そして来たるはパンデミック
ゲームのキャラクターを好きになるのは変だろうか。
でも、だって、一つ一つの選択肢に癒やされたのだ。
くたくたのへとへとで、満員電車に揺られて、人のささくれた心で自分もささくれて。
人に優しくなんてできなくて、動作も乱暴になった。
好きなゲームも、グラフィックがクソだとか、ストーリーがお遊戯レベルだとか、あら探しばっかりしていた。
だけど、このゲームは違った。
練り込まれた設定や、グラフィックの美しい世界観、重厚なラブストーリー。
そしてそれを包み込むような、主人公ルナの優しい性格が、何よりも私を癒やしたのだ。
「エンランディア・クロニクル」では、プレイヤーはルナになって、魔術学園の生活を楽しむ。
だから私がルナちゃんを好きになるのは、自分を好きになるようなものーー。
じゃないんだなこれが。
ルナの動きは基本的に選択肢で決まってくる。
このゲーム、分岐が細かくて「えっここで?」みたいなところでストーリーが分かれる。
例えばトイレで用を済ませたあと、トイレットペーパーを三角折りにするか否か、なんて選択肢が出てくる。
どっちでもええわい! と三角折りにすると。
なぜかバッドエンドになる。
というか「三角折りはマナー違反です!」として校長が出てきて(なんで主人公の仕業だって分かったんだろう? 見てたのか? 可愛いルナたんの排泄シーンを覗いてたのか? そういうことなのか?)放課後に延々と廊下磨きをさせられるため、攻略キャラに話しかけられない、というループに入るのだ。
謎。
ゆえに選択肢もすごく細かくて、ルナちゃんの性格や考え方がもろに出るようになっているのだ。
ゲームの中のルナちゃんは、他人への気遣いを忘れず、楽観的で優しい。
自分が転ばされたり、魔術薬がかかって常にゲップが出る状態になっても、決して
「クソが! その短い足を引っ込めな」
とか
「こんなとこに魔術薬放置してんじゃねーよ死ねハゲ」
とか言わないのだ。
「あなたに怪我がなくてよかった」
とか
「ふふ、不思議ね。ゲップばかりで下品なのに、なんだか楽しくなってきちゃったわ?」
とか言うのだ。
神。控えめに言っても神。
だから私はどんどんルナちゃんを好きになった。
ゲームをやるたびに、自分がルナちゃんに近づいて、いい人になれる気がしたのだ。
ささくれだった自分じゃなく、人に優しくできる自分。
それを贈ってくれたのは、ゲームの中の、プログラムされたヒロインだった。
自分を好きにならせてくれた人。
それが、ルナ・メイハウス。
例え彼女が、ゲームの中の人物だったとしても、私はルナちゃんが大好きだ。
彼女は私が幸せにする。絶対に!
*
ああ、そんな憧れのルナちゃんがそこにいる。
栗色の髪の先を神経質にいじりながら、新入生の列に並んでいる。かわいい。ねこちゃんみたい。
不安げな顔は宗教画に描かれるべき美しさと憂いをたたえていて、今すぐ側に行って励ましてついでに匂いをかぎたくなる。
でも、だめなのだ。
今は魔術学校の始業式。
新入生と、選ばれた一部の生徒たちが講堂に並び、校長や教頭の有り難いお言葉をじっくりと聞いている。
こういう行事は、ほんとは好きじゃない。
だけど、私は二年生として、ルナちゃんを迎え入れる立場だし、そうじゃなくても始業式は「校長に見初められる」というフラグ立てには必須のイベントだ。
ちなみに校長の正体は、百年に一度しか目覚めない長命な龍である。
セミかよ。つうか仕事しろよ。
なお校長は、始業式で一目惚れしたルナちゃんのために、毎日学校に来ることになる。セミのくせに頑張るのだ。
そのため、学校の治安が保たれる安全ルートになり、オークのハーフとの種族差恋愛ルートがなくなる。
ルナちゃんなら誰と並んでもナチュラルボーンスーパー可愛いパワーで絵になるが、さすがにオークは、ねえ……?
というわけで、今は校長に一目惚れしてもらい、ルート固定をしている最中というわけ。
ああ、下ろしたてと思われるペールホワイトのリボンが超かわいい。私も同じ色にしようかな。いきなりおそろはちょっときもいかな。
なんてことを思っていると。
前の方の男子二人が、こそこそ話をしているのが耳に入ってきた。
「おい、あの人、有名なヴィクトリア・スカーレットじゃないか……!?」
「うわほんとだ。すっげーきつそう」
「美人だよなあ……それにすげー金持ちって言うし」
ほほほ。私の耳には美人という言葉しか入ってこない。
前世では言われたことのない甘美な響き。悪役令嬢の役得である。
新入生男子のひそひそ話が聞こえたのだろう、ルナちゃんがその小さな顔をぱっとこちらに向けた。
「はうぅっ……!」
かわいい。も、かわいいのインフレ。
ほっぺが赤いのは、なんでかな? 緊張かな?
にっこりと笑ってみせると、ルナちゃんも、にぱあっとあかちゃんみたいに笑ってくれた。
なんだそれ。かわいい。いま、ルナちゃんの微笑みで3%くらい地球温暖化がやわらいだ気がする。
小さく手をふると、ルナちゃんもこっそりと小さく手を振り返してくれる。ひな人形みたいな、細くて小さな手を、ぎゅっと握りしめたい衝動に駆られた。
ああ、推しと同じ次元にいる喜びよ!
神様ありがとう!
ともすればだらしなくなる顔を、必死に引き締めて、上級生らしい威厳を保とうとがんばる。
「うっわヴィクトリアさんの顔怖っ」
地獄耳なので、男子生徒の言葉はしっかり聞こえた。
ので、ぎろりと睨みつけておいた。ひっ、という押し殺した悲鳴に満足を覚える。
そうこうしている間に始業式が終わり、新入生たちは自分の教室に引き上げ始める。
ルナちゃんが良いスタートを切るためには「掃除→先生のおつかい→猫を三回撫でる」の手順を踏まなければならない。
先生のおつかいまでは難なくクリアできるだろう。
猫を三回撫でるところは、私のアシストが必要だ。
「よし、まずは新一年生の教室へ向かって……」
その時だった。
講堂の外がやけに騒がしい。大きなものがぶつかる音や何かをひっくり返したような音に加えて、悲鳴のようなものまで聞こえている。
教頭は注意するために扉の方へ向かった。
「なに? まあ、ちょっとあなた、腕が……!」
開け放たれた観音開きの扉。
その側に佇む教頭が、ふらふらとよろける男性生徒を受け止めようとした、その瞬間。
「グアゥ!」
男子生徒は、血走った目で――教頭の喉笛に噛みついた。
ずたずたに喰い千切られた腕を振り回し、迸る新鮮な血を行儀悪く散らかしながら、柔らかな喉の肉を貪り食っている。
教頭の悲鳴は、悲鳴にならない。
あれほど耳障りだった教頭の声は、溢れる血でくぐもって鈍くとどろく。喉にたんが絡んだときみたいに、ぐるるぅ、と唸る教頭の足から力が抜ける。
「……え?」
派手な音を立てて後ろに倒れる教頭にのしかかり、今度は柔らかな頬肉にかぶりつく男子生徒。
私は彼の名を知っている。
人肉を貪り、死してなお食欲に突き動かされ、無残な肉体を晒して襲いまわる――。
ゾンビ。リビングデッド。アンデッド。
名前はこの際どうでもいい。
数多くのレーティング付ゲームをクリアしてきた私は、この場での最善を知っていた。
襲われた羊の群れみたいに棒立ちになっている新入生をかき分け、かき分け――。ただ一人きらきらと輝いて見える彼女の手を掴んだ。
「えっ……」
「行くわよ、ルナ・メイハウス! 死にたくなかったら私について来なさい!」




