蘇る左乳首
「まず、俺の左乳首がどうして無いのか。それを話そうか」
その時、気付いた。苦汁が公式戦に出られない理由。それは左乳首が無いからだ。
苦汁は視線を上げ、指子を向いて言った。
「35年前なんだ。俺の乳首が無くなったのは。知っていたか指子?」
「何で私が知ってると思うの?」
怪訝そうな表情で指子は苦汁を見ている。
「お前の親父、乳狂治に俺の左乳首は千切られたんだ」
「なんですって?父さんがあなたの乳首を千切った?」
苦汁のトーンは低く落ち着いて話しているが、激しい怒りと寒さでパンツ一丁の体が震えていた。
「そうだ。乳狂治の凄まじい打撃技は高校時代には完成されていた。俺の乳首が千切れるほどにな」
いくら威力が高くても乳首を千切るなんてことが有り得るのか?俺は身震いする。
「だが奴はそれ以降、片指指殺を使わなくなった。俺に申し訳ないと思っているからという事らしい。だが、そんなのは何も救いにはならない。本当に申し訳ないと思っているなら、俺の乳首を元に戻せ」
苦汁は吐き捨てるように言った。
「父さんは高校時代に酷い過ちを犯したから片指指殺は封印したと言っていたわ。娘の私に奥義を譲ってくれた」
「そうか。それで、その忌々しい技をお前が使っていたんだな」
苦汁は大きなため息を付く。
遠くの方に視線をやると昔の話をし始めた。
「俺は当時、新進気鋭の乳首ハンターと言われていた。あの乳首林大学にも推薦が決まっていた。将来はプロになって世界戦で優勝するのだと思っていた。それが乳狂治との練習試合で惨めな片乳首だけの男になり、公式戦に出られなくなった」
苦汁の眼にうっすらと涙が浮かぶ。
「俺は確かに高校時代、調子に乗っていた。乳狂治の乳首に台風指突を喰らわせて今日の指子の様に遊んでいた。奴は変な声をあげまくって笑われていた。しかし、その挑発行為が奴の逆鱗に触れたのだ。乳狂治は俺の乳首に本気の片指指殺を当てて来た。そして俺の乳首に悲劇が起こった」
苦汁は乳首が無くなった自分の乳輪を指さす。
「俺は部室に千切れ飛んだ左乳首を探し回った。でも、この狭い部室の中のどこにも俺の乳首はなかったんだ。お前が隠したんだろと部員に一人一人にしつこく詰め寄った。部員は俺を怖がり部を辞めて行った。やがて俺の左乳首消失事件を知る者は誰もいなくなった。時は無常に過ぎ、あれから35年経った。今でも俺は左乳首を諦めきれない。千切れ飛んだ乳首はこの部室に必ず落ちているはずだと思っている」
俺はすごく怖くなってきた。早く帰りたいと思っていた。
苦汁が話を続ける。
「俺の行きつけのスナックのママがよく当たる占い師なんだ。散弾原の母と言われている。俺がママに俺の乳首がどこにあるか聞くと『左乳首を奪った男の娘が左乳首を必ずお前の元に持って来るだろう』と言っていた。だから指子、お前が的場高校の乳首当て部に入るのを俺はずっと待っていた。そして入部したと聞きつけ、直ぐに練習試合に誘ったのだ」
苦汁は指子の前に行って両手を差し出す。
「だから持って来た乳首ちょうだい」
子供の様な無邪気な笑顔で指子が左乳首を手渡ししてくれるのを待っている。
俺はゾッとした。ここに居たら指子が危険だ。
「もう無茶苦茶だ。帰ろう指子。このおっさんは左乳首が無くなったショックでイカれてしまったんだ。これはこの高校の学校の怪談になるんだ」
しかし指子は苦汁に近寄って行き、苦汁の左乳輪を指でなぞった。
「つるつるね」
「なにやってるんだ指子。俺達はもう帰るぞ」
「いや、私が苦汁さん左乳首を蘇らせてみせるわ」
「何を言ってるんだ。そんなの無理に決まってるだろ」
苦汁はニヤリとする。
「嘘だったら俺はお前の左乳首を貰うからな乳狂指子」
苦汁は部員に合図する。部員は部室から出て、少しすると誰かを連れて戻って来た。
手術着を着た外科医らしき人が部室に入ってくる。
「外科医をずっと外で待機させていたんだ。お前の乳首を俺に移植しろ指子」
あまりの酷さに、俺はもう呆れて馬鹿馬鹿しくなってきた。
「そんなことをしたら左右の乳首の大さが不揃いで失格するのでは?」
指子は苦汁を指さす。
「そんなのは必要ない。私があなたの乳首を蘇らせると言ったでしょ」
「おいおい、マジなのか指子?」
「さあ、そこに立って苦汁さん。父の不始末は娘の私が片付けるわ」
苦汁は期待と不安が入り混じったような困った顔をしていた。
「見てて頂戴、父首中君。私の片指指殺を」
「片指指殺でどうやって乳首を蘇らせるんだよ?」
俺は指子までおかしくなってしまったのではないかと思った。
「乳首は必ず甦るわ。ただし、私の連撃で倒れないでくださいね苦汁さん」
「あ、ああ。わかった」
指子は右腕を前に出し素振りをする。そして段々と動きが速くなり指子の肘から先が消える。
「奥義、片指指殺連撃」
それから先は俺達は打撃音でしか何が起こってるのか良く分からなかった。
ドドドドドドドドドドドド
苦汁は苦痛の表情を浮かべていたが、段々と表情は消え、口から泡を吹いて白目を剝いてきた。
「おい。おっさんがやばいんじゃないか指子?」
「もう少しよ。頑張って」
ドドドドドドドドガッ
完全に白目を剝いた苦汁だったが、なんとか立っていた。
左乳輪から煙が上がり良く見えない。
そして煙が晴れた時、俺達は奇跡を目撃する。
「みんな見ろ、左乳首があるぞ」
「うわああああ」
部室に居る高校生が歓声を上げる。それを見た外科医も拍手をしていた。
騒ぎで意識を取り戻した苦汁は、自分の左乳首を見て
「ある。俺の左乳首が。スナックのママが言っていた事は本当だった。左乳首を奪った男の娘が俺に左乳首を持って来てくれた」
苦汁は感極まってその場で泣き崩れた。
「一体これはどういうことなんだよ指子?」
「乳首は千切れたんじゃなかったのよ。めり込んでいたのよ」
「めり込んだ?」
「父さんの本気の一撃で、有り得ないくらいめり込んで、平らに整地されてしまっていたのよ」
「それをどうやって元に戻したんだよ?」
「私は乳首の周りを打ったのよ。そうしたら乳首が再び周りから押されて出て来たのよ」
「なるほどねえ」
俺達は散弾原高校を後にした。
苦汁は最初に来た時とは別人のようになって、俺達に何度も頭を下げていた。
散弾原高校の部員達も帰りは校門まで見送りに来てくれた。
指子は戦闘モードを解除したようで、いつもの、のんびりした感じに戻っていた。
「何嬉しそうな顔して私を見てるのよ」
「いや。別に」
指子が無事で良かった。今日はもうそれだけで満足だ。
帰りのバスに揺られながら俺は指子に質問した。
「それにしてもさ、あの爆発した技はどうやったんだよ?火薬かなんか持ってたのか?」
「あれは父さんが南米に行った時に現地の人が狩りに使っている技を応用したと言ってたわ」
「お前はいいよな。親父が乳狂治で。色んな技を教えて貰えるんだから。俺にも教えてくれよあの爆発技を」
「あんなの公式戦で使えるわけないでしょ。テロだと思われるわよ」
「そうかー」
電車に乗り換え俺達はボックス席に座る。
「これで苦汁のおっさんは公式戦に出られるようになったけど、あの人プロで通用するんだろうか?」
「さあね。でも対戦してみて彼は凄く強かったわ。乳首が無くなっても乳首当て競技への情熱は決して消えてはいなかった。私の予想では男子の世界戦でも通用するんじゃないかと思う」
「そうか。じゃあ俺達も負けずに頑張らないとな」