序章
遥か古えより、数多い呼称で親しまれてきた龍族。
ウインドホヴァー(風龍)、ウルローキ(火龍)、エアレンディル(水龍)、ヨルズドラカ(地龍)。
それらを総じて【ズミェイ】という。
海の上空では強い風が吹いていた。暗雲たち込める空を見上げて、はらはらと少女は涙を流す。
(もう逃げられないというの? この運命から)
海際の断崖に追い詰められた少女の紺碧の髪が、強すぎる潮風に波形を描いて躍っていた。
「呪われてあれ!我らが掟を破りしエアレンディルの娘よ」
龍族の長老、地龍の喉から怒声が轟いた。
少女は悲鳴を上げてその場に膝をつく、余りの恐ろしさに眩暈を催したのだ。
「龍でありながら、何故我らを狩る人間を助けたのだ!」
少女は全身に突き刺さる怒りに耐えながら、きつく唇を噛み締める。
「譬え、我らに仇成す存在であれ…同じ命です、目の前で苦しんでいる者を捨て置く事はできませんっ」
「人間など助けおって、そうして我らの数が減っていくのだ!」
「確かに私たちを狩る人間は憎い…けれど人間の総てが悪ではないと思うのです」
「戯言を……」
長老のヨルズドラカは、皺深い顔を更に皺にして酷薄な笑みを浮かべた。
それは、明らかな嘲笑。
「掟破りのそなたに、似合いの裁きを下してやろう」
どうして、一人の人間を助けただけで裁かれなければいけないのだろうか?
どんな存在であろうと、命は秤にかけてはいけないのに。
後じさった少女は絶望の眼差しで長老を見つめる。
「なぜ、なぜです…命になんの違いがあるというんですか」
「呪われしエアレンディルの娘よ…命尽きるその時までそなたは真名を明かすことを禁ずる!」
うち震える少女に、更に追い撃ちをかけるようにヨルズドラカは呪いをかけた。
地を這う呪いに、少女は駆け出す。
うねるように拡がる呪いの連鎖、それは毒の刺を持つ茨だ。
刺されたら最後、たとえ龍であろうと無事では済まないだろう。
呪いは大地の属性を持つもの。
それならば、地面がきれる場所へ行けばいい。
少女の足は崖を蹴った。
「愚か者…そこに組成するものがなくとも儂の蔦は切れぬ」
地龍の放った蔦が少女を捕らえた。しかし彼女とて易々と捕まっているわけではない。
彼女の身体を包んでいる水が、壁を作って蔦を阻んでいた。
「水よ……我が名に於いて命ずる。我を守り固めよ」
「やめろ…そなた死ぬ気か?!」
身体を包み込む水の中で、彼女の姿が淡く光を帯びる。持ちえる総ての力を集めているのだ。
うろたえる地龍を横目で追いながら、エアレンディル最後の少女は悲しげに微笑んだ。
「長老様、貴男を恨みはしません。でもせめて……私の存在だけは伝えてください、この先の未来のためにも」
少女を包む水が、ジワジワと凍り付いていく。
愛する魔法使いの眠る丘の上で彼女もまた、自らを氷の中に封じ込めて眠った。
できるなら、永遠に目覚めることがないようにとひそかに願いながら……。
龍と人間は、断絶した世界に生きるもの。
協力を求められれば、それに応えるだけの付き合い。それが当然の掟だ。
誓いなくして協力することは大罪に値する。
かつて、人間との共存を夢見た一人の娘がいたという。
もういつの物か解らないほど古い書物の、一節だ。
だが彼女が何を思い、伝えようとしていたのかの真実は理解される事なく景色はうつろい、人も龍も世代が替わっていき――――‐‐それから二千年が過ぎた。
その真実を知るのは、今は古森となっている丘に眠る者と、彼女自身しかいない。




