第7話 理想的ダンジョン攻略
薄暗いダンジョンの内部は、外気よりもさらに湿っていて、少し肌寒かった。
岩肌むき出しの坑道に、ほの暗い魔導灯が等間隔に灯っている。苔と湿気と、微かに血のような匂いが混じった空気が、足音を吸い込んでいく。
「う、うわ……ダンジョンって、やっぱり入ると不気味というか……」
ヘリックは震え声でつぶやきながら、アロンとリンカの背中を数歩離れて追いかけている。
「安心しろ。俺がいる限り、すべては想定内だ」
そうして三人は、慎重でもなければ大胆でもない、妙に独特なペースでダンジョンの第一階層を一通り踏破した。
簡単なスライム系モンスターを数体退け、罠のない分かれ道を何度か引き返しながら、踏破率としては七割ほど。やろうと思えばこのまま次の階層へ進めるレベルだった。
────だが、突然。
「リンカ、疲れてないか?」
アロンが歩みを止め、後ろを振り返って訊ねた。
「普通に疲れてるぞ。暑いし、湿度が高い…ムシムシして気持ち悪い」
「……よし、今日の探索はここまでだ。撤収するぞ」
「え?」
ぽかんと目を丸くするヘリックに、アロンは真面目な顔で答えた。
「リンカが疲れたと言っているんだ。仕方あるまい」
「いや、あの……でも、まだ先も行けそうですし、何なら僕は……」
「ヘリック、君のやる気は素晴らしい。だが、優先すべきは副リーダーのコンディションだ。彼女が疲れているというなら、俺たちは帰る。明日のためにな」
きっぱりとした口調でそう言い切るアロンを、ヘリックはただただ困惑した顔で見つめるしかなかった。
────
───
──
ギルドの食堂は、夕方を迎えても賑わいが衰える気配を見せなかった。
冒険を終えた者たちが酒を煽り、愚痴と武勇伝を交互に叫んでいる。
その喧騒から少し離れた壁際のテーブル。アロン、リンカ、そしてヘリックの三人は、簡単な食事を囲んでいた。
角切り肉の煮込みと、乾いたパン。冒険の後の空腹には、じんわり染み渡る味だった。
「ふぅ…なんかようやくほっとしたって感じです」
匙を口に運びながら、ヘリックがふと漏らす。
「そうか…お前の動きは別に悪くなかったぞ、邪魔にもなっているわけではないしな」
アロンは悠然とした表情でスープをかき混ぜている。
「ありがとうございます…でも、一つお聞きしたい事が……今日は一階層だけ探索して終わりましたよね?あの……その…なぜ、あのまま進まなかったのでしょう……」
アロンはちらりと隣のリンカを見た。彼女はパンを口に運んだまま、小さく目を動かす。
「さっきも言ったが、リンカが“疲れた”と言ったからだ」
「本当にそれだけで……?」
「あぁ…パーティーメンバーの体調を第一に考えるのはリーダーとして当然のことだからな……俺の回復魔法を使えば体力を無理やり戻すこともできるんだが───」
その続きを待たず、リンカが低く口を開いた。
「その日の夜から3日間、全身筋肉痛で動けなくなった」
「えっ……」
「本当に、起き上がるのも困難だったからな。寝返りだけで泣きそうになったんだ」
「えぇ…それ回復じゃないですよ…それもう……拷問の一種じゃないですか」
ヘリックが目をまるくする。リンカは無言で、スプーンを持ったまま静かにうなずいた。
小さな沈黙。そのあとで、アロンがふと真顔になる。
「ヘリック」
「は、はい!」
「お前も俺のパーティーメンバーだ。だから一つ、言っておく」
その声にはいつもの冗談めいた余韻はなかった。
「疲れたら、疲れたと言え。キツければ、キツいと。体調が悪い、怖い、無理……何でもいい。正直に言え……遠慮も、気遣いも、嘘も、俺は嫌いなんだ」
言い切ったあとで、アロンはごく自然な動作でパンを手に取る。
ヘリックは返事もできず、ただ小さく瞬きをした。
その夜。宿の部屋に戻ったヘリックは、毛布を握ったまま顔をうずめて泣いた。
言葉のひとつひとつが、今も頭の中に響いている。
疲れたって、言っていいんだ────
そんな当たり前のことを、誰かに初めて許された気がしたのだった。
それからというもの、アロンたちのダンジョン攻略は実に“平和”だった。
階層ごとに少しずつ進み、無理はせず、疲れたら帰る。
魔物はアロンがさくっと処理し、リンカが地図を整えて記録し、ヘリックは…荷物を運んだり、たまに壁にぶつかったりしていた。
アロンに言わせれば『実に理想的なダンジョン攻略』だった。
第8話は、本日夕方【 17時10分 】に投稿いたします。
この理想的ともいえる攻略に亀裂が入る……
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それでは、夕方の更新でお会いしましょう。




