01:Beautiful World
俺たち人間は、生きるために働く。組織の元で、あるいは組織を率いて、あるいは個人の場合もある。いずれにせよ、やっていることは三つのうちのどれかしかない。得意なことをやって、それに対して金を払う気のある奴から払ってもらう。自分を犠牲にして、世界の好転貢献する。あるいはその両方だ。
だから本来、俺の仕事にケチをつける者がいるのは変な話だ。なんせ、俺とて得意なことをやって金をもらい、そうして身を削ることで世界が良い方向に動くと思ってやっているのだから。単純にそれが人命を、主としてマイナスの方向に左右するというだけの理由で世間から冷めた目で見られ、そこらの快楽殺人者と一緒にされるのは、少々つらいところではある。
だが無論、俺はそんなことは気にしない。そんなことで悩む時期はとうの昔に終わった。理解者は必要最低限にいれば十分だ。仕事がこなせて、おかえりを言ってくれる仲間がほんの数人いれば、必要十分だ。
『屋上外周にドローンの配備完了。ルアー、いつでもいけます』
「・・・あぁ」
一瞬の物思いから覚めた俺は、H&K社製の黒いUSPハンドガンの撃鉄を起こし、右肩を鉄製のドアに押しつける。グリップはあえてさほど強く握らないのが俺なりの流儀だ。サイレンサーが付いているとはいえ、気配を察知されたくはない、何より誤射で弾を無駄にするのは惜しい。
一つ短く深呼吸。鉄製のドアから一歩引いて間合いを図る。消音器のついた銃口をドアノブに押し当て、軽く腰を落とす。
「日向、やれ」
『了解。ルアー、起動します』
少しだけ鼻にかかった柔らかい少女の声とキーボードを叩く音がノイズ混じりに届く。わずかな緊張が、小型通信機から伸びる片耳用ヘッドセット越しに伝わる。
直後、ドアの向こうから、何の前触れもなく携帯の着信音めいた軽快なメロディーが大音量で鳴り響いた。「なんだ!?」「いったいどこから!?」という驚きの声。数は二。拍子抜けするほど少ないだ。
ドアのロック部に向け二発発砲。くぐもった銃声と乾いた金属音。対扉散弾銃を参考に改良された弾丸が、狙い違わずドアロックをこじ開ける。すかさず右肩でドアを跳ね開けながらビルの屋上に躍り出る。薬莢がコンクリートの床に落ちる音が響いたのはもうその後だった。
予想通り警備は二人だけ。見事に二人ともルアーに引っかかり、手すりの向こうの夜空に目を凝らしている。手前の方は防弾のヘルメットをしていたので、とりあえず奥、ビルの手すり脇にいた男の後頭部に鉛玉を叩き込む。空薬莢が排出され、金色の反射光を振りまきながら宙を舞う。
ドアのたたき開けられた大音響に今更気づいたヘルメットの警備員が、いまさらながらに慌てて振り返る。距離5メートル。撃つより突っ込んだほうが早い。警備員が体を反転して両手持ちのショットガンを構える。その間に姿勢を落とし、滑るように距離を詰める。そのまま突き上げるように胸にショルダータックル。あっけなく背中から倒れこむ重装兵の腹をショットガンごと踏みつけておいて、ヘルメットと首の間隙に銃口をねじ込み一発発砲。抵抗が止む。
「終わったぞ。葵、アルテミス降ろせ」
『おっけ。2分タンマね』
耳に引っ掛けた小型ヘッドセットに投げた声に、爽やかながら落ち着いた別の少女の声が返る。本人曰く、仕事の声だ。
タバコに火をつけようとポケットに手を入れてから、今更ながらに雨に気づき、逆のポケットから防水加工の電子タバコを取り出し、咥える。
46階建てのビルの屋上にしばしの沈黙が訪れる。濃い硝煙と春の雨の匂いが鼻につき、深夜の街を濡らす柔らかい雨が静かに鳴る。
眼科の町を見下ろす。人口の灯火びっちりと埋められたビル群は、皮肉にもそれ自体の礎となった大森林の木々を連想させる。
世界は美しい。こんな時には特にそう思う。そして、その世界を汚すものたちに、俺はこの手で罰を与える。たまに嫌気がさすこの仕事も、世界を美しく保つ手伝いくらいにはなっているのだろうか。
『直兄、投下するよ』
先ほと同じ、少女の仕事声にふと我に帰る。物思いにふけっている間に、120秒の休憩時間は終わったようだ。
涼しげな雨の音に混じって、微かなローター音が耳に届き上を見上げる。50㎝四方ほど正方形の各端に小型ローターを四つ搭載した漆黒のドローンが、大型のスポーツバッグをぶら下げてすぐ頭上で待機していた。
「あぁ、降ろせ」
『りょーかい』
声と同時にフックが外れる音。落下してきた10キロ近いスポーツバッグを両手でしっかりと受け止める。電子タバコをポケットにしまい、ジッパーを下ろし、中から70㎝超の対物狙撃銃を引っ張り出す。アルテミスII。フランスのPGMプレシジョン社が30年も前に設計したにも関わらず、未だに愛用者の多いヘカートIIに、『うちのメカニック』が改造に改造を重ねたオリジナルだ。大まかなフォルムにはさして差はないが、俺の体格などに合わせて細かい調整がされ、相当に扱いやすくなっている。ちなみに、ヘカートという名の元となった女神ヘカテーの従姉妹である、狩猟と月の女神アルテミスがこの銃の名の由来だ。今回はさらに銃床の右に、スマートフォンくらいの黒い箱が増設してある。
アルテミスを抱えて手すりのない屋上の淵まで行き、バイポッドを展開し、雨に濡れたコンクリートの床に腹ばいに伏せる。
「日向、調整は?」
かなり簡略化された問いに、的確な返答が返される。
『その子の照準は、直井さんのいるビルと目標のいるビルの中間地点で滞空待機中の偵察ドローンの計測器と小型通信演算装置経由で繋がってて、随時風向きと雨による減衰・ブレを補正してます。無風のものとして、距離計算の方だけそちらでお願いします』
少々得意げな声に「わかった。頑張ったな」と短く称賛の声を投げると、ヘッドセットの向こうから少女の背中をビシバシ叩く小気味いい音と短い悲鳴が聞こえてきて苦笑する。
優秀な調整師に甘え、装備済みのレンジファインダーで目標ビルまでの距離を測定、ゼロイン距離を1500mにセットする。高倍率スコープのレティクルの向こうに今回の標的、麻薬取引で一旗あげた某大手企業の幹部を収める。残り数秒の命とも知らずに、高層ホテルのナイトバーでワイングラス片手に夜景を眺めている。
一度、目を閉じる。『貴様はこの美しい世界に泥を塗った。その罪、死をもって償え』。師より預かったその言葉を心の中で反芻する。引き金にゆっくりと指をかける。抑えようもなく、全身から殺気が漏れ出すのを自らも自覚する。1.5㎞先からその殺気を感じ取ったのか、悪徳幹部がふっと顔を上げ、スコープ越しに目が合う。酔って虚ろになったその目を見た瞬間、俺は冷めた気持ちのまま引き金を引いた。他の銃種にはない独特の重低音が響きわたり、眩いマズルフラッシュが視界を一瞬白く染める。一秒強の残響の中、レティクルの向こうで分厚い窓ガラスが粉々に砕け散り、悪徳幹部の首から上がほぼ消滅するのが見えた。周りでパニックを起こすホステス達には目もくれず、俺はアルテミスを担ぎあげて立ち上がり、スポーツバッグから『それ』を取り出し、狙撃地点にそっと置く。一輪の、向日葵の花を。再び立ち上がり、1mほど離れたところに転がって未だに硝煙を漂わせている空薬莢を拾い上げ、向日葵の脇に置く。しばらくの間、雨の街に沈黙が降りる。
一輪の花と、空薬莢の煙。これは、自らの標的と、それを狩る過程で生じた犠牲への、慎ましい弔いであるとともに、この後ここに上がってくるであろう警備隊や警察への見せしめでもある。俺がやった、と。お前たちが取り締まるべき悪が、我が物顔でこの世界を闊歩し、それをお前らが放ってあるから、代わりにやってやったという、はっきり言って当てつけだ。それでも、伝えなければいけないと思った。
この世界は、美しくなければいけない。そのために、泥をかぶって、見下されて、それでも動き続ける者たちがいるのだと。
『標的の死亡を確認。おつかれ!』
『お疲れ様です。銃声で人が集まってくる前に離脱しましょう』
二人の少女の声で夢想から引き戻された俺は、最後に、標的のいたビルを一瞥してから振り返った。
「そうだな。直井硝也、離脱する」
1分もしないうちに上空で激しいローター音が響き、大型輸送ヘリが姿を表す。開いたハッチから、作業服姿のポニーテールの少女が顔を覗かせ、満面の笑みで手を振る。投げおろされたラダーを、俺も苦笑しながら握った。
俺は直井硝也。世界に硝煙を振りまく、殺し屋。
その殺し屋の、二人のエンジニア、葵と日向。殺し屋の世界に、守るべき色を添える、二輪の向日葵。
その色がある限り、この世界は美しい。美しくなければならない。
俺は、この美しい世界を、守り通す。
ほとんど見よう見まねのアクションだけの回になってしまいました...
次回は葵ちゃんの回想です^^