第C話 婚約破棄されたパラディン ~地下へ~
「行きましょう、アロンさん……リンカさん」
これ以上、あの不快なゴミ虫たちの羽音に耳を傾ける必要なんてどこにもない。
私がそう告げると、アロンさんは何一つ言葉を返すことなく、ただ私の意思に同意するように、迷いのない足取りで真っ直ぐ前へと歩き出した。
「おい、無視かよ! おいルナ!!」
「キャハハ、逃げるんですかぁ? お荷物さん同士、お似合いでおめでたいですねぇ!!」
背後から、なおもにやにやと下卑た笑みを浮かべたカイルとエミリの耳障りな声が追いかけてくる。
けれど、私たちはただの一度も振り返ることはなく、その足を止めることもなかった。
どれほど吠え立てようとも、あんな薄っぺらな奴らはもう私の世界には関係のない、ただの路傍の石ころだ。
アロンさんの背中の上で、リンカさんも完全に興味を失ったように、小さく揺らしているだけだった。
そのまま静かに歩みを進め、薄暗い岩肌の階段を下りて、ついに下の階層へとたどり着く。
奴らの気配が完全に消え失せたのを確認した瞬間、私の身体からようやく張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと静かに解けていった。
「……ふーっ」
胸の奥に溜まっていた重苦しい澱をすべて吐き出すように、私は長く、深い息を吐き出した。
カイルたちに正面から向き合い、そして自分自身の意志で彼らを完全に切り捨てることができた───その確かな事実が、傷だらけだった私の心を、少しだけ新しく塗り替えてくれたような気がしていた。
「すみません……私のせいで変な空気にさせてしまって……」
「いや……気にしてないよ」
「でも、あの階層……全然調べられませんでしたし……」
「いいよ……違う階層を探せばいいし……また戻ればいいしね」
アロンさんは振り返ることもなく、怒ることはおろか嫌な顔一つとせずに、歩調を私に合わせたまま穏やかなトーンでそう言った。
前のパーティーだったら、私のプライベートな問題で探索の効率が少しでも落ちようものなら、カイルからは激しい叱責が飛び、エミリからは「本当に使えないゴミ盾」と陰口を叩かれていたはずだ。
それなのに、この人は『完全攻略』のための調査が滞ったことすら、まるで最初から気に留めていないかのように受け流してくれる。
この方々は、神か何かなんですかね……?
背中で静かに揺れているリンカさんも、私を責めるような気配は微塵も見せず、ただ当然のようにアロンさんに運ばれている。
この圧倒的な包容力と優しさに触れていると、カイルたちに言われた理不尽な侮辱の残滓なんて、本当にどうでもいいものに思えてくるから不思議だ。
張り詰めていた胸の奥がじんわりと温かい幸福感で満たされていき、私はたまらず「ふふふ……」と小さく笑い声を漏らした。
「よしっ、じゃあこの階層からまた、しっかり隠し部屋を探します!」
私は前向きな足取りで、アロンさんたちの後を追って周囲の岩肌に意識を向け始めた。
────
───
──
そんな中……私たちは第7階層目へと足を踏み入れていた。
相変わらずサクサクと通り過ぎていく他の周回パーティーを横目に、ゆっくりと周囲の構造を観察しながら進んでいく。
すると、とある何もない、行き止まりの通路の真ん前でアロンさんの足がピタリと止まった。
「……? ここがどうかしたんですか?」
左右を見渡しても、ただの古びた岩肌が続いているだけの何の変哲もない行き止まりだ。
私が不思議そうに首を傾げると、アロンさんは不敵な、それでいて確信に満ちた笑みを浮かべた。
「ここだね」
アロンさんがそう一言呟き、目の前の無骨な岩壁へと静かに手を触れる。
次の瞬間────
ゴゴゴゴ……!!
地響きのような重低音と共に、びくともしないはずの分厚い壁が生き物のように地中へと滑り込み、動き出したのだ。
たちまち周囲の埃が舞い上がり、開かれた壁の奥から、下へと続く不気味で古びた石造りの階段が姿を現した。
「ええっ!? か、隠し通路……!?」
私は驚愕のあまり、持っていた大盾を落としそうになるほど目を丸くした。
第7階層に、こんな大掛かりな隠しギミックが眠っていたなんて。
周りの実力派パーティーが誰一人として気づけなかった『完全攻略』の入り口を、アロンさんはまるで見えていたかのように、迷いなく一発で引き当ててみせたのだ。
この人の観察眼は、一体どうなっているのだろう。
暗い闇の奥へと続く階段を見つめながら、私は凄まじい鳥肌が全身に立つのを感じていた。
「わ!? 階段!? なんでわかったんですか!?」
「冒険者の質が高すぎる……分かるんだよな、魔力の流れってやつが」
アロンさんは大真面目な顔をして、自身の頭を指先でトントンと叩いてみせた。
「気にするな……定期的にある発作だ」
「すごい……」
リンカさんはいつものように冷たくあしらっているけれど、私からすれば、これは本当に、心の底から凄いことだった。
ここへ来るまで、私は周囲の岩肌にどこかおかしいところがないか、自分なりに必死に目を凝らしていたのだ。
それでも、この場所がただの行き止まりの通路にしか見えなかった。
普通なら、誰もが「あ、行き止まりか」と諦めて引き返すしかない、そんなありふれた袋小路。
それをアロンさんはいともたやすく、目に見えない魔力の流れの僅かな異変に気づき、隠された階段を見つけ出してみせた。その手際の良さ。
一切無駄のない滑らかな動きと、洗練され尽くしたその圧倒的な観察眼。
リンカさんがどれほど「発作」と呆れてみせようとも、元のパーティーでカイルたちの探索をずっと見てきた私には分かる。
アロンさんのこの技量は、間違いなく「凄い」という言葉しか見当たらないほど、超一流の冒険者のものだった。
この人たちの背中についていけば、まだ誰も見たことのない世界の裏側にだって手が届くかもしれない──そんな震えるほどの高揚感が、私の胸の奥で静かに、けれど熱く燃え上がり始めていた。
「何ぼうっとしてるんだ? 早く行くぞ」
先を歩くアロンさんのどこか楽しげな声に、私はハッと我に返った。
「はい……今行きます!」
アロンさんの背中を追いかけ、私も一歩を力強く踏み出そうとした、その時だった。
「おお! ここが隠し通路なんですねぇ〜!」
「ご苦労なこった!」
通路の入り口から、ダンジョンの岩肌を不快に反響する、聞き覚えのある嫌な声が響いてきた。
振り返ると、そこにいたのは、さっき下の階層へ行ったはずのカイルと、エミリだった。
「な!? なんでアンタたちが!!」
あまりの理不尽さに、私の喉から怒りに震える声が飛び出していた。
「なんでってつけていたんだよな……お前たちがちょっと怪しい動きしてたからな……まぁいいや先に進ませてもらうぜ」
カイルは悪びれる様子もなくニヤニヤと笑いながら、信じられない言葉を吐き捨てた。
つけていた。
奴らは本当に、私たちの後を卑劣にも尾行していたのだ。
ここはアロンさんがその洗練された観察眼とガチの技量で見つけ出した、誰も知らないはずの神聖な場所だというのに……!!
他人が血のにじむような思いで切り開いた果実を、当たり前のように掠め取っていくその傲慢さと浅ましさ。
私の脳裏に、かつて彼らのために盾を掲げ続け、ボロボロになって使い捨てられたあの最悪の裏路地の記憶が濁流となって蘇る。
許せない。
これ以上、この泥棒猫たちに好き勝手されてたまるものか──!!
私の中の『何か』がブツリと音を立てて切れ、大盾を投げ捨ててでもカイルの胸ぐらに掴みかかろうと足を前に踏み出した、まさにその瞬間だった。
「いいよ……じゃあどうぞ」
私の背後から、あまりにも拍子抜けするほどに平然としたアロンさんの声が響いた。
「え……っ!?」
怒りで逆上しかけていた私の身体が、その場に凍りつく。
アロンさんは怒るどころか、まるで散歩の道を譲るかのような満面の笑顔で、カイルたちに隠し階段の道を差し出していた。
「お!……なかなか話がわかるじゃないか」
「わかる人っていいですねぇ……!」
カイルとエミリは、アロンさんのことを自分たちに怯えて道を譲った無能な格下だと完全に勘違いし、これ以上ないほどの勝ち誇った愉悦の笑顔を浮かべた。
そのまま二人は、私たちの前をこれみよがしに通り過ぎ、暗い闇の奥へと続く隠し階段をドタドタと足音を立てて下りて行った。
暗闇へと消えていく元仲間の背中を見つめながら、私は悔しさと困惑で胸が張り裂けそうになり、震える拳を強く握りしめることしかできなかった。
────
───
──
彼らが去った後……
あまりの理不尽な展開にあっ気にとられていたけれど、奴らの足音が遠ざかるにつれて、私はようやく正気に戻った。
「ちょ……!? なんで先に譲っちゃうんですか!? おかしいじゃないですか、あいつら尾行してたって言ったんですよ!!!」
せっかくアロンさんが見つけた大切な場所なのに! 悔しさと憤りでベッドから飛び起きんばかりに詰め寄る私。
すると、アロンさんの背中の上でリンカさんもまた、氷点下の眼差しを男のうなじへと突き刺していた。
「そうだぞ……いつものお前なら……『俺が俺が』って言って真っ先に行くお前が……邪魔してくる奴がいたら粘着行動を発動するお前が……本当にどうした?」
「悪意があるかないかぐらい、動きを見てればわかる」
アロンさんは腕を組んで、フッ、とまた何かを悟りきったかのようなニヒルな笑みを浮かべてみせた。
「悪意があると粘着行動が発動するのか……」
アロンさんの斜め上を行くブレない行動基準に、リンカさんは心底呆れ果てた様子で額を押さえている。
粘着行動ってなんだ?……って、そうじゃなくて!!
「明らかに悪意ある行動だったじゃないですか!? 私たちの邪魔をして、美味しいところだけ奪おうとしてるんですよ!?」
「そーなの?」
アロンさんは本気で不思議そうに首を傾げ、まるで他人事のように間抜けな声を漏らした。
「そうですよ!! アロンさんが見つけた階段を、後からハイエナのように群がってきて横取りしていったんです! あんな奴ら……!!!」
私は拳を硬く握りしめ、ムカムカと煮え返るような怒りがどうしても収まらなかった。
あいつらに全てを奪われて路地裏に捨てられた、あの夜の屈辱が。
そして今また、私を救ってくれた大切な恩人たちの努力や成果までゴミのように踏みにじられたことが、どうしても許せなかった。
なのに、当の被害者であるはずのアロンさんは、怒るどころか私の剣幕に少し圧倒されたような顔をして立ち尽くしている。
隣で背負われているリンカさんだけが、「ほら見ろ、お前のズレた頭のせいでこの子が一番まともに怒っているじゃないか」とでも言いたげに、ますます冷ややかな目をアロンさんに向けていた。
「別に行かせあげてもいいよ」
「だからなんで!」
「どうせ無理だし」
「無理なんて……え?」




