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『おおぅ、ミミズクお疲れさまぁ』


 電話をしたら、萩沼は一コールめですぐに出た。


『動画、仕事中に見たよ。我ながらいい仕事をしたもんだよなぁ。とにかく、ツイッターのトレンド入りおめでとう』


 間延びした声は、二週間前に俺の誕生日を祝ってくれたときから変わっていない。

 我ながらいい仕事をしたということは、やはり萩沼はあの動画制作に関わっているということだろうか? しかし、緊張感のない響きに、俺はどこから切りだしたものか悩んだ。

 すると、思いも寄らぬ言葉があとに続く。



『まさか昨日の今日でアップするとは思わなかったなぁ。ひと言くらいあってもいいんじゃね? 今回のむちゃくちゃコンポジット頑張ったんだけど――』



「え?」


『なにその『え?』って……おれの努力の成果を見てないの? サビの夕暮れの波打ち際で踊るところとか、かなり頑張ってたろ?』

「いや、そっちじゃなくてその前。昨日の今日とか、いったか?」

『おれが納品したのは、昨日の夜だったろ? てっきりツイッターとかで告知して、大々的にキャンペーンを張るんだと思ってたよ』


 自分がやったことに対して、なんの疑問も抱いていなさそうな声だ。

 萩沼は、今回の仕掛け人が俺だと確信している。


『なんだかんだで、モガのところで働く決意を決めたんだよな。で、カナミンは元気なのか? 治ったってことなんだよな。また上京するからそんときには――』


「ちがうんだ」


 マイペースに語りだした萩沼の声を遮る。


「あんな楽曲が存在することを、俺は知らなかった。ミュージックビデオの制作をおまえに依頼したのも、俺じゃない」


『はい?』


「ちなみに、虎落とも今朝話したんだけど、このことは知らなかった。あまり考えたくはないんだが、おそらくメロスは――」


『い、いや、ちょっと待てよぉ……え? じゃ、じゃあ、どういうことなんだ?」


 萩沼もようやく事態を理解したらしく、慌てふためきだした。


『あの楽曲や、やたらとアップグレードしたメロスのモデルなんかを送ってきたのは……』


「わからない。ていうか、俺自身もそれの確認をしたくて、おまえに電話をしたんだ」


『え――』


 電話の向こうで、しばらく時間が静止しているのがわかる。

 反応としては、当然だろう。

 はいそうですか、と呑みこめる話ではない。


『――っと、それって、ヤバくね?』


 戻ってきたか、こっちの時間に。


「ヤバいんだよ。で、ちょっと聞きたいことがあるんだが」


 俺は今朝届いた風音メロスを名乗るフリーアドレスについて尋ねた。

 メールアドレスを読みあげて、動画制作を依頼してきたアドレスと同じものであったかを尋ねる。


『いや、ちがうな……こっちもフリーアドレスだったけど、そっちのはきてない』


 じゃあ、今朝のメールとは別人……?

 けど、そう判断するのも早計か。


『そのメールが、どうかしたのか?』

「それは――」


「異世界」という素っ頓狂な単語が飛びだすメールについて話すことに、少なからぬためらいがある。悪い夢でもみている気分だ。


『今さら隠しごとはなしで頼む。あの歌声は、カナミンのだった。おれはてっきりカナミンがおまえのところに戻って、また風音メロスを再開するんだと思ってた』


「ひと言くらい、確認してくれって。そしたら、こんなことにならず、もっと早く――」


『それは、すまん。早合点だったのは認める』


 俺の非難に対して、萩沼はかぶせるように謝った。


『ただ、その、な……ひと言言い訳をさせてもらうとだな』


「お、おう、聞こう」


『おまえたちを祝いたい気持ちが、先走りすぎてしまった……!』


 その答えを聞いた途端、すわっていたイスのキャスターが滑り、俺は床に尻餅をついた。

 くそ痛い。すわりながらずっこけたのは、初めての経験だ。


「――っ!? おまえ、いい奴かよ……!」


 そうだった……萩沼丈留は、いい奴なのだった。


「だってさぁ、あの歌声聞いたら、カナミンが戻ったって思うじゃん。カナミンはミミズクと仲良かったし、これはもうそういうことだろうと思ったわけよ。あえてプロではなく定職に就いたアマチュアのおれに頼むのもそういうエモさを狙っての演出かなって思ったら、二人の結婚式のムービーを作るつもりで、無茶苦茶張り切って有給三日取ってたわ」


「おまえのいい奴さ加減にむせび泣きそうだ。今度なんか奢る」


 目頭に熱いものがこみあげている。

 男に泣かされる日が来るとは思わなかった……!


『今回の件、とりあえずチャラってことで』


 許す。許そう。


「でも二年前、俺と香奈美は一切付き合ってはいなかったぞ」

 仲がよかったのは認めるが、飛躍しすぎなところは否めない。


『おれの目にはカナミンはおまえに惚れているように見えてた。カナミンがおまえ以外の男の肩で寝たことがあったか?』


「虎落の肩で寝てることはあったぞ」


『おれは男っていっただろ』


 萩沼の指摘は正しい。しかしそれは、俺が宗哉に香奈美のサポートを任されてプロジェクトのあいだは常にそばにいるようにしたからだ。

 香奈美もそれが俺の役割だとわかって身を委ねていた節はある。

 そして、何よりも俺の胸につかえている事実は……。


「結局、香奈美はなにもいわずに、俺の前からいなくなっちまったからな」


『おまえひとりじゃない。おれたちのまえから、いなくなったんだ。で、その失踪の手がかりを、おれたちはようやく掴んだんじゃないのか?』


 俺は、十秒ほど黙考した。

 萩沼のイタズラじゃないとすれば、たしかにそういうことになりそうだ。

 でなければ、あの歌声は説明がつかない。


『で、話が脱線したけど、そのメールにはなんて書いてあったんだ?』

「それは――」



【 やっほー、メロスは歓喜した。

  ミミズクくんだけに教える秘密です。メロスは、異世界を見つけました。】



 俺は今朝送られてきたメールについて本文を読みあげ、プライベートなアドレスに送られてきたことなども説明した。


『異世界……?』

「やっぱ、そこだよな」

『だって、ソーヤ先輩の書き置きは――』

「ああ。『異世界にいく』だ」

『関係、あるのか?』

「わからん」と俺は首を左右にふった。


『けど、ミミズクくんって呼んでるってことは、やっぱりカナミンなんじゃないか? おまえのそのあだ名もカナミンがつけたもんなんだろ?』

「真似しようと思えばいくらでも真似はできるだろうけどな」


 ちなみに香奈美は、相手が男なら年上でもかまわずにくん付けで呼ぶ。萩沼のことも「丈留くん」と呼んでいた。

 彼女は、なぜかそういうことを自然とできてしまうオーラを身にまとっていたのだった。


「他に手がかりになりそうなもんはない」


『だな。最初のは、風音メロスの定型文だし』


【歌ってみた】やミュージックビデオ以外のメロスの動画の冒頭はいつも「やっほー、メロスは○○した」という挨拶ではじまるのをお約束にしていた。俺の発案だが、意外に○○の部分に当てはまる言葉が見つからなくて、台本係りとしてはあとから後悔したものだ。

 また余談だが、風音メロスは特にキャラ作りをしないまま普段の香奈美の口調でしゃべらせたので、冒頭の「やっほー」が非常に浮いた。それはそれで、気のない感じがかわいいと、視聴者にはウケていたのだが……。


 その後、萩沼のほうに送られたメールの文面も確認したが、収獲はなかった。


『こっちも、色々と考えてみる。またなにかあったら、連絡してくれ』


 俺は了解して、電話を切った。


「――さて」


 手詰まりである。


 もう一人、風音メロスの関係者で俺のプライベートアドレスを知る葉賀先生に連絡を取るというのもひとつの手だが、あくまで仕事の一環として参加してくれている彼女にすべてを話していいものか迷われた。すでに十人近くのヴァーチャルアイドルのデザインを務め、常に仕事に追われている人気イラストレーターに、余計な心労はかけたくない。

 とはいえ、今朝投稿された動画について、全く黙っているわけにもいかないだろう。彼女は宗哉の死を悼み、香奈美の失踪を知ってひどく悲しんでいた。現状のままでは、萩沼と同じ誤解をさせてしまう。

 なんと伝えるかはともかく、メールの一本くらいは書いておくべきだろうと、俺は自室のパソコンの電源を入れた。

 ウィンドウズのマークがうぃんうぃんとまわってなかなかログイン画面にならない。


「アップデートなんてあったかな?」


 ちょっとしたテロだよな……などと思いながら、さらに待つこと三十秒。

 画面が、真っ暗になった。


「――はいっ!?」


 パソコンの電源はついている。なのに、二十三インチのモニターが真っ暗だ。

 胸騒ぎがした。配線は、ちゃんと繋がっている。

 次に来るのは、ビープ音かブルースクリーンか。パソコン関係の問題の場合、こういう時は下手にジタバタしないほうがいいのは学習済みだが、よりによってこのタイミングで機嫌を損ねなくてもいいではないか。

 固唾をのんで成り行きを見守る俺に、さらに三十秒の我慢を強いて、モニターが点いた。


 そこに映ったのは、二つお下げを作った銀白色の長髪に、アイスブルーの瞳。


 和洋折衷の改造巫女服みたいな衣装。


 デザインと3Dモデルを担当した葉賀先生がどの角度から見てもかわいくなるようにできたと誇った自信作である。


 背景は、身近さを感じられるようにと宗哉が発案したギャルゲーの主人公のような部屋。



「やっほー、メロスは歓喜した。

 ふふ、ミミズクくんのパソコン、乗っ取り成功です」



 パソコンのスーピーカーから、耳朶を打つ懐かしい声。




 風音メロスが、そこにいた。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 今朝からはじまった奇妙な違和感は、ここにきてピークに達した。


 パソコンのモニターいっぱいに映った、風音メロス。


「ミミズクくん、そこにいますよね? 電源を入れたんですもんね。メロスのこと、見えてますよね」


 抑制の利いた掠れ気味の声で、画面の3Dモデルはしゃべる。いや、しゃべる振りをしている。


 マウスを動かしてもマウスカーソルは出てこない。Escキーをいくら押しても全画面モードが終了しない。


 なんだ? これはいったい、どういう状況なんだ?

 明らかに、おかしなことが起こっている。

 俺のパソコンが、どうにかしてしまっている!

 Ctrl+Alt+Delete! Ctrl+Alt+Delete! なんで再起動しないんだよ。


「ミミズくん、ごめんなさい。今、このパソコンはすべてメロスが掌握しています。ええと、まずは話を聞いて――」


 俺は、パソコンの電源ボタンを押した。


「話を聞いてほしいのですが……ちょっと落ちついてください。ディスクのトレイを開けたり閉じたりしても意味ありませんし、起動用ディスクを入れても読みこんでなんかあげませんから――」


 コンセントを引っこ抜いた。

 さすがに今度はリブートもできずに、画面は真っ暗のまま部屋に静寂が帰ってくる。


「はは、は……」


 渇いた笑いがこぼれた。

 二〇二〇年八月四日。本日は晴天なり。気がつけば、気温は三〇度をまわっている。

 暑さのせい。そうだ、これは暑さのせいだ。

 俺はいつのまにか全身が汗みずくになっているのに気づいて、エアコンの電源を入れた。冷風によって汗が冷えて寒さすらおぼえたが、今はそれでちょうどいいとすら思える。


 なんだ、今の……霊? お化け?

 まだ真っ昼間だぞ。でも、今日日のお化けは太陽の出てる出てないとか気にしないのか?

 見たら七日後に死ぬ呪いのビデオが誕生して来年で三〇年。いい加減にパソコンやらインターネットに潜む心霊現象のエポックメイキングが出てきてもいいと思ってたけど、いきなりってちょっと刺激が強すぎない?

 俺は深呼吸を繰り返し、努めて平常心を取りもどそうとした。

 しかし、携帯電話の短い電子音にそれも乱される。

 短い悲鳴をあげながら、しかし携帯電話を見ずにはいられない。


【 from 風音メロス 】


「うわあああああっ!」


【 メロスです。いますぐコンセントを刺してください。

  さもないとミミズクくんのツイッターアカウントで不規則発言をします。

  デジタルタトゥーによる社会的な抹殺です。

  メロスは今、それができます。 】


「社会的殺害予告!? 脅迫だろ!」


【 残り三十秒です。『バブみ』と『オギャる』の起源を騙ってネットの海に消える覚悟はできましたか? 】


「俺が十五のときに母親を亡くしてるって知っての狼藉かよ!」


 超常現象に遭遇している。

 抗えば、本当に我が身がどうなるかわからない。

 携帯電話をベッドの上に投げだし、悲鳴に叫び声を上げながらパソコンのコンセントを刺した。


 再びパソコンの画面に風音メロスの3Dモデルが現れる。

 ほっぺたをつねってみると、痛い。

 どうやら、これは夢ではないようだ。


「命拾いをしましたね、ミミズクくん」


 モニターの中のメロスが笑った。

 その声は間違いなく、二年前に俺を悩ませた香奈美の声だ。

 スピーカーから出る笑い声に併せて、唇が動いている。

 録画したものではないだろう。

 どこからか中継されているのか?

 俺のパソコンを乗っ取って、俺に向けて、わざわざ?

 さまざまな疑問が脳裏を巡るなか、俺はようやく質問をひとつに絞った。



「なにが、起こってるんだ?」



 メロスは画面越しにこちらを見たまま、なにも答えない。

 まるで、俺の声など聞こえてないように見える。

 いや、実際に聞こえてないのか?

 メロスが、ちょっと困ったような顔をした。


「あの、ミミズクくん。どうしてますか? そこにいますよね?」


 かつて一世を風靡した少女の声は、心細そうに震えている。

 胸の前で両手を組んで、祈るような仕草をする。

 雑談動画の最後にチャンネル登録をお願いするときの媚びを売る仕草に少し似ていた。なのに、今画面に映っているそれにはあざとい滑稽さはなくて、真に迫る切なさがある。

 歌をうたっているときの、香奈美のような――。


 俺はヘッドセットを取りだして、パソコンのマイクの端子にプラグを突っこんだ。


「――香奈美、なのか?」


 語りかけると、歌姫は顔を上げて正面を見た。


「ミミズクくん……」


 風音メロスのアイズブルーの瞳に、涙が浮かぶ。

 涙としか、いいようのない液体だ。

 球の粒のような雫は、白い頬を伝って、顎から落ちた。


 泣く仕草をすることはあっても、涙のモデリングなんて頼んだ記憶はない。

 今の瞬間を録画できていたら、萩沼に見せて聞いてみたい。

 あの自然なひとしずくの涙を流すのに、どのくらいの作業時間があれば可能なのか。


「会えて、よかったです。声が聞けて、うれしい」


 メロスは目尻を拭って、再び笑った。

 眼を細めて、モデリングされている限り最高の笑顔だ。


「香奈美……? 悪い。本当に、なにがどうなってるんだか、さっぱりわからないんだ」


「すみません……あまりに懐かしくて、つい取り乱してしまいました」


 涙声になっていた彼女の声は、普段の調子を取りもどしていく。


「お話をする前に、ひとつお願いしたいことがあるんです」


 こうなれば、毒を食らわば皿までだ。

 俺は先をうながした。


「ミミズクくんの、顔も見たいんです」

「顔も見たいって……WEBカメラを取りつけろとでも?」

「はい。そうしていただけると善哉です」

「善哉ですって……WEBカメラなんて持ってないんだけど、これから買ってくるか?」

 八王子駅の周辺には家電量販店が北口にも南口にもある。俺は北口のヨドバシ派だ。

「あ、いえ。それはもうすぐ届くから大丈夫です」

「はいぃ?」

 呼び鈴が鳴った。

 メロスに頼まれて出てみると、ヤマトの宅急便だった。

 渡されたダンボールを開けると、WEBカメラが入っている。

「どゆこと?」

 俺はパソコンの前に舞い戻り、マイクを通して彼女に尋ねた。

「指定した時間にピッタリ……日本の物流は本当に優秀ですよね」

「いやこれはそれで済まされる話じゃないだろ!」

 声を荒らげても、メロスはニコニコと笑ってなにもいわない。

 WEBカメラをつけるまでは、答えないということだろう。

 俺は仕方なく、彼女の望むとおりにWEBカメラを取りつけることにした。


 五分後。


「……っ!」


 画面の中の風音メロスは、カメラ越しに俺を見て、目を輝かせた。

 瞳の中に星が描きこまれた、マンガチックな表現。

 この表情は、二年前の風音メロスの動画でも度々使っている。


「メロスは今、ミミズクくんを見ています……!」


 彼女は上ずった声で、頬を紅潮させる。

 こっちもメロスの愛らしい表情に頬がゆるむが、いまだこの状況をどう捉えればいいのかわからない宙ぶらりんな気持ちが、再会できた喜びに水を差す。


 そもそもこれは、再会でいいのだろうか。


 彼女は俺を知っているし、俺も彼女を知っているのだからこれを再会といわずとしてなんというのか?

 けれど、この少女は本当に俺の知っているメロス――香奈美なのか?

 そんな思いが何度も頭の中で反芻されて、つまるところ、混乱しているのだ。


「ミミズクくん、少し痩せましたか?」


 感極まっていたメロスの表情がくもる。


「ああ……まぁ、痩せたかもな」

「心配です。きちんと栄養のある物を摂っていますか?」

「俺の心配をするなら、まずは説明をしてほしいんだが」


 率直に告げると、メロスが真顔になった。


「そうでした……ただ、実をいうとメロスもなにをどこから説明すればいいのか、いささか困っています」

「じゃあ、会話の主導権を俺に譲れ。質問をさせろ」

「強引な物言いですね」


 淡々とはしているが、嫌味ではなく親しみのある声で告げる。


「今朝から心臓が飛び出るような目に何度遭わされたと思ってるんだ」

「申し訳ありません。ミミズクくんを驚かせようと思って、いろいろ仕込みすぎてしまいました」

「おまえが仕込んだことだって認めるんだな」

「はい」とメロスはうなずいてみせる。


「丈留くんに依頼した時点でバレるかな、とも思ったんですが……意外にバレないものですね」

「投稿する前にひと言ほしかったっていってたぞ」

「当然の言い分ですね。申し訳ないことをしました。なんらかの形でお詫びをしたいと思います」

「おまえが――香奈美が無事だってきちっといってやったら、それ以上の詫びはないと思う」


 俺が告げると、画面の中の3Dモデルは、一瞬硬直したように見えた。


「それは……困りましたね」


「どういう、意味だ?」


 そう尋ねた俺の唇は震えている。

 嫌な予感がした。


――香奈美の病気が治ったって、そういうことなんじゃないの?

『メレオロジー境界線』の歌声を聞いて、虎落桃華はそういった。

 萩沼も、香奈美が帰ってきたと思いこんでいた。


 それが、自然な解釈だ。


 けれど、今朝から俺の身の回りで起こっていることは自然なことだといえるだろうか?


 香奈美の時差ボケ病が治り健康な時間を取りもどしたのなら、こんな登場の仕方はあり得ない。

 そもそも、二年前に失踪したそのこと自体、それ以前の彼女の行動と繋がっているようには思えないのだ。


 ヴァーチャル・アイドルとしての活動は続けられずとも、香奈美がどこにいるか知っていれば、俺は毎日だって会いにいっていた。

 たとえ、俺と香奈美の時間がずれていても。

 香奈美が眠ったまま、ひと言だって会話ができなかったとしても。

 けど、そうならなかったということは――。


「今ここにいるメロスは、貴宮香奈美ではありません。貴宮香奈美は二〇一七年十二月六日の午前六時四十三分にロングスリープに入りました」


 ロングスリープ。

 時差ボケ病の患者の八割がたどりつく終焉。

 外界と体内の時間のズレが激しくなり、ついには目覚めなくなる症状だ。

 身体は眠ったまま、脳だけが急速に覚醒と半覚醒をくり返して老いさらばえ、ほどなくして死に至る。


 その可能性は、常に頭の中にあった。

 けれど、考えないようにしていた。

 ごく少数ではあるが、体内時計の機能が正常に戻る人もいる。

 そんな奇跡を願っていた。


 言葉を発せないでいる俺に対して、目の前の3Dモデルが語りかける。



「貴宮香奈美は、終わりが近づいていることを知っていました。そして、自身の最期にミミズクくんたちを付き合わせることを拒んだんです」



「どうして」


「アイドルで、ありたかったんじゃないでしょうか?」


 もう一度、パソコンのコンセントを抜こうと思った。


 風音メロスを描写するように命じられているだけの0と1の集合体でしかなさそうなこいつは、いったい、なにをいってるんだろう?


 アイドルであるよりも前に、ひとりの女の子であってほしかった。

 死が迫っていることを知っていた?

 どうして、泣き言のひとつもいってくれなかったんだろう?

 それとも、俺たちがそのことに気づかなかっただけなのか。


「泣かないでください、ミミズクくん。あなたの悲しそうな顔を見ていると、ありもしないメロスの胸が、引き裂かれるように痛みます」


 目尻ににじむ涙に、指摘されて気がついた。


「見てくれなんて、頼んでない。なんなら、WEBカメラを外してやろうか?」

「……それは、もっといやです」

 俺の声は驚くほど荒んでいて、それに対するメロスの声も今にも消え入りそうな哀切を孕んでいた。


「なぁ……じゃあ、結局おまえは何者なんだ?」


 涙を拭って、俺は問う。

 この超常を受け入れるには、いきつくところまでいくしかないと思った。


「風音メロスです」


「メロスは俺たちがつくったヴァーチャル・アイドルだ。実在する存在じゃない」


「けれど、メロスは自分のことを風音メロスと認識しています」


「自分がなにをいっているのかわかってるのか? それは……途方もなく、むちゃくちゃなことだぞ」


「ミミズクくんの心情は理解できるつもりです。けれど、今ここにいるメロスのことを、受け入れてほしいんです」


 胸の前で両手を組んで、懇願するポーズを取る。

 毒を食らわば皿までだと、もう一度自分に言い聞かせる。


「わかった……教えてくれ。おまえはどうして、自分を風音メロスだと認識するようになったんだ?」


 画面の中の彼女は深呼吸をして、平坦な声で告げた。



「メロスのベースは、ロングスリープに入った貴宮香奈美の百二十四年分の脳波パターンを学習して生成された、人工知能なんです」





◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 気がつけば、夜の六時になっていた。

 メロスの話は長く、加えてとても一度で理解できるものではなかった。俺は途中で何度も質問をはさまねばならず、メロスも根気よく丁寧にそれに答えてくれた。


 つまるところ、今モニターの中にいる彼女は、風音メロスといって、遜色のない存在らしい。


 時差ボケ病――慢性的非同期症候群が二〇一〇年に発見されて、ひとつの実験が行われていたことは、俺も母を亡くした契機にこの病気について調べて知っていた。


 それは、人間の心の寿命をめぐる問題だ。


 時差ボケ病の患者の中には、通常の俺たちを取り巻く時間の軛を外れて、肉体はそのままに心だけが年老いていく人々が出現した。

 メロスの“魂”であった香奈美がまさしくそのケースだ。

 彼女は外界の絶対時間と同期していないときは、体内時計がものすごい勢いで進んでいき、三時間が一日の長さにまで感じられる状態だった。

 香奈美は外側の俺たちからすれば凄まじい集中力を発揮して、三百ページ程度の文庫本ならば三〇分もあればたいていは読み終えてしまう。当然、内容はきちんと頭の中に入っていて、感動すれば目尻に涙まで浮かべている。

 三十分で読破しても、彼女にとっては時間をかけた読書なのだ。

 学術系の新書や、難解な古典文学に手を出した場合は、一時間で読破しておきながら、理解するために同じ場所を何度も読み返したとまでいっている。

 こうした事例は、香奈美に限った話ではなく、加速系の時差ボケ病患者に共通した話だ。



 人間の肉体の寿命は、どんなに健康に気を遣って生活したとしても、百二十年前後といわれている。

 肉体そのものが、そういう風にプログラムされているのだそうだ。

 では、肉体はそのままに認識だけ齢を重ねる香奈美のような存在の場合はどうか?

 肉体というハードの限界を逃れることに成功した人の心に、寿命は存在するのか?

 存在するとすれば、どれくらい生きられるのか。


 人間は不老不死を夢見るものだ。

 心の寿命という命題を与えられた人類は、世界の各地で、秘密裏に時差ボケ病患者を対象に実験を行っていたという。

 そして、これらの実験は皮肉な結果に終わった。

 ロングスリープに入った時差ボケ病患者の脳に、アルツハイマーなどの症状が出はじめたのだ。

 結局、時差ボケ病患者も脳という器の制約から逃れてはいなかった。

 計測された最高齢の精神年齢は二百四十四歳だという。

 肉体を捨てれば人間は無限に生きられるとも、生きられないとも、どちらともいえるような結果だった。


 こうした前提を踏まえて、風音メロスは語った。

 心の寿命を正確に測るために、人間の人格を肉体から電子情報へと変換する試みが行われた、と。

 その実験により貴宮香奈美の精神から生みだされたのが、今俺のパソコンをクラッキングしている風音メロス。

 失踪した貴宮親子が最終的に見つからなかったのは、そうしたこの社会のアンダーグラウンドな面に片足を突っこんだからだということらしい。


 三流SFじゃねぇんだぞ、と俺も何度突っこんだか分からない。


 メロスは基本的には香奈美の記憶を継承しているということだったが、ロングスリープに入る前後の記憶は、おぼえてないのだという。


 気がついたときには、メロスが生みだされた研究所はなくなっていて、彼女は広大なインターネットの海を漂っていたのだという。


 もう一度、俺に会いたい。

 身体を失ったメロスを、受け入れてほしい。

 時差ボケ病のハンデが消えた今、もう一度ヴァーチャル・アイドルとして挑戦してみたい。


 そうした衝動が今朝の凶行に至るまでに彼女を突き動かしたのだそうだ。


「香奈美は……俺のことを、そんなに大切に想ってくれていたのか?」


 俺は尋ねずにはいられず、メロスははっきりとうなずいた。


「それは、間違いありません」


 彼女の頬が薄紅色に染まる。


 好きだった少女と、両想いだった――俺はこの事実を素直に喜べない。

ここに至るまでがあまりにも突拍子もなかったし、どちらにしろ香奈美はもういないのだ。

 手を伸ばせば手に入ったかも知れないものが、永遠に失われてしまったなんて、悲劇以外のなにものでもない。


 せめて、ロングスリープについて、打ち明けてくれていたら……。


 どうして香奈美が黙っていたのかメロスに尋ねても、彼女はそのことについては、おぼえていないのだという。

 知りたいことに限って、都合よく忘れてる……そんな感想は、しかし、口にすることはできなかった。


 メロスにあたってもしょうがない。

 彼女は、必死だった。

 動画を撮影しているときの香奈美がまぶたの裏によみがえるほどに。

 画面の向こうにいる不特定多数の誰かに、自分はここにいるのだと祈るような気持ちで訴えかけて、歌をうたう姿を思い出すと、自然と応援したくなる気持ちが芽生えてしまう。


 最後に俺は尋ねた。

 今朝の、最初に届いたメールについてだ。


「異世界っていうのは、なんなんだ?」


「異世界?」


 画面の中のメロスは、目を見開いた。


「すみません。今『異世界』と、そう言いましたか?」


「ああ、『異世界』っていったんだよ。待て。なんだその反応は。今朝、動画を投稿する前に変なメール寄こしただろう」


「そんなメールは知りません。わたしが今日やったのは、丈留くんが仕上げてくれた『メレオロジー境界線』の動画投稿と、ミミズクくんのパソコンを乗っ取ったことだけですが」


「――はい?」


 異世界。その緊張感のない響きが、再び宙ぶらりんに放りだされた。


 ばたばたとしていて昼飯をぬいた腹が、ぐぅぅうと空腹を訴えかけてくる。


「今から飯を作る気力はないな……」

「なにか出前をとりますか? それとも外に食べにいきます?」


「後者にしよう」


 色々ありすぎて、頭は考えることを拒否していた。

 状況を整理するのに必死すぎて、喜怒哀楽の感情も追いついてこない。


 俺の人生を左右する運命の日となった、二〇二〇年の八月四日。

 こっから先の記憶は、ない。


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