第3話 絶世の美女
────ピンポーン
静寂を破るように、部屋の入り口からドアチャイムの音が響いた。
その瞬間───室内にいた全員の警戒心が、一気にはち切れんばかりに強くなった。
このルミエールの隠れ家にいることが、まさかギルド側にバレたのか。いや、あり得ない。
移動の足取りには細心の注意を払い、この部屋に満ちる魔力の残渣も、限りなくゼロに近くなるまで完璧に消去したはずなのだ。
グラムは無言のまま、鋭い視線だけを送り、仲間の一人をドアへと向かわせた。
男は音もなく、少しの隙も見せないよう警戒しながらドアへと近づいていく。
「誰だ」
低く、殺意を孕んだ声で問いただしながら、男はドアスコープへと片目を押し当てて外を覗き込んだ。
……そこに立っていたのは、絶世の美人といっても過言ではない、見惚れるような女性のインルームダイニングのスタッフだった。彼女は高級なボトルが載ったワゴンを前に、静かに佇んでいる。
「ルームサービスを届けに来たぞ────ましたわ」
スコープの向こうの女は、どこかぎこちなさそうな引き攣った笑顔を浮かべていた。
ルームサービスなんて、自分たちの誰かが頼んだだろうか。
男の脳裏に一瞬だけ疑問が過る……が、そのスタッフはあまりにも、言葉を失うほどに美人だった。
そういえば、バカ騒ぎの最中に誰かが追加の酒を頼んでいたような気も、激しい興奮の中でしてきた。
「スタッフだ……酒を頼んでいたんだ……いれていいか?」
男が振り返り、奥に座るグラムにそう尋ねる。
グラムはグラスを持ったまま、冷徹な声を響かせた。
「探知魔法をしろ……外には何人いる? このフロアの廊下にいる者を調べろ」
「もうしてるぜ、安心してください……目の前の女だけだ。念のために一つ下の階にまで範囲を広げましたが……深夜に出歩いてる人間は、人っ子一人いませんぜ」
男は自信に満ちた笑みを浮かべて答えた。
彼らの探知の網は完璧だった。外に伏兵はいない。罠も、尾行もない。
この重厚なドアの向こうには、ただ一人、美しい夜の給仕人が立っているだけ───
組織の『有能さ』が生み出したその絶対的な安心感が、彼らの運命の引き金を引いた。
「……そうか」
グラムは低くそう呟き、持っていたグラスを指先で弄んだ。
自分でも念のために探知魔法を展開してみるが……あいにく自分はそれほど探知が得意ではないため、部下の男のように下の階の隅々までを見通すような真似はできない。
だが、この組織の索敵を担う男の言葉だ。信用することにした。
それよりも───
グラムの脳裏に、微かな、しかし奇妙な違和感が引っかかっていた。
ドアの向こうにいるという女の、この極端に魔力が少ない、希薄すぎる気配。どこかで、強烈に見覚えがあったような気がしてならなかった。
「でよ……リーダー……このスタッフ、めちゃくちゃ美人なんすよ……そのまま……少し話させても……」
「……美人?」
グラムはまた思考を巡らせる。この見覚えのある妙な魔力の波長と、容姿が飛び抜けて良いということ。
その二つの条件が、記憶の引き出しを乱暴に叩き始める。
「なに言ってんだ……お前、俺たち一応お尋ねものなんだぞ?」
「いいじゃねーか……一応、襲撃してる時は顔を隠してるんだし……見ろよ、お前度肝抜かすぞ?」
「お前の感性はちょっとずれてるんだよなぁ……どうせ、たいしたことな────マジ?」
部下の言葉を鼻で笑い、代わりにドアスコープを覗き込んだ別の男が、言葉を失って絶句した。本当に度肝を抜かれたみたいだった。
誇張でも何でもなく、自分たちが今まで生きて出会ってきた中で、断トツの容姿を誇る女がそこに立っていたのだから。
「おい……まだか────でしょうか?」
ドアの向こうから、美しいスタッフの、しかしどこか辛抱たまらんといった風な催促の声が響いてくる。
「怪しくないんだろ? 開けようぜ?」
完全に警戒を解いた男が、躊躇なく重厚なロックを解除した。
男は勢いよくドアを開け、その絶世のスタッフを室内へと招き入れた。
部屋へと招き入れられた女は、ワゴンから高級な酒と豪勢な食べ物を手際よく男たちへと届けた。
そして、用件は済んだとばかりにそのまま部屋を出て帰ろうとした、その時だった。
「もう少しここにいてよ。酒も食べ物もたくさんあるし、食べてもいいぜ」
「そうそう……深夜なのに仕事で疲れてるでしょ? 少しでいいからさ」
鼻の下を伸ばした男たちに、にやにやとした下俗な笑みで呼び止められた。
普通のホテルのスタッフであれば、まだ仕事中ですので、などと当たり障りのない言葉を使って丁寧に断るだろう。
ましてや、ここは周辺の街でも指折りの最高級ホテルだ……客あしらいの対応は、しっかりと厳しい研修で叩き込まれているはずなのだが。
「では遠慮なく頂こうか」
女は一切の躊躇もなくそう言って、男たちに連れられるまま部屋の奥へと平然と案内されていった。
しかし、そんなあからさますぎる違和感など、彼女の美貌の前に理性を失った男たちは気にも留めなかった。
「リーダー、見てください! ものすごい美人な女連れてきましたぜ」
手柄を立てた子供のように、嬉しそうな声を上げて紹介する男。
そんな部下たちの騒ぎ声に、先ほどから一人で考え事をしていたグラムはハッと我に返った。
「何やってるんですか。ホテルのスタッフとはいえ、勝手に部屋に入れないでください」
規律を重んじるリーダーとして、部屋の奥へと女を連れてきた二人に鋭い小言を言い放つ。
そのまま、何者だと言わんばかりにそのスタッフの顔を真っ正面から凝視した、その瞬間。
グラムの全身の血が、一瞬で凍りついた。
その瞳が、理解不能な恐怖と驚愕によって限界まで見開かれる。
「リンカさん……!?」
グラムの口から漏れたのは、部下たちの誰一人として聞いたことのない、裏返った驚愕の叫びだった。
驚愕の表情を浮かべるグラムに、周囲のメンバーたちは当然のように疑問を抱いた。
「リーダーは、この美人さんと知り合いなんですか?」
部下にそう問われると、グラムは大きく深呼吸をし、スッと元の冷静なリーダーの顔へと戻した。
張り詰めた空気を和らげるように、彼は椅子の背にもたれかかる。
「えぇ……元仲間のリンカさんです」
元仲間、というその言葉に、スタッフの衣服に身を包んだ女───リンカは、記憶の引き出しを小さく手繰り寄せた。
「あぁ……お前は……確か……グラムだったか?」
「はい、リンカさんのような綺麗な女性に覚えていただけるなんて嬉しいです」
グラムは親しみやすさを演出するように、ニコッと爽やかな笑みを浮かべた。
そして、彼女の着ているスタッフの制服に視線を落とし、哀れむような、しかしどこか優越感に満ちた声を響かせる。
「それにしても、こんなホテルで働いているなんて……やはりあなたも、あの男に解雇されましたか? ……いや、リンカさんほど聡明な方だ……見切りをつけたと言ったほうが良さそうですね」
自分と同じように理不尽に捨てられ、路頭に迷った末にこんな場所で給仕をしているのだろう────
グラムの言葉の裏にある確固たる確信に対して、リンカはフッと口角を上げ、心底呆れたように吐き捨てた。
「随分な物言いだな……まぁ、あいつのことが好きな奴なんて、頭のイかれた物好きしかいないと思うがな」
その言葉を聞いた瞬間、グラムは我が意を得たりとばかりに声を上げて笑った。
「……そうだ、リンカさんも俺たちの組織に入りませんか?」
グラムは身を乗り出し、確信に満ちた笑みを浮かべて手を差し伸べた。
だが、リンカは表情一つ変えず、ただ静かに首を傾げる。
「……組織? なにかやってるのか?」
「俺たち、実は反ギルドを掲げる組織『解放の枷』なんです……それにリンカさんも引き入れたいんです」
「ほう……お前たちが巷で話題の……」
「おい、リーダー……いいのか? そんな簡単に話して……」
背後でワインを飲んでいた部下の一人が、慌ててグラムの袖を引いて制止する。
いくら元仲間とはいえ、自分たちは国家予算級の金を強奪した大犯罪者なのだ。しかし、グラムは余裕の笑みを崩さずに首を振った。
「大丈夫です……リンカさんは信用できる人ですから」
グラムはそう言って、再びリンカに甘い視線を移した。
彼女を自分たちの強大な力の一部として、そしてあのクズを見返すための最高の観客として迎え入れたいという欲が、彼の警戒心を完全に麻痺させていた。
「具体的にどんな活動をしているんだ?」
「そうですね……」
リンカの淡々とした問いかけに誘われるようにして、グラムはこれまでの自分たちの輝かしい功績を、誇らしげに語っていった。
4つのギルドを損壊させた緻密な戦術。そして、今まさにこの部屋にある500億の強奪劇───
「────しかし……そうですね……今の俺があるのは、逆にあの男が解雇してくれたおかげかもしれませんね……」
「ほう……というと?」
リンカがさらに深く、静かに言葉を促す。
「『お前が活躍するとリーダーの俺が霞む』なんて言うふざけた事を言い渡されまして、その時は殺意を持ちました。見返してあの男を地の淵に叩き落としてやろうと思いました……しかし、そんな感情があったからこそ、今の俺があるんですね……」
「なるほど……反骨精神というやつか……」
「まぁ大体そんな感じですね」
物思いに耽りながら、自らの成長の軌跡に酔いしれるように話すグラム。
「……では今はどう思っているんだ?」
リンカが静かに、探るような視線をグラムへと向けた。
グラムは苦笑いを浮かべ、グラスを持つ手にわずかに力を込める。
「そりゃ憎んでますよ……それとこれとは話が別ですから……今でもちょくちょく夢に出てくるんです……あの男のふざけた笑みが……俺の中から消えてくれない……」
グラムはそう言った後……まるでうわ言のように、取り憑かれたようにぶつぶつと呟いた。
どれだけ金を奪おうが、どれだけギルドを壊滅させようが、彼の心の奥底に植え付けられたアロンという『絶対的な理不尽』の呪縛は、未だに解けていないのだ。
我に返り、ハッとするグラム。
彼は慌てていつもの冷静で爽やかなリーダーの仮面を被り直した。
「……あ! す、すいません……!! ……で、どうですか? リンカさん? 俺は歓迎しますよ?」
「一応知っていると思うが、私は何もできないぞ?」
「大丈夫です……俺が守りますから心配しないで────」
グラムが格好をつけて、愛おしげにそう言おうとした───まさにその時だった。
───ピンポーン……
再び、静寂を切り裂くようにして、鋭いチャイムの音が鳴り響いた。
次回更新は本日17:10です!
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