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水泥へ、あの頃はほんま悪かった

 家に帰るときに言う「ただいま」という挨拶は一度もしたことあらへん。俺を見向きもしない奴に言っても意味ないから。


 師匠の元で修行を始めて一年経った頃、その日は普段より静かやったから珍しくこの時間まで出かけてんのかと思っとった。いつもやったらアレは男を部屋に連れ込んで聞きたくもない猫なで声を上げとったし。

 飯のときはダイニングテーブルに置かれた金を使ってどっかで飯を食うなり、買うなりしてたから今晩の飯は何するかと考えながら金を取りにテーブルに向かう。

 せやけど、金はなくて、代わりにメモが置いてあった。


『こんなボロ家に住みたくないから解約したわ。一週間以内に出てって』


 たったそれだけ。それがあの女の別れの言葉やった。

 悲しいとか、腹立つとか、そんな感情よりも家にあいつがいないという開放感が強かった。

 清々はしたが、時間が経つに連れてこれからどうしたらえぇかわからんくなり、次第に混乱し始める。


 一週間以内に次に住む家を探さなあかん。そんなんすぐ見つかるとも思えんし、そもそも俺の持っとる金だけでどうにかなるんか?

 そら、いつか出てくつもりやったけど、貯金だってそんなあらへんし、これ確実にホームレスになるんちゃうん?

 いや、それより何よりせっかく師匠の元で修行し始めたっちゅーのにそれどころやなくなってまう。


「しばらく、休ませてもらわな……」


 一日たりとも休みたくはない。せやけどそんなん言うとる場合ちゃうし、はよ出て行く準備もせなあかん。


 翌日、師匠に休ませてもらうように話をさせてもろうた。


「しばらくって……また曖昧なこと言いよるな。どないしたんや?」

「……その、昨日生みの親がどっかに出て行ってもうて家も解約したらしく、あと六日以内に出て行く準備せなあかんのです」

「は、はぁっ!? なんやねんそりゃあ! 家がのうなったっちゅーことか!?」

「そう、ッスね……」


 あまり言いたくはなかったんやけど、ちゃんと理由話さなあかんやろうし、素直に言うたらめっちゃ驚かれた。いや、当然っちゃ当然やな。普通の家庭では有り得んやろうし。……なんで俺んとこはその普通に当てはまらんかったんや。


「ちょお待てや……稔、家を出たらどこに住むんや?」

「まだ探してないんでなんとも……」

「行くあてないんやな?」

「はい……」

「なら、わしの家に来ぃや」

「……へ?」


 聞き間違いやと思った。都合のいい聞き間違いなんやと。やけど、師匠は同じ言葉をもう一度繰り返す。


「わしの家に来ぃやって言うてんねん」

「え、はぁ!? いや、師匠の家っ!?」


 そんな有難い話があるんか。そんな出来すぎた話があってえぇんか。どん底やった気分が一気に回復する。これが棚ぼたってやつか!


「なんや、不満なんか」

「いいえ! 不満なんて! むしろ大満足です!! ……って、ほんまにえぇんですか? その、そんな勝手に決めても……」

「まぁ、わしの家やし、昔にも弟子を住まわしたことあるからなぁ。お前さんさえ良けりゃ構わん構わん」


 そんな師匠の言葉に甘えて師匠の家、もとい水泥の家に住まわせてもらうことになった。

 それだけやなく師匠は店を閉めて、水泥の親父さんや他の弟子と一緒に俺の家の引越しとか、いらん家具などの廃棄、売却など手伝ってくれた。

 まぁ、ほとんどいらんもんばっかやったからほとんど捨てたり売ったりしたんやけどな。ほんま、あいつのもんばっかで俺のもんなんて少なかったわ。

 空っぽになる家を見て気分もスッキリしたし、微々たる金も出来たから師匠にはほんま頭が下がる。


 こうして、俺は師匠の家に住み込みながら弟子としての日々を送っていた。


「っちゅーことやねん。ほどよく詳しい話はこんなもんやろか」


 そして現在。この日は水泥と橋本が帰って来た日で、一緒にCafe・和心の里でパーティーみたいなんしたり、イルミネーション見た帰りのこと。

 水泥と共に同じ家に帰るので二人でだらだら話しながら帰宅する途中、水泥が「芥田くんがうちに住むまでの経緯をもう少し詳しく聞いてもいい?」と言うから話をしたった。


「……さっきも思ったんだけど、芥田くん大変な環境だったんだね」

「せやろー? ほんま生まれるとこ間違うたわ。もっと同情したってや」

「今は楽しい?」

「そらもう! なんせ師匠と一つ屋根の下に住んでるんやで!」

「それなら良かったよ。きっと、お祖父ちゃんも芥田くんと過ごせて嬉しいと思うから」

「ほんまかっ!?」

「お祖父ちゃん、気に入った人にしか家に入れないからね」


 それってつまり俺のこと少しは認めてくれてるってことか! 庵主堂の後継者にも相応しいっちゅーことやな! 水泥も俺のこと認めとるみたいやし! ……と、思ったとこで自己嫌悪に陥る。

 ……俺、昔は水泥に酷いことしてたんに、こいつそのことについてなんも言わんよな……。


「……水泥。なんか、すまんかったわ」

「えっ? いきなりどうしたの?」

「いや……ガキん頃、よく水泥のこと虐めとったやろ? ほんまはずっと前からちゃんと謝りたかったんやけど、今さらこう言うやなんて虫が良すぎる気がして……ほんまごめんな?」


 何年越しの謝罪やろ。そもそも水泥が東京に行ったってことも高校に入ってから知ったし、橋本ら経由で勝手に仲良くやってるつもりやったけど、水泥からしたら良くは思ってへんかもしれん。

 相手は驚いたような顔をしとったけど、すぐにその表情を綻ばせた。


「昔のことだよ。僕は気にしてないから」

「いや、そんなことないやろ? 憎くて仕方ないやろ?」

「んー。まぁ、当時は確かに嫌な思いはしたけど、今は違うでしょ? それにお祖父ちゃんのこと慕ってくれてるし、僕とこうして遊んでくれるし、昔より今だよ」


 はー……水泥の奴、懐深ないか? いや、今さら俺が言うなやっちゅー話やろうけど。


「自分、人が良すぎるやろ。多少文句言っても許されるんやで。橋本なんかたまーに昔の話ほじくり返してくんねんから」


 せや、橋本は根に持ちやすいんか「私を突き飛ばしてた芥田くんが懐かしいよ」とか笑顔で言うてくる。中二の話やんけ! もう成人しとるっちゅーねん!


「あぁ、橋本さんと取っ組み合いになりかけたやつだね。……確かにあのときは僕も許せなかったけど、あれ以来何もないから僕は芥田くんを信じてるよ」


 自分のことより橋本なんか、こいつは。そりゃあ、橋本の代わりに俺を突き飛ばし返したもんなぁ、水泥は。


「だから僕に対する態度よりも橋本さんに手を出したことを悔やんでくれたらそれでいいよ」

「……ほんま自分橋本のこと好きなんやな」

「な、なんでっ!?」

「いや、そこでなんでって言うか? まぁ、そこで何とも思ってへんとか言うたらとんでもないタラシやったけど」


 見る見るうちに顔を赤くする水泥は昔よりめっちゃわかりやすい表情をしとった。まぁ、昔は顔が隠れてよう見えんかったしな。


「しっかし、小学校んときは水泥と橋本の仲をからかってたんやけど自分今になってもガチやねんな」

「……僕、そんなにわかりやすい?」

「そないな反応と橋本贔屓なとこ見たらめっちゃわかりやすいわ」

「そう……なんだ」


 なんで気づかれないと思ったんや。いたたまれなくなったんか顔を両手で覆って恥ずかしさを隠しとるみたいやけど、そんなん女子でもするかどうかの仕草やでお前。

 しかし、何を考えたんか、水泥はすぐに手を離して真顔で俺の顔を見る。


「……。……じゃあ、なんで橋本さんは気づかないのかな……?」

「いや……俺が知るわけないやん。アピールが足らんのとちゃうん?」

「……そっか」


 納得するような自覚があるんか。てか、なんで俺に聞くねん。自分の方が橋本との付き合いも長いやろ。聞く相手間違うとるで。


「……ちなみに聞いておきたいんだけど、芥田くんは橋本さんのこと好きだったりする?」

「え? 好きやけど」

「嘘っ!?」


 ガシッと肩を掴まれた。え、ちょお……なんなん、その鬼気迫る顔! 怖っ! めっちゃ怖いわこいつ!


「い、いや、好きは好きやけど、水泥の考えとる意味ちゃうからなっ? 友人としてや! そもそもあいつは俺のタイプやないし!」


 とんでもない勘違いされる前に誤解を解く。正直に言うたんに、肩を掴む手になぜか力がこもり始める。


「……橋本さんなのにっ?」

「なんやもうお前面倒臭いわ!!」


 まるで信じられないという顔をする水泥に心の底からの思いを告げる。橋本のことになるとほんま怖いわこいつ。

 そこでようやく冷静になったのか、俺の肩から手を離して、照れくさそうに咳払いをひとつする。


「ご、ごめん……」

「いや、逆に愉快やけどな」

「芥田くんまでライバルになったらどうしようかと思って……」


 まで、ということはすでに恋敵がおるんか。あの橋本相手に? ……とんだ物好きもいたもんやな。


「そもそも俺彼女おるし」

「……えっ!? そうなの!? お、おめでとう……」


 驚きのあまりワンテンポ遅れての反応やった。こいつこんなにも表情豊かやったんか……人は変わるもんやねんな、俺も含めて。


「まぁ、そういうわけやから水泥の心配するようなことはないわな」

「それなら安心した」


 とりあえず勘違いされずにすんで良かった。今の水泥と対立したらいくら俺でも手こずるような気がしてならんからな。


 そんな会話をしながら現在の俺の住処となった家へ帰って来た。玄関で靴を脱いどると、水泥はふと疑問に思ったのか、俺に問いかける。


「そういえば、芥田くんはどこで寝泊まりしてるの?」

「んー? えっと、客間ってとこ? 畳の部屋のやつ」

「あそこか……」

「それがどないしたん?」

「いや、客間だからあまりプライベートな空間じゃないなぁって思って」


 そう言われてみればそうかもしれん。今使わせてもろうてる客間はその名の通り来客のために使用する部屋。

 玄関近くにある部屋は三方が襖なので、大体どこからで入れる仕様や。

 あまり私物を表立って置くわけにはいかないので、朝起きたら押し入れに布団や私物を直して、いつ来客が来ても通せるようにテーブルや座布団をセットする。

 電話しとる声も筒抜けになるやろうし、プライベートルームとはまた違うかもしれんけど襖閉めとったらあんま気にならんから不満はない。


「恵介、稔くん、帰って来たのね。おかえりなさい」

「おぉ、二人とも帰って来たか」


 水泥の母であり、Cafe・和心の里の店長である幸枝(さちえ)さんと安堂師匠が出迎えてくれた。水泥の親父さんの方はどうやら入浴中らしい。


「幸枝さん、師匠、ただいま戻りました!」

「ただいま。あの、早速で申し訳ないんだけどお願いを聞いてもらっていいかな?」

「あら? どうしたの、改まって?」

「明日から僕の部屋を芥田くんに使わせてほしいんだ」

「……へ?」


 な、何を言うとるんやこいつ。自分の部屋を他人に使わせるんか?


「僕が帰って来ることは少ないし、客間でずっと寝泊まりするのは大変だから、それなら僕の部屋を使ってもらった方がいいと思うんだ。ちゃんとした個室になってるし」

「い、いや、水泥……さすがに気ぃ引けるわ、それ……。別に俺は客間が不満なわけちゃうし、全然問題ないんやから変な気回さんでえぇって!」

「恵介がそう言ってくれるならそうさせてもらうわね。使用してない部屋だと埃もすぐ溜まっちゃうのよ」

「え、ちょ、幸枝さんっ?」

「稔。明日からは恵介の部屋に引越しやな!」

「えぇっ!?」


 とんとん拍子に話が進んでいく。個室を使わせてもらうんは有難いことやけど、水泥の部屋やからさすがに抵抗がある。別に嫌やとかやない。申し訳なさが溢れてまう。






「……自分、何言うたんかわかっとるんか?」

「えっ?」


 あれから水泥の部屋に案内され、部屋の主から「明日からここを好きに使ってくれていいからね。家具とか置きたい物があれば自由にレイアウトしていいし」と説明される。

 部屋にはあまり物がなかった。東京に引っ越す際にあらかた持っていたようだったが、それでも学生時代に使ってたであろう勉強机や少しだけ中身のない本棚などは残されていた。


「居場所がなくなるやろ。自分のテリトリーが侵されてまうやん」

「そんなことないよ。僕の居場所はこの家そのものなんだし、使ってない個室を使ってもらった方が嬉しいよ」

「……お人好しすぎるやろ」

「橋本さんが優しいからそれが移ったんだよ」


 照れながらもまた橋本の名前を出したが、俺は「優しいか……?」と、今までのあいつの言動を思い出しながら、あえてツッコミをいれんことにした。

 この短時間で俺は学習したで。下手にいらんこと言うたら目の前の色々と変わってしまった男に何を言われるかわからんからな。


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