には明るいのだ。(もっと)も、当人にさほどの思い入れはない様子だった。

 亜希子は邦弘の言葉に再び小首を傾げると、反芻するように独り言ちた「──〝自分にとって〟の必要を、知る……ふむ」

 そんな亜希子を、相変らず真面目だなぁ、と良樹は思う。


 水曜の7時間目、ホームルームの時間──

 良樹ら2年生は学年最大のイベント、修学旅行を来週に控えて、事前研究に取り組んでいた。週末には学年全体での成果発表会が組まれていて、良樹らは班に割り当てられた竜安寺の知足の蹲踞について、この一週間に各自で仕入れてきた情報をまとめている。


「お、さすがに塩谷は実家が寺だけあって詳しいな」

 各班の机を回っていた担任の伊東が感心したように邦弘を見やる。そもそもこの龍安寺の〝知足の蹲踞(つくばい)〟のテーマは、現国の教師である伊東が割り当てたものだ。

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」 伊藤は授業中、黒板の前でよくやるように、目を瞑ると腕を組み、聞き取りやすいゆっくりとした口調で語りを始めた。


 生真面目な表情で肯いている優等生タイプの亜希子、宙に持ち上げた視線の先に落としどころを探す顔の良樹、そして何をいまさらという感じにげんなりと表情を曇らす邦弘──。

 それぞれの表情を面白そうに見やっていた伊東に、それまで黙ってスマホをいじっていた五十嵐(いがらし)(わたる)が、交ぜっ返すように言う。「せんせー、それ試験に出ますか?」

 周囲の生徒らが上げた笑いに、伊東はただ笑って返すと、隣の班の机へと移動していった。


 5月の最終週の水曜日。修学旅行を1週間後に控えた、進徳館高校2年D組の教室。

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