死神
「グロロロロロ!」
食事を終え食休みをしていたシュウ達の頭上から、何かの雄叫びが聞こえてきた。
同時に崖を崩しながら何かが落ちてくる。
かなりの巨体であるそれは闇の様な真っ黒な姿をしていた。
このままだとその巨体の落下に巻き込まれるのは必定。シュウは即座に皆に指示を飛ばした。
「皆! 走れ!」
シュウは咄嗟にアーチェを抱き抱えるとそのまま進行方向へと走り出す。クムトとパルもそれに続いた。
次の瞬間、今迄辿ってきた山道と今迄座っていた開けた部分をその巨体で押し潰しながら黒い獣が全貌を現した。
「なっ! 止まるな! そのまま進め!」
アーチェをクムトに預けたシュウはそう叫びながらその獣の姿を見上げる。
それはまるでそそり立つ壁だった。
崖と山道の広がりの全てを覆い尽くすかの様な巨体。
見知ったその感じは昨日戦った魔獣。いや、それ以上の魔物だった。
焚き火やお椀などその全てが巨体の下に潰されている。
その見た目に反して受けとる気配は昨日感じた違和感の比ではない。
「なんつう巨体……なんつう威圧感だよ!」
シュウが一人山道に立ちながらそう呟く。
殆んど人一人しか立てない山道に陣取ったシュウが、先に逃げた三人を追わせない様に殿を受け持っていたのだ。
「グロロロロロ!!」
魔物が雄叫びを上げる。
シュウは心底肝を冷やしていた。
(や、やべぇ……こんなヤツまでこの世界には居んのかよ……)
昨日の魔獣でも際どかったのだ。
今目の前にいるのはあの大百足や漆黒の巨狼並みに、いやそれ以上に危険な薫りを漂わせている。
(どうする?)
明らかに眼前の魔物はシュウを獲物として捉えていた。間違いなく見逃して貰う事は不可能だろう。
(蜘蛛の口も武器だった鎌もない。マジィ、ほんとにこいつぁマジィ! 何か武器になる物を……)
直感に従い硬化と巨腕を発動させ、その拳に赤化のイメージを纏わせる。
イメージ通りに身体はその色を変え、腕は巨大化し、鎌の赤化現象を拳で行う事に成功する。
(これで何とか凌げれば……)
黒い影が視界の端に映った。
(!? 跳べ! 前へ!)
再び直感に従い、四つん這いになると前方へと跳躍する。
次の瞬間、シュウが居た山道は付近の岩壁と共に崩れ落ちる。
(な、何とか…なったか!)
シュウは魔物の眼前に一瞬で距離を詰めていた。
そう、あの紺瑠璃色の狼が使っていた高速移動を土壇場で本能的に成功させたのだ。
(チャンスは今しかねぇ!)
シュウは灼熱の拳を全力で魔物に向け振り抜いた。
「うらあぁぁぁぁ!」
シュウの拳が魔物を貫く。
(なっ!?)
全く手ごたえが無かった。まるで霞を全力でぶん殴った様に何の手応えも感じられなかったのだ。
「グロロロロロ!」
(ヤッベぇっっ!)
魔物はシュウの攻撃にも全く反応を見せず、そのまま黒い固まりと化した腕と思われる物をシュウ目掛けて振り下ろした。
咄嗟に身体を捻り一撃を回避しようとするが、振り下ろされた腕の速度は予想を超えていた。
(ちぃ! なら肉を切らせて骨を断つ! 左腕はくれてやるよ!!)
身体の中心線からは何とか逸らせたが、その一撃はシュウの左腕を吹き飛ばした。
肩口から左腕が千切れ跳び宙を舞う。
だが、シュウはその態勢のまま衝撃に耐え、口内に息を思いきり吸い込んだ。
(喰らいやがれ!)
「ウォォォォン!」
収束させた咆哮が黒い塊に穴を穿つ。
しかし魔物にはそれすらも効果が薄く、風の砲弾は塊を貫けず途中で霧散してしまう。
(腕が灼熱化出来るなら、足だって出来んだろ!)
シュウはそのまま飛び上がり、バク転の要領でサマーソルトの様に蹴りを放つ。
(ちぃ! 収束が甘めぇ…って言うかこりゃあ使えねえ!)
ヤケクソ気味に身体を捻って、更に尻尾を横凪ぎに叩きつける。
だが灼熱化出来ず、ただ熱を持っただけの蹴り技と物理攻撃である尻尾の一撃では、魔物に何らダメージを与えていない事は一目見て分る。
身体を回転させながら勢いのまま地面に着地するも、追撃の魔物の腕がシュウに迫る。
「ちぃぃっ!」
思わずシュウが舌打ちをしたその時――
「後ろへ跳べ! 馬鹿者が!」
何処からか女の澄んだ声が聴こえた。
その声に身体が思わず反応し、シュウは地面に思いきり伏せると、何とか三本の手足で再び高速移動を行い崩れた山道付近まで退避した。
黒い巨椀が地面を割る。崖は更に崩れ落ちていく。
上手く高速移動に成功したから良いものの、失敗していればシュウの身体は眼前の崖の様に真っ二つになっていただろう。
安堵の息を吐く暇も無く、シュウは聞こえて来た声の主を探す。
(誰だ? 何処から聞こえて来た!?)
何処からか先程の女の声が聞こえてくる。
その声は歌うように朗々と言葉を紡いでいった。
―― 其は死を与えし者
―― 虚ろな刃携えし者
―― 傷つきし魂に
―― 一度の安らぎを与えん
この状況下にありながら、シュウはその和声に聞き惚れていた。
―― ”死神“
最後の一句が奏でられた時、シュウの前に陰が揺らめく。
その姿は異形。
金の刺繍に彩られた漆黒のローブから覗ける顔は髑髏そのもの。
骸骨の手には人一人分の長さをもつ柄が握られている。そこから流線型に伸びるは二mはある巨大な鎌の刃。
(死…神……)
その姿は西洋の死神その物だった。
死神はその手に持つ鎌を魔物に向け右上から一閃する。
「なっ………」
――唯それだけだった。
それだけで巨体を誇るあの魔物が黒い霧になって消えたのだ。
叫び声すら上げさせる事無く、一瞬で左右袈裟懸けに斬り伏せたその一撃は、その斬り口に吸い込まれる様に周囲の黒い霧の様な物を吸い取って魔物を消滅させたのだ。
「なっ…何が起き……た?」
死神は現れた時と同様に、静かに陰の中へと消えていく。
そこに残されたのは、呆然と立ち尽くすシュウの姿だけであった。
「……迂闊だったな」
崖の上からあの澄んだ声が聞こえる。
瞬間崖っぷちまで跳ぶと頭上を見上げつつ構えをとる。
「そう警戒するなよ獣人……いや、合成獣か……」
フワリと翔ぶように宙に身体を舞わせると、衝撃を感じさせず静かにシュウの前に降り立った。
薄い翡翠色の外套を纏ったその姿は何処か気品すら感じさせた。
外套の緩やかな袖が風に揺れる。
帽子部分から僅かに見える長く透き通った銀髪がたおやかに風に靡く。
外套の下は白藤色のワンピースに丹色のベルトを着用しており、その女性特有の肢体を覆い隠していた。
女性はゆっくりと外套の帽子を下ろすと、長い銀髪がフワリと広がり、その下には紫紺の瞳を持つ少女とも女性ともつかない、あどけなくも妖艶な顔が目に映る。
「へぇ……俺を合成獣と見破ったのはアンタが初めてだよ」
「ふむ。アンタとは失礼だな。私の名はベルニフェイと言う。貴殿の名は?」
「そうか。これは失礼したレディ。私の名はシュウと言う」
シュウは徐にベルニフェイと名乗った女性に向けて、右手を腰の前に当て令嬢にする様な丁寧なお辞儀を返す。
「別に堅苦しくしてくれとは言ってないが、まあいい。私の事はベルニフェイと呼び捨てで構わんよ」
「そうか。なら有り難く。俺もシュウと呼び捨てで構わんよ」
「くっくっ…私にそんな態度をとった男はシュウが久しぶりだよ」
ベルニフェイはさも可笑しそうに言葉を紡いだ。
「それは光栄な事で。兎に角助力を感謝させて貰うベルニフェイ」
シュウも狼頭を歪ませて笑う。
これがシュウとベルニフェイの最初の邂逅だった。
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