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動きだす時間

 この世界では人間は死ぬと一曲の音楽になる。




 火葬をすればかまどの中で炎が旋律を奏でる。



 海に水葬をすれば濤声が歌う。



 林葬ならば虫や草木が鳴き、鳥葬ならば鳥たちが啼く。



 葬儀の場で人の死が奏でる曲は、採譜師さいふしたちがその耳で聞いて紙に写す。



 採取した曲は魔葬曲まそうきょくと呼ばれ、その死を悼む人々のために演奏された。




 銀鍵坑ぎんけんこうのミミズクは、この世界で、最後の採譜師である。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「――んぁ?」


 携帯電話から鳴り響く電子音で、俺は目を覚ました。

 カーテンを閉め忘れた窓からは眩しい陽光が射しこんで、顔面を炙る。

 今日もウンザリするほど暑くなりそうだった。


「……変な夢見たな」


 上体を起こし、三十秒ほど頭を抱えてどんな夢だったのか思い出そうとしてみたが、成果は得られなかった。


「なんか、小説のネタになりそうだったんだけどな」


 枕元の携帯電話に手を伸ばし、目覚ましをとめる。

 二〇二〇年八月四日。時刻は九時五十分。

 四年になって一限の授業をとらなくなってから、生活のリズムは一気に乱れた。

 しかも就活に失敗し、新卒は残したほうがいいだろうなんてせこい考えから留年した二度目の四年生なもんだから、今では週に一回のゼミのためにしか大学にはいっていない。

 就職活動はしているし、今日もどこかの面接をグーグルカレンダーに登録しておいたはずだが、はたしてどんな業界の、どの職種で応募したかも思い出せない。

 今手の中にある携帯をちょっと操作すればわかることが、とてつもなく億劫だ。

 眼前で荒れ狂う社会の大海原をインターネットなりテレビのファインダー越しに眺めていると、誰が好きこのんであんな場所に漕ぎだしていくのか、とても不思議になる。


 生まれてこの方、早く大人になりたいなんて思ったことはあっただろうか?

 先週迎えた誕生日で、俺は二十三歳になった。

 二十歳を過ぎたらいやでも大人になるんだとぼんやり考えてた頃が懐かしい。

 背が伸び、ヒゲと腋毛と胸毛と陰毛が生えて、身体は大人になった。

 しかし心はというと、歳相応なんて言葉に永遠に追いつける気がしない。


「不平不満を並べててもしょうがない……まずは朝メシだ」


 俺は携帯をベッドの上に放って、寝巻きのまま朝食の準備をはじめる。

 二枚の食パンの上にフレークのツナ缶をひっくり返し、その上に格子状にマヨネーズを乗せて焼けばツナマヨトーストの完成だ。

 朝食はよっぽどやる気に満ち満ちていないとこれで済ませるから、俺の身体の三分の一はこいつで構成されている。だって簡単だし、美味いし。

 トーストが焼けるまでのあいだに冷蔵庫で冷やしたコーヒーにたっぷりの牛乳と氷を三ついれてカフェオレをつくる。朝の渇いた喉に流し込むと、まとわりつく夏の朝の熱気がすっと引いていって、ちょっとだけ気持ちが上を向く。


 昨夜録画した深夜アニメでもみようかと(曜日感覚が崩壊しているので点けてみるまでなにかわからない)レコーダーのリモコンを手に取ったところで、隣の部屋から携帯電話が鳴った。

 音でわかる。目覚ましアプリのスヌーズ機能ではなく、電話の着信音だ。


 取ってみると画面には虎落桃華もがり とうかの名前が表示されている。


「ああ、そっか。今日の面接って……」


 居留守しようかな、と邪念がよぎる。

 そして、今日の予定もオールキャンセル。すべてを投げ捨て、鳥籠から放たれた小鳥のような気分で立川まで映画でも見にいくというのはどうだろう? 会員だから平日千円。とても素晴らしいアイディアだ。

 しかし、二十回もして途切れることのないコール音が、不動明王もかくやと激怒した虎落の姿を体現しているようで俺は観念せざるを得なかった。

 ここで無視をしたら、あとが怖い。


「はい、もしも――」

『遅い』


 俺の言葉を遮る、甘く存在感のある少女の声。


『電話が鳴ってから、居留守しようか迷ってたでしょ?』


 声だけを聞いたら、相手が十二歳くらいの少女と勘違いをしても不思議ではないが、虎落桃華は俺の一つ年下で、歴とした成人女性だ。


『今日の面接、まさかぶっこくつもりじゃなかったでしょーね?』


 おまけに、二十二歳にして俺が今日受ける会社の人事にも口出しできる女傑である。


「ぶっこくのは嘘と屁だぞ。ぶっちする、といいたいのか?」


『やかましいわ! 細かいことはどーでもいいのよ! とにかく、今日は面接に絶対にきなさいよね! このあたしが直々にリマインドしてあげたのよ!』


「その声でが鳴るな。耳がキーンてする」


『誰のせいよ、あんたがそーさせてるんでしょ!』

「ッゴホォッ、ゲホォッ、ガハァッ!」

『え、ちょ、どうしたのよ急に』

「いや、実は風邪気味で……」

「マジ? なによそれ、そういうことなら早くいいなさいよ。人事のほうにはあたしから声をかけておくから――いや、それはダメね。ちゃんとあんたから電話しないと」


 チョロい。てか優しい。


「すまん、仮病だ」

 俺は良心の呵責に耐えかねてあっさりと白状した。

『はぁっ!?』

 携帯電話のスピーカから、裏返ったアニメ声が一気にまくしたててくる。


『あんたねぇ、ホントいい加減にしなさいよ!? あたしが今一番大事な時期で、人手がいるって説明したでしょ! つか、いくらか貯金に余裕があるからっていつまでもそんな片田舎に引っこんだままで、二年前から一歩も前に進んでないのはあんただけなのよ!?』


 俺は自然と唇をかみしめていた。

 携帯電話を握る手が、汗で濡れている。


『南雲も、香奈美も、もう――』

「虎落」


 続く言葉を遮断するように、俺は口を開いた。


「すまんかった。ちょっと調子に乗りすぎた」

『皆月……』


「でもさ、やっぱ冷静に考えて、おまえのところで、おまえと一緒に働くってのは、無理だよ」


 唇が震えた。

 偽らざる本音が自分を心配してくれている相手を傷つけることなんて、そう珍しいもんでもない。だからとはいえ、気分のいいものでもない。


 願わくば、虎落には思う存分俺を罵倒して、たまった澱を吐きだして欲しい。


 迷いがあると彼女のパフォーマンスに響いてしまう。


『そう――悪かったわ』


 きっと、虎落は俺が考えていることなんかお見通しで、気落ちした声でそう告げた。


『ならあたしは、あんたの考えが変わるのを健気に待つわ』


 心臓に悪い沈黙が流れ、俺は自ら通話を切ろうと思った。これ以上、虎落と話すことはない。

 しかし、スマートフォンの上部にポップアップしたメールの通知メッセージに指の動きが止まる。


【from 風音メロス】


 普段、通話中に他のスマホの操作をすることなんてない。誤って電話を切ってしまいそうな気がするからだ。

 しかしこのときは、そんな習慣も吹き飛んだ。

 メーラーを起動して、送られてきた本文に目を走らせる。




【 やっほー、メロスは歓喜した。

  ミミズクくんだけに教える秘密です。メロスは、異世界を見つけました。】




 ??????


 なにかの悪戯としか思えない、本来ならば、見なかったことにする類の内容だ。


 しかし、風音メロスの名前は俺の心をかき乱し、足元がぐらつくような錯覚まで引き起こした。あわや倒れそうになるのを、踏みとどまる


『ちょっと、なんかいいなさいよ』


 虎落の声が聞こえて、反射的に「おまえか?」と尋ねる。


『へ? なにいってるの?』


「仕返しするにしても、ちょっと趣味が悪いんじゃないか?」


『はぁ? なんかいえとはいったけど、こっちがわかることいいなさいよ』


「……本当に、おまえじゃないんだな」


「全然話が見えないんだけど」


 混乱した口ぶりは真に迫っていて、嘘をいっているようには聞こえなかった。

 ならば、なにも話す必要はない。

「勘違いみたいだ。悪かった」と謝罪して、俺は通話を切った。

 切る瞬間、再び虎落の怒号が聞こえはしたが、今目の前で起こっている事象を説明する気にはなれなかった。



 風音メロスは、二年前にヒットしたヴァーチャル・アイドルだ。

 しかし、その活動期間はわずか半年で停止し、その姿をネット上から眩ました。



 ヴァーチャル・アイドルとは、アニメ調のライブ2Dや3DCGモデルをアバターとして活躍する、文字通り仮想世界のタレントである。


 そのほとんどが動画配信サイト《リンクス》を拠点として、歌をうたったりゲーム実況をしたり雑談動画を上げたりするのでヴァーチャル・リンカーなんて呼ばれたりもするが、最近はヴァーチャル・アイドルに統一されるようになってきた。

 登場から三年半ほどを経て、その存在はいまだ過渡期にあるといえるが、廃れる気配はなく、じょじょに地上波のテレビ番組なんかにも顔を出すようになってきている。


「誰かの、イタズラか……?」


 先ほど送りつけられたメールの文面を睨みながらつぶやく。



 俺は、風音メロスを運営するプロジェクトチームの一人だった。



 そもそも風音メロスとは、大学の卒業制作のために当時二十二歳だった南雲宗哉なぐもそうやが企画したものである。彼がプロデューサーとなって、大学の垣根を越えて様々な人材が集められた。


 先ほど電話してきた虎落桃華もそのうちの一人で、歌い手としての活動が中心だった風音メロスのカラオケ音源の制作やオリジナル曲の作曲を担当していた。


 俺は、宗哉が所属する正剛大学の文芸サークルの後輩で、動画の台本と作詞をやった。



 みんな本気でやってはいたが、サークルや部活動の延長線上みたいなノリで運営されていたというのが、風音メロスの実体だ。



 制約は数多くあれど、大学生活も二年目を迎えて効率的な単位取得の方法を学習した俺は風音メロスにのめりこんでいった。


 思い返してみると、あの二年前の……二〇十八年の夏はすべて夢だったような気がする。



「そういや俺、あの時の宗哉よりも年上になっちまったんだな」



 不思議な男だった。講義の合間に一緒にキャンパスを歩いていると誰かしらに声をかけられるし、他大にも異様な人脈があった。

 文芸サークルの他にも陶芸サークルと英会話サークルと映画サークルを掛け持ちしていて、夏はなぜか着流しを身にまとっている。

 身長は百八十センチ台、顔もそこそこいいのだが、女っ気のあるウワサ話はあまり聞かなかった。ゾンビメイクで学食のスパゲッティーミートソースを食べたり、単位を人質に自著を買ってレポートを書くよう強要してくる教授(学術書系は高い……)の研究室に大量のネコを放ったり、サークル棟の階段に『マザーファッカーと叫ぶオイディプス像』という前衛的な階段アートを仕上げてしまったという逸話が強すぎたためだろう。


 中学時代の部活の先輩がいつまでも先輩であるように、あの男もいつまで経っても俺の中では先輩面をしている。


 ぐぅぅと腹が鳴って、朝食の途中であったことを思いだした。

 オーブントースターに入れたツナマヨトーストは、すっかり冷めてしまっている。


 俺は温めなおすことはせずに、もはや深夜アニメを見る気も起きず、冷めたトーストを頬張りながら携帯電話に届いた風音メロスを名乗るメールについて考えることにした。


 送り主のアドレスは見覚えがなく、おまけに五分もあれば取得できるフリーアドレス。特定のしようがない。


 であれば、俺に送ってきたという事実から推理をはじめよう。

 風音メロスの名を使ったのだ。当然、俺が関係者であることを知っている人物に絞られる。

 加えて、このプライベート用のメールアドレスを知っているのは把握している限りで五人だけだ。



 まず一人目が、風音メロスの発起人にしてプロデューサーの南雲宗哉。


 二人目は、風音メロスの“魂”たる貴宮あてみや香奈美かなみ


 三人目。風音メロスのオリジナル曲の作曲を担当していた虎落桃華。


 四人目。風音メロスの動画製作を一手に任されていた萩沼丈留はぎぬまたける


 五人目。風音メロスのデザインと3Dモデルを担当した葉賀奈々子はがななこ



 先のやり取りから、虎落は除外していいだろう。

 残る四人の中でこういうイタズラを最もやりそうなのが宗哉だ。


 しかし、それはあり得ない。


 二〇一八年の四月からはじまった風音メロスの活動が、最も勢いづいていた二〇一八年の十一月のことである。


 南雲宗哉は、歩道橋の上から飛び降り、運送会社のトラックに轢かれて死んだ。


 自殺だったということになっている。

 遺品のパソコンにはワープロソフトにひと言だけ遺言のようなものが残されていた。




【 異世界にいく 】




 転生トラックかよ。


 パソコンのモニターをたたき割るという所業を俺は人生で初めてやった。たぶんこの先やることもないだろう。

 ちなみにこのパソコン、デスクトップだったので本体は俺が今ツナマヨトーストを食っているこのダイニング兼リビングの隣の部屋で埃をかぶっている。宗哉のご遺族は、パソコンはわからないからと、俺に託したのだった。



 そして、南雲宗哉の自殺に前後して貴宮香奈美が失踪した。



 死体は見つかっていない。

 あるいは、宗哉の死は香奈美の失踪を苦にしてのものだったのではないかと考えられる。


 香奈美の唯一の肉親であった父親の貴宮玄太げんた氏も同様に姿を消しており、俺たちには行方を追う術はなかった。


 だから、このメールが香奈美によるイタズラだったら、俺は少しうれしい。

 不器用で、たまに突拍子もない冗談をいう子ではあったから、可能性はゼロではない。


 しかし、馬鹿な夢は見るなと頭の冷静な部分が告げている。


 いきなり姿を消して、二年近くも音沙汰がないのだ。

 彼女の特殊な境遇を考えれば、俺はあの子の側にいる資格のない人間と判断されてしまったと、そんな風に考えるしかなかった。


「二年前から一歩も前に進んでいない」という虎落の評価は、極めて正鵠を射ているといわざるを得ない。

 俺はあの時のショックから、いまだに立ち直れずにいるのだ。



 ……気を取り直す。



 犯人は二人に絞られた。萩沼丈留か、葉賀奈々子か。

 はっきりいって、葉賀奈々子が犯人とは考えづらい。

 葉賀奈々子――いや、葉賀先生は風音メロスのデザインと3Dモデルをしただけで、運営そのものには関わっておらず、顔を合わせたのも数えるほどだ。とても冗談みたいなメールを送り合うような仲ではない。


 ならばどうして彼女が俺のプライベートアドレスを知っているかというと、メロス・プロジェクトの最初期にアドレスを交換したからである。

 風音メロスが想像していた以上にヒットし、作詞家「水無月Q」としてやり取りが必要になったので作ったが、はじめたばかりの頃はメロスがこんな大事になるとは思っていなかった。


 葉賀先生とは、宗哉の死と香奈美の失踪を機に事情を説明するために会ったが、以来、ちょっとしたメールのやり取りをするくらいで顔を合わせてはいない。


 犯人は一人に絞られた。

 萩沼丈留――俺と同い年で正剛大学の理工学部から宗哉が連れてきた憎めない男だ。

「ピザの七割は植物由来」を座右の銘とし「ピザは完全食」と豪語する、つま先から髪の毛の先までピザで構成された全身ピザ男。平成に生まれたヤング・ジョージ・R・R・マーティン。


 俺は就職浪人をしたが、あいつは実家がある山梨の市役所に就職して、現在は立派に社会人一年目を送っている。

 二週間前に上京してきて、フライングで俺の誕生日を祝おうと一緒に酒を飲んだばかりだ。誕生日プレゼントにバイアラン・カスタムのプラモをくれた。いい奴だ。気の置けない友人、といって差し支えない。


「つまるところ、萩沼の空気を読めないギャグってことだよな……」


 二枚のツナマヨトーストを平らげて、俺は結論づけた。

 それが一番妥当な解釈だ。

 今は就業時間中だろうから、昼になったら電話して文句のひとつもいってやろう。

 さすがにやりすぎだぞ、と……。


 パジャマを脱いで、顔を洗い、歯を磨く。

 いつもと同じ朝のルーチンを再開し、さて、さすがにあのやり取りのあとで今日の面接にはいけないし、なくなった予定をどうやって埋めようかと考えていると、三度携帯電話が鳴った。


 画面には【虎落桃華】の名前がまた表示されている。

 今度こそ居留守を使ってやろう、そう思って放置していると、留守電のサービスに繋がった。

 携帯のスピーカーから、虎落のアニメ調の声が響く。


『ちょっと、居留守すんな! てか、そんなこといってる場合じゃないわよ! ツイッター見ろ! パソコンなりタブレットなりで《リンクス》を開け!』


 真に迫った口調に、俺は電話に出てしまう。


『やっぱり居留守してた! じゃない! 一刻も早くトレンド欄を見なさい!』

「ああ?」


 まくしたててくる声をうるさく思いながらも、抗うことはできなかった。

 いわれたとおりにツイッターのトレンド欄を表示して、全身が硬直する。



【 ♯風音メロス復活 】



 二年前に突然活動を中止したヴァーチャル・アイドルの復活を祝う声がタイムラインにはひしめいていた。

 慌ててタブレットを持ってきてツイッターアプリを起動し、動画へのリンクが張られたURLをタップする。




風音メロスVol.7「メレオロジー境界線」【オリジナルMV】




 頭は、理解することを拒んでいた。

 どこかの海辺を背景にCGモデルが踊っている。


 二つお下げを作った銀白色の髪をゆらして、瞳の色は涼やかなアイスブルーの少女。


 身にまとう衣装は紅白を基調とした巫女服を彷彿とさせるものだが、細部にファンタジーっぽい意匠も盛りこまれた和洋折衷のデザイン。


 二年前のものから細部がアップデートされている印象を受けるが、それは間違いなく、俺たちがつくりあげた風音メロスだった。


 なによりも、この歌声……。

 やや低めの落ちついたハスキーボイスから、高音のビフラートまで危なげなくやってのける凜とした歌唱力。伸びやかな広がり方は爽やかで心地よく、心構えをしていないと涙腺がゆるむことがある。

 一転してないしょ話をするようなウィスパーボイスを出させると、甘やかな色気と妖しさが聞くものの耳をとろけさせる。

《リンクス》を通して全国のファンを魅了していた香奈美の歌声と同じだ。


『……やっぱり、上手いわね……』


 思わず聞き入ってしまったのだろう。放心気味の虎落の声が携帯電話から響いた。

 俺はなにもいえず、ただうなずいていた。

 あとから、電話で繋がっている相手には伝わらないではないかと気づくほどに、冷静さを欠いている。


『メレオロジー境界線』と題された曲について、表示される歌詞にはおぼえがあった。

 これは、俺が二年前に書いたものだ。

 いつもは虎落が曲を先に作ってきてそこに詞を乗せてるようにつくっていたのだが、これに関しては詞が先で、しかし、曲を作る前に香奈美の失踪があって頓挫した。


『これ、あんたの詞よね……おぼえてるわ』


 動画の説明欄には俺のペンネームである水無月Qがクレジットされていた。

 動画製作にあるピザ星人とは萩沼のペンネームだ。

 しかし、作曲の項目はない。


『ねぇ……もしかしてあんたら、あたし一人だけ省いて活動を再開したんじゃないでしょうね?』


 虎落が訝しげな声を出す。

 同じ状況なら、俺だって同じことをいうだろう。けれど、それは否定した。


「ちがう……さすがに、そこまで薄情なことはしない」


 宗哉の死と、香奈美の失踪。

 メジャーデビューも決まって絶好調だった風音メロス。

 程度の差こそあれ、あのときの俺たちは全員くやしさに打ち震えていた。


『そう……そりゃ、そうよね……』


 虎落は納得したようにうなずくも、やはり納得などできるわけもなく、わめきだす。


「んーーッ! なんかムシャクシャするわ! せっかくの復活だっていうのに、あたしだけ関わってないとか! てか、曲のセンスもいまいちじゃない? なんか、中途半端っていうか、伸びてほしいところで伸びてない! 主旋律も単調で、あんたが作った歌詞の韻を踏めてないじゃない』


 彼女のいわんとしていることはわかる。

 なんだか歌詞と曲とがちぐはぐで、それをメロスの歌唱力で誤魔化しているような感じだ。

 少なくとも、俺がこの歌詞を書いたときのメロディーとは似ても似つかない。

 けど、そんな不調和も作品にしてしまうのが風音メロス――貴宮香奈美の歌声なのだった。

 しかし……。


「なぁ、この動き、ちょっと変じゃないか?」


 動画の中、波打ち際で踊る風音メロスに俺は違和感を抱く。


「あいつは……香奈美は、モーションのひとつひとつに溜めをつくってた。途中で撮影ができなくなるかもしれないから、後から編集しやすいようにって、萩沼のこと気遣って」


『そうなの……? でも、発作が起きて中断するようなことなんて、一回も――』


「そりゃ、そうならないように気をつけてたからだ。あの身体でアイドルやろうってんだ。香奈美は、かなり気を配ってたんだよ」


『……仲がおよろしいことで』と、虎落が呟く。俺は聞かなかったことにした。


 代わりにタブレット端末の中で踊る風音メロスをためつすがめつして、うなる。

 首を傾ける角度、手の振り方、ステップの踏み方。

 そうした個々の動作が、ちょっとずつ、記憶の中にある風音メロスとずれている気がする。

 確証はない。編集でこうなったといわれれば、返す言葉はない。

 でも。


「この風音メロスの“魂”は、二年前の香奈美とは、別人な気がする」


『それって……結構ヤバいわよ。メロスは、あたしの青春でもあるんだから』


 幼い印象を与える虎落の声が、普段よりも一オクターブ低く響いた。

 これは、彼女が本気で怒っているサインだ。メロスを盗んだものがいたら、本当にどうにかしかねない。

 思わず背筋に冷や汗が浮かんだが、虎落もそこまで冷静さを欠いているわけではなかった。


『けど、だとしたらこの歌声の説明がつかないわよ。あんたの憶測が当たってるにしても手付けで動かすことはできるんだし。中に香奈美が入ってないメロスの動画はいくつも投稿してるでしょ』

「それは……」

 あの投稿ペースにモーションの撮影まで含めて香奈美を付き合わせられなかったからだ。


 やるからには盛り上げねばならないということで、二年前の風音メロスの動画は三日に一度の頻度で動画を上げていた。

 当然、毎回オリジナル曲を作るなど不可能なので、風音メロスの動画の大半はアニメの主題歌や一世を風靡したボカロ曲を香奈美が歌い、それに合わせて萩沼がそこそこな出来映えの動画をくっつけたものだ。


 けれど、オリジナル曲のミュージックビデオでは、香奈美は自分でメロスを動かすことにこだわりを持っていたように思う。

 虎落にも決して負けない熱量で、貴宮香奈美は風音メロスを愛していた。


「とにかく、昼になったら萩沼の携帯に連絡してみるよ。歌詞は二年前からあったけど、動画は二年前にはなかったんだ。ここ二週間以内にやったに違いない」


 萩沼の名前を口にして、俺の携帯に送られてきたメールのことを思いだす。

 しかし、このことについては、まだ黙っていようと思った。虎落を混乱させるだけだ。


『そうね。ったく、あのピザめ……なんでひと言も相談なしにやってくれてるのかしら! たぶん、どっかで会うでしょ? 時間と場所が決まったら、連絡して。あたしもいくから』


「虎落は、今は自分のことに集中しろよ。こっちは俺に任せてさ」

『けど――』

 痛いところを突かれて、虎落は言葉を詰まらせた。


「ライブ近いだろ」

『こういうときだけ、人の心配するんだから……』

「いつだって、おまえの活動は心配しながら見てるよ。素が出ちまわないかなって」

『だったらうちにきなさいよ』

「それとこれとは、話が別だ」


 虎落はなにか言いたげだったが、遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 立場ある身だ、いつまでも俺と電話をしているわけにはいくまい。


『ごめん、いかなきゃ。萩沼と連絡がついたら、詳しい内容メールで送って。電話なら、んーと……九時には帰ってると思うから。電話のほうがいいわね』

「善処する」


『――ね。いろいろ話したけど、冷静に考えたらさ』


「ん?」



『香奈美の病気が治ったって、そういうことなんじゃないの?』



 虎落の指摘に、俺は再び固まる。


『なんか唐突すぎて面食らっちゃったけど、もう少しいいほうに捉えしょうよ。普通に考えたらこれって、喜ぶべきことよ。だって、香奈美が帰ってきたってことでしょう?』


 彼女は俺の返事を待つことなく『あ、ホントにヤバい。ごめん、また!』と電話を切った。最後、虚空に向かって拝んでみせる虎落の姿が目に浮かぶ。


「……そうか」


 俺は電話を置いて、改めて《リンクス》の中で踊るメロスを見た。

 これは、喜ぶべきことなのか。


「……本当に、そうか?」


 混乱とともに、胸騒ぎがおさまらない。

 帰ってきたのなら、どうしてすぐに俺に声をかけてくれないんだという寂しさ。

 メロスのようでいて、メロスのようでないなにか。

 耳に残る、妙な音楽。


 二年間とまっていた俺の時間が、再び、ゆっくりと動きだしていた。


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