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2017年11月のこと

 

 虎落の電話が切れてからも、俺は放心したまま風音メロスの動画を見続けていた。


 二年前から更新が止まっていた『メロス・チャンネル』に動画を投稿することが可能なのは、死んだ宗哉を除けば、俺と萩沼、虎落、香奈美の四人に限られる。

 この点からも、犯人はごくごく絞られる。

 いや、絞られるなんて生やさしいものではない。

 不可能なことを除外していって、最後に残ったものが真実とは、シャーロック・ホームズの名言だったか。かなり不可能なことをやってる人間がいうのもなかなか含蓄があると思うが、いやいや、今そんなことはどうでもいい。


 この歌声が示すところはすなわち、失踪していた香奈美が再び現れたということなんだ。

 動画のクレジットを信じるならば、ピザ星人である萩沼は、すでに彼女と連絡を取っているということになる。


 二週間前にも会ったばかりのあいつが、香奈美と……。

 胸がチクチクと痛んだ。

 昼までは、まだ一時間以上時間がある。

 もっと他のことを考えようと、比較用に過去の風音メロスの動画を俺はあさり出す。

 俺の脳裏を、当時のやり取りが走馬灯のごとく駆け巡った。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 俺が風音メロスの“魂”である貴宮香奈美に出会ったのは、二〇一七年の十一月のことだ。

 あの日、俺は大学の図書館で四限の語学の小テストの勉強をしていて、そこにやってきたのが南雲宗哉だった。



「マイフラテッロ、バ美肉しないか?」



 忘れもしない、第一声がこれだった。

 南雲宗哉という男は、いつだって唐突なのだ。

 どこから突っこんだものか悩んだ俺は、明らかに突っこみ待ちな部分はあとまわしにする。



「マイは英語で、フラテッロはイタリア語だ。“よう、兄弟”ってニュアンスで使いたいなら素直にそういえよ」

「“my”ってイタリア語でなんていうんだ?」

「……“MIOミーオ|”じゃなかったっけ? 『オー・ソーレ・ミーオ』って歌があったろたしかあれが、『私の太陽』って意味だったはず」

「なるほど、つまりこういうことだな……フラテッロ・ミーオ、バ美肉しないか?」

「いや、ヤフー知恵袋で聞いてみたら、所有格を後ろに持ってくのは特殊な形で、普通は前に持ってくるらしい」

「ミーオ・フラテッロ、バ美肉しないか?」

「しない」

「散々遠回りしたが、そういってくれるだろうと思って、すでに中の人間は用意してある。今日の十七時にめじろ台のジョナサンに集合だ。遅れるな」

「なにもかもが唐突すぎる」

「ちなみに、ソーレが太陽なのはわかるんだが、オーっていうのはなんなんだ?」

「全部ウィキペディアに書いてあるぞ」


 近くで同じく語学の勉強をしていた女学生があからさまな舌打ちをしたので、俺たちは移動した。俺は、この時点で四限の小テストは諦めていた。


 俺はサークル棟にある正剛大学文芸部のボックスまで移動して、改めて宗哉の話を聞いた。


「で、どういうことなんだ?」


「察しが悪いな兄弟。卒業制作で今流行りのヴァーチャル・アイドルを作ってみたいので、放送台本とオリジナル曲の作詞で協力してほしい、といっているのだ」


「さっきのやり取りでそこまで読み取れる奴は人間じゃないぞ」


「バ美肉しようと、ちゃんと伏線を張ってたつもりだったんだがな」


「それは伏線とはいわない……まぁいいや。なんで俺なんだ?」


 文芸サークルに入ってる手前、趣味で小説を書いてはいるが、それも手すさびだ。この頃の俺は宗哉が広い人脈を持っていることをすでに承知しており、わざわざ俺なんかに白羽の矢を立てる理由がわからなかった。また、ヴァーチャルアイドルは当時の段階でタレントの新形態として注目されてはいたが、俺は有名どころの「ラヴ・ボンド」とか「のじゃロリおっさん」についても、名前は聞いたことがある程度の知識しかなかった。



「まず、金が払えるかどうかはわからんからな。やるからにはチャンネルを収益化してさらにCDデビューまで漕ぎつけたいところだが、確証がない以上、継続性のあるタスクはアマチュアにしか声をかけられない」


「なるほど」


「次におまえが、友人は少なく、彼女もおらず、キャンパスライフを死んだ魚の目で謳歌している点がすこぶる高評価だ」


「殴るぞ」


「まぁ、待て。ヴァーチャル・アイドルのオリジナル曲の作詞を頼みたいといっただろう。これがメインの作業になる。正直、キラキラした眼の奴に恋とか希望とか夢を持つことの大事さとかを抽象的に説く歌詞を書かれても、ネットでは響かない」


「……納得できてしまう」


「恋を歌うなら失恋、希望を抱いていたけど巨大な挫折、青い夢はもう捨てて世間擦れしました……それぐらい斜にかまえて、ストーリー性のある歌詞を書いて欲しいんだ。これからデビューするアイドルを売り出すためのプロモーションみたいな曲は、昨今の耳の肥えた視聴者には響かんと思う。今年の文化祭に出した部誌を見れば、おまえはそういうネガティブパワーを内に秘めているのがわかる」


「百歩譲って担がれているということにしてやろう……けど、歌詞なんて書いたことないぞ」


「そこは勉強してもらいたい。で、三つ目だが、おまえ深夜ラジオ好きだったろう。メインの活動は歌動画でやろうと思っているが、それだけだとヴァーチャル・アイドルである意味が半減してしまう。視聴者との距離感は最大の武器だ。深夜ラジオ的なノリはぜひとも盛りこみたい」


「動画用の放送台本か……まぁ、高校の時、放送部の手伝いででそれらしいのはやったことあるけど」


「中の人間に書かせるのが一番なんだろうが、そういうのはわからんらしいのでな。言葉の端々にウィットは感じるから、ダラダラとしゃべらせて面白い部分だけ編集する事ができればそれもひとつの手なんだが、如何せんその手段は取れない」


「……なぜ? ご承知のとおり、陰キャオブ陰キャである俺なんぞに頼るよりも、確実な手だと思うが」


「会って三〇分もすればわかるはずだ」


「待て、まだ会うとは決めてないぞ。ぶっちゃけ、むちゃくちゃ面倒くさそうで断ろうかなって気持ちが強くなってきてるんだが」


「ところで、ヴァーチャル・アイドルのアバター、これに関しては俺が身銭を切ってプロを呼ぼうと思っている。今考えているのは葉賀奈々子先生だ。デザインもモデリングも両方いけるというからな。ああ、そうそう『奏光のイシュタル』のイラストレーターだな。そういえば、うちのサークルのどこかに『奏イシュ』を聖書のごとく崇め奉っている男がいたような……」


「ぜひとも、このプロジェクトの末席に俺をお加えください」



 かような顛末で、俺は宗哉が企画したヴァーチャル・アイドル計画に加わった。

 そしてこのあと、めじろ台のジョナサンで、貴宮香奈美と出会ったのだ。



 ファミレスの店内に入ると、香奈美は四人がけの席で一人でホットコーヒーを飲んでいた。



 ひと目見て大きい子だなと思ったが、あとから実際の身長は一六〇センチ弱だと聞かされた。

 大きく見えたのは、その端整な美貌と姿勢のよさに由来する存在感の強さに由来するものだろうと俺は考えている。

 次に抱いた感想は、「美人だ……」だった。切れ長の瞳はいささか冷たい印象を受けはするものの、わざわざアバターを着せてヴァーチャルアイドルにする理由が見つからない。今をときめく生身のアイドルを連れてきて、いったい何人が彼女の美しさに勝てるだろうか?

 三つ目に、彼女が羽根が丘女学院の冬服をきていることに気づいた。この一帯では一番のお嬢様学校で、卒業後は私立の医学部か旧帝大必至の進学校である。

 とてもではないが、俺たちが通っている正剛大学の学生とお付き合いしていい相手ではない。


「……あの子なのか?」

「ああ、あの子だ」

「なんか、間違ってないか……?」

「いや、あっている。彼女が我らがヴァーチャル・アイドル・プロジェクト――略してVAPの“魂”となる、貴宮香奈美だ」

「略さなくていい」


 おぼつかない足取りで近づいていくと、香奈美と目があった。

 蛇に睨まれた蛙のように言葉を失ってしまう俺に対して、彼女が口を開く。



「早く座ってください。あまりじろじろ見られると、不愉快です」



 その佇まいに勝るとも劣らぬ、やや掠れ気味の美しい声。

 年下の女の子に生意気な口を利かれたことよりも、そっちの衝撃のほうが大きかった。


 宗哉は香奈美の向かいに座り、俺は宗哉の隣にすわろうとすると、彼にとめられた。


「実は、もうひとりくる。彼女を貴宮女史の隣にすわらせるわけにはいかぬゆえ、おまえはそっちにすわってくれ」

「え……?」

「貴宮女史の隣には、誰かがいたほうがいい。俺はすぐに、もうひとりの人物を迎えにいかねばならないからな」

「どういうことだよそれ」

「わたしの隣にすわるのって、そんなに抵抗がありますか?」


 戸惑う俺に、香奈美は抑揚のない声をぶつけてくる。


「いや、そういう意味じゃないんだ……その」


 返答に窮しながら、俺は香奈美の隣に腰を下ろした。

 ちょっとお尻をずらして、俺がすわるスペースをつくってくれる。合皮のカバーに覆われたソファの座面からは、彼女の温もりが感じられた。

 かいだことのない、いいにおいがする。

 ちらりと視線をむけると、制服のスカートから伸びる白い太ももが目に入って、慌てて視線をそらした。

 顔だけじゃなくて、スタイルもかなりよさそうだ。


「すまない。見てわかるとおり、この男は童貞なのだ」

「うるせぇよ」

「わたしも男性とお付き合いした経験はありませんが、これはさすがにいきすぎではないでしょうか?」

「中高と男子校で、大学でも女っ気のない日々を送ってると、男はこうなってしまうんです」

「一般化して大丈夫ですか? あなただけなんじゃないですか?」

「なかなかズケズケとものをいう子だな」

「気の強い子は苦手か?」


 どちらかというと好みである。

 しかし、好きになってしまいそうな子が目の前に現れると先に予防線を探してしまうくらいには、俺という男はヘタレだった。

 中高で男子校だったとはいえ、失恋回数はそれなりにある。

 口を閉ざす俺に対して宗哉は肩をすくめて、香奈美のほうに話をふった。


「今日は、ここまでは?」

「友人に一緒にきてもらいました」

「それはよかった。無理をさせてすまない」

「無理、というほどではありません。今日は体調がいいですから」


「体調?」


 俺が首を傾げると、香奈美は俺のほうを見た。


「聞いてないんですか? わたしは、てぃ――」


 言葉は変なところで途切れた。

 彼女は突然、糸の切れた操り人形のごとく脱力して、俺の肩にもたれかかってきたのだ。

 覗きこむと、まぶたを閉じて意識を失っている。

 隣にすわったときにかいだ甘いにおいが濃くなり、心臓が早鐘を打った。


「ちょ――」

「大丈夫、寝ているだけだ」

 取り乱しかけた俺に、宗哉が告げた。

 たしかに香奈美は、規則的な寝息をたてている。


「思っていたよりも、早くきたな。たぶん、待ってるあいだ緊張していたんだろう」



「……この子、時差ボケ病なのか」



 慢性的非同期症候群。

 通称、時差ボケ病とかTDS(Time Difference Syndromeの略)とか呼ばれるその精神疾患は、二〇一〇年ごろから、なんの前置きもなく世界中で散見されるようになった。

 外因性リズムと内因性リズム――外界の絶対時間と体内時計――が突発的に不調和をきたし、ところかまわず寝てしまったり、不眠状態が何日も続いてしまったりする病気だ。

 十五歳の時、母をこの奇病が原因で失った俺は、すぐに思い当たった。



「貴宮女史は、十二歳の頃に発症してな。治療を受けてはいるが、じょじょに悪くなっているらしい。昨年の段階で計測したら、三時間が一日程度の長さに感じられるそうだ」


「かなり、悪いじゃないか……」


 それだけずれていると、いつ意識を失うか本人にも周囲にもわからない状態だ。

 ひとりで外を歩き回ることは、主治医にとめられているはずである。


「実年齢は十六歳だが、脳年齢は二十一歳らしい。おまえよりひとつ年上だな」

「その脳年齢ってやつの測り方、かなり疑わしいんだぜ」

「精神年齢を科学的に割り出せるようになれば、社会はもっとよくなっているはずだろうしな」

「いろいろ諸問題も発生しそうだが……って、そんなことはいい。これか? 俺をこの子の隣にすわらせた理由は」

「もちろん、そういうことだ。俺がこれから呼んでくる女性に同じことはさせられない。仮に貴宮女史がコーヒーを飲もうとしているときに気を失ってこぼして、相手の服を汚したら大惨事だからな」

「もっと早くにいえよ」

「おまえのご母堂の死因を以前に聞いたことがあった。下手に地雷を踏んで断られると弱る」

「いや、遅かれ早かれわかることじゃねぇか」


「やってくれるか」


 宗哉は、真剣な瞳で俺を見る。

 単位がかかっている、というだけの表情ではなかった。


「やるよ。いろいろと腑に落ちたからな」

「感謝するぞ、ミーヨ・フラテッロ」

「それ、引っ張るのか?」

「素直にマイブラザーぐらいにしておくか」

「いや、普通に名前で呼べよ先輩」

「先輩には敬語を使えよ後輩」

 出会ったばかりの頃は使ってた気がするんだが、いつかを境にため口になった。きっかけは思いだせない。


 軽口を言いあっていると、宗哉の携帯電話が震えた。

「駅に到着したらしい。迎えにいってくる」と彼は立ち上がって店の外に出ていく。


 残された俺は、いまだ眠ったままの香奈美を肩に寄りかからせたまま、どうしたものかと途方に暮れたのをおぼえている。

 それぐらい初対面の貴宮香奈美の温もりと重みは刺激的で、女子に対して免疫のない俺を悩ませた。


「そういや、これから連れてくるのも女だっていってたな……誰なんだろう」


「葉賀奈々子さん……わたしたちのヴァーチャル・アイドルの、デザインとモデリングをしてくれる方だと聞いています」


 独り言に返事が返ってきて、俺は目を見開いた。

 香奈美が、俺の肩にもたれかかったままの姿勢で、こっちを見つめている。


「起きたのか」

「はい、大変失礼しました」


 スススと姿勢を直して、お辞儀をする。


「気にしなくていいよ。寝てるあいだに、事情は聞いたから」

「そうですか……今後とも、ご迷惑をおかけになると思います」


 眠ってしまう前より、少しだけ声に張りがなかった。

 初対面の男に対して無防備なところを晒してしまった羞恥心によるものだろう。


「俺の母も、TDSだったんだ。だから、そこらへんの奴よりは、多少詳しいつもり」


 謎の奇病に対する不安を和らげる効果とわかりやすさから、今でも広く使われるのは『時差ボケ病』のほうだが、「ボケ」という響きがよくないとのことで、罹患者の前では『TDS』という呼称を使うことが推奨される。


「だった……快復なされたんですか?」


 俺が首を横にふると、香奈美は申し訳なさそうにうつむいて、「すみません」と謝罪した。


 快復した例もあるにはあるが、ほとんどの患者は絶対時間とのズレが大きくなりすぎて寝たきりになる。俺の母は外出中に発作を起こして意識を失い事故に遭ったのが原因でなくなったが、これは全体の五、六パーセントと言ったところだ。


 最終的にどうして寝たきりになるのか、香奈美と俺が出会ってから二年以上が経った二〇二〇年の現在においてもそのメカニズムは解明されてはいない。


 患者の共通点はひとつだけ発見されていて、初めて発作が起こるとき、立っていられないほどの強い耳鳴りに遭遇するのだという。

 その耳鳴りが、音階を持ち、一曲の音楽のように聞こえるのだと――。


「だいたい、三、四〇分くらいが限界です。みなさんと、同じ時間を過ごすの」

「クールタイムは?」

「バラツキはありますが、十分ほどですね。緊張とか、その日の体調によって、前後します。雨の日はクールタイムが長くなります」

「低気圧に弱いのは、うちの母さんと同じだな……けど、なんでヴァーチャル・アイドルなのかは、わかったよ」

「どういう意味ですか?」

「いや、そのルックスと声なら、生身のままアイドルのオーディション受けたほうが成功する確率高いだろうなって思って」

「わたし、いきなり口説かれてますか?」

「いや、正直な感想だよ」


 そんなやり取りの最中に、ウェイトレスがやってきて注文をとっていった。俺はホットコーヒーを三つ注文する。


「顔がいいだけ、歌がうまいだけでやっていけるほど、簡単な世界ではないですよ」

 コーヒーをひと口すすって、彼女はいった。

 カップの取っ手に絡まる白い指の動きに思わず見入ってしまう。

「――美人だって、自覚はあるんだな」

「TDSにかかるまでは、周りのいろんな人にちやほやされてきましたから」

「その頃から、アイドルに憧れて?」

 香奈美はうなずいた。


「もっといろんな人にすごいっていわれたい、歌でわたしにしかいけない道を切り拓いていきたい、そんな風に考えていました」


「歌をメインに活動したいんだ」

「わたしはトークは立ちませんし空気を読むのも苦手ですから」

「トークが立たないはないだろ」

 ここまで彼女は、調子を変えずによどみなく話している。

「まぁ、空気が読めないは、あるかもしれないけど……」

「きっと、さっきみたいに見ず知らずの男の人にもたれかかって眠ってしまっているところを意地悪な先輩アイドルに激写されてブンシュン砲の直撃を食らってそれまでです」

 ……説得力あるな。


「TDSは、いまだ治る見込みの薄い難病です。しかし、そうであるからこそ、夢を諦めたくはないと思いました」


「けど、普通のアイドルは難しい。だから、最悪自宅でも撮影できるヴァーチャル・アイドルを目指そうって考えたわけか」


「生配信をできないのは痛いですが、ミュージックビデオみたいな動画をつくるだけなら多少パフォーマンスが途切れ途切れになっても、あとから編集できるんですよね」


 少女の瞳は涼やかでありながら、強い決意の光を湛えている。


「だな……最悪君は歌を収録するだけで、動画の編集は別の人間にやらせることだってできるわけだし」

「ヴァーチャル・アイドルと名乗る以上、振り付けもやりたいところですが……動画の編集をできる人も連れてくると宗哉くんはいってました」


――宗哉くん。


 その親しげな呼び方に、俺の背中に冷や汗が滲んだ。

「ところで、ひとつ聞きたいんだけどさ……」

「なんでしょう?」

「その、こういうことを聞くのなんなんだけど……宗哉とは、どういう関係なんだ? いや、深い意味はなくて、どこで遭ったのかなーとか――」

「ご存じ無いですか」

「ご存じありません」

「宗哉くんは、私の叔父の長男――いわゆる従兄弟です」


 俺はこの直後、深い深い安堵の息をついてしまった。

 すぐあとに大ファンの葉賀奈々子先生に会えることを承知していながら、最大の関心事は完全に香奈美に移っていた。


 思い返してみれば、俺はこの時点で貴宮香奈美に惹かれていた。

 誰もがふり返る美貌を持ちながら、時差ボケ病のハンデを背負い、それでも希望を捨てないでいる姿に応援したくなっていた。

 なんていうのは簡単で、正直に白状すれば、タイプだったということに尽きる。自律していて精神的にたくましく、言葉の端々からも知性を感じられる。黒髪のロング、女子高生、理知的な横顔、お嬢様学校に通ってる秀才、女子高生。俺の好きなものしかない。一目惚れ、というヤツだ。


「今、ホッとしましたか?」


 香奈美は切れ長の瞳でこっちを見ていた。


「ああ、いや、まぁ、あんな奴に君みたいなかわいい彼女がいたら少なからずショックを受ける」


「宗哉くんは、あんな奴といわれるような人なんでしょうか? わたしがアイドルをやりたいこと知っていてこんな企画してくれましたし、父に話をつけるまでしてくれました」


「単位のためじゃなくて、君のためだったのか」


「表層の奇行ばかりが目につきますが、宗哉くんは粋な人だと思います」


 親戚筋でも奇行が有名なのかあのとことは……いや、それよりも。

 俺は、訊かずにはいられなかった。


「宗哉のこと、好きなのか?」


 覗きこむ俺を、彼女は本心の読めぬ表情でじっと見返してくる。


「あなたも初対面なのにずいぶんとズケズケと聞いてきますね」


 いわれて、我に返った。

 たしかに、会ってすぐの男にいうべきことではないし、こっちだって聞くべきことではない。

 顔から火が出る思いでいると、彼女はやはり仮面をかぶったような表情のまま、告げた。


「……好ましくは思います。ちゃらんぽらんしているようで、芯が通っていて、信頼の置ける人です」



――それってようするに、好きっていうことだよな。



 内心でショックを受けつつも、気取られぬように俺は飄々とした返事をした。


「俺の評価と似てるな」


「それは善哉です。わたし、こう見えて人を見る目はあると思うんですよ。ですから、あなたも――」


 香奈美は言葉が途中で切って、再びこっちをまっすぐに見る。


「――そういえば、まだ名前を聞いてませんでした」


「ああ……皆月邦男。正剛大学の二年」


「みなづき……六月の?」


「いや、皆の月って書いて、皆月。旧暦の六月はペンネームにしてる。水無月Q」


 俺はカバンの中からメモと鉛筆を取りだして『水無月Q』と書いた。


「邦男だからQ……安直ですね」

「坂上九みたいでよくない?」

「水無月の『き』と『きゅー』の音が隣り合ってて呼びづらいですよ。水無月きゅ――」


 噛んだ。


「――ほら」


 香奈美は仏頂面になって、非難がましげな視線を送ってくる。


 ここまでずっと表情らしいものを見せてこなかった彼女が、そんな顔をするのが面白くて、思わず俺は噴きだしてしまった。


「なんで笑うんですか。みなづ――み」


 また噛んだ。かみ癖がついてしまったのだろうか。

 完璧な間の取り方に、俺は人目もはばからずに腹を抱えて笑ってしまう。


「みなづみ、みなづみ……!」


 香奈美はますます眉間にしわをよせて「不愉快です」とつぶやいた。



「今日からあなたのことは、ミミズクくんと呼ぶことにします」



 俺のミミズクというあだ名が定着した瞬間だった。

 宗哉に連れられて葉賀先生がやってきたのは、このタイミングである。

 俺と香奈美の話は中断され、すでにプロとして活躍していた葉賀先生を中心にその場はまわった。


 葉賀先生は美少女好きの人で、香奈美の容姿を見るなり仕事を快諾することを決めたらしい。

 風音メロスという名前もこのときの打ち合わせで生まれ、それがそのまま本採用になった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「――っと、もうこんな時間か」


 時刻は十二時をまわろうとしていて、俺はメロスの過去の動画をみながら耽っていた物思いを中断した。

 この記憶を、何度繰り返し思い出したかはわからない。

 香奈美はこの時から、自身に待ち受ける運命を、知っていたのだろうか?


 そんな益体のない疑問をふりきって、俺は萩沼に電話をかけた。


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