5話
お盆休みにかまけ三日坊主になってました
ついにやってしまった……
渡辺愛は数分前の出来事を——自分の行動をひどく後悔していた。なんであんなことしゃっちゃたんだろう私……でも裕太君があまりにかわいそうで見てられなくて……でも、でもでもでも。
担任の渡部先生がホームルームを淡々と進める声も愛の真っ赤になった耳には届かない。ただスカートを強く握りしめた自分の指先を見つめてピクリとも動けないでいる。
こうして俯いていると今までなら先生に注意されたりしたものだが二年生に上がってから先生たちはどこか優しくなり、一回も怒られたことがない。
おかしなところは他にもある。普段話さないクラスメイトのみんなはやけに教室にいるとき愛に話しかけてきてくれるしその目はどこか輝いて見える。それに愛もだがクラスのほとんど名字が「渡辺」なのも引っ掛かる。
数年前に施行された法律で名字の種類が少なくなったのは愛も知っている、というか愛もそれによって名字が変更されたうちの一人だ。だけど三十六人中三十五名が偶然、たまたま同じ名字というのはあまりにも出来すぎている。それにクラスで唯一名字の違う愛の目の前の席に座る田辺裕太君——高校一年生の頃からクラスの人気者だった彼がどういうことかみんなから嫌われているように見える。
裕太君が大勢の人からこんなに急に嫌われるなんてありえない、だって愛は知っているのだから、裕太君の努力を、裕太君の境遇を……。
恐らく彼は覚えていないだろうが愛は裕太に小学生の頃救ってもらった恩がある。それは「命の恩人」と称しても過言ではないほどだ。クラスの女子生徒達からひどいいじめを受けていた愛は裕太君の存在がなければ今こうして座っていることもなかっただろう。
その時から愛は裕太のことを好きになってしまっていた。
小学校を卒業し中学は別々。なんの進展も見られないまま愛の初恋はその熱が冷めるのをただただ待つばかりであった。
だが熱は高校入学と共に急速に上がっていった。そこにいたのだ、あの田辺裕太が。しかも同じクラスに。
といっても自分の引っ込み思案な性格から話しかけることなんてできるはずもなくただただ時間だけが過ぎていき、いつしかその姿を見ていられるだけでいいと思うようになっていったのだ。
それは今でも思っているし、正しい選択だと思っている。こうしてすぐ後ろの席になれたのだ。
あの時から一層大きくなった優しい背中を時折眺め、プリントをしっかり体ごと向けて渡してくれるそのことだけで愛は満たされていたのだ——だが、無視されるのをわかっていながらも何度も何度も明るい笑顔を振りまいてクラスメイト達に話しかける裕太君を見てたら——心が挫け涙をこらえる裕太君を見ていたら居ても立っても居られなかった。持っていたハンカチを投げずにはいられなかった。普段の愛なら絶対にそんなことはできないと自覚しているがなぜかこの教室にいるときだけ以前より冷静な気持ちで裕太君を接することができるのだ。
少し間を置いてから愛のものだと気付いた裕太君は驚いた表情を浮かべながらもありがとうと言ってくれた。男子らしからぬサラサラした髪は目にかかりそうなほどで目元はうっすら赤みを帯びている。
整った容姿をふんだんに生かした笑顔は愛の脳内フォルダに強制的に永久保存された。
ホームルームが終わると愛はすぐさま女子トイレへと駆け込んだ。教室を出る前に後ろの方で裕太君の声が聞こえた気がしたが振り向いてはいけない。
女子トイレの一番奥の個室へ入り鍵をかける。ここまで来れば裕太君も追ってこられないだろう。その場しのぎでしかないことはわかっているが裕太に話し掛けられるだけでこんなにも鼓動が高まってしまっている。
教室を出た途端せき止められたダムが決壊するように感情が溢れて止まない。好きってバレたらどうしようか……。
コンコンっと他に空いている個室があるだろうに愛の入る個室が叩かれた。もしかしてあれだろうか、ドラマとかでよく見る「私専用の個室」みたいな暗黙のルールでもあったのだろうか。
愛は沈黙を押し通すが扉の向こうの誰かがいなくなる気配はない。
「愛ちゃん、渡辺愛ちゃん。クラスメイトの渡辺弥生なんだけど、ちょっといいかな」
「や、やよ……渡辺さん? なんで私が入ってるってわかったの? 」
声を聞きそっと扉を開けると渡辺弥生の姿があった。肩で息をしているところをみると教室から追いかけてきたのだろうか。
「渡辺さんって他人行儀だな~ 弥生でいいよ~っていうかうちのクラスほとんど渡辺さんだよ? 」
変なの~っと笑う弥生の笑顔は同性である愛でもかわいいと思う。
身をよじりながら笑う弥生の体には愛には全く実らなかった二つの果実が生きているようにうごめいている……自分の更地に手をあてがうと悲しくなる……。
「そ、それでなにか愛に用があるの、かな? 」
「そうなんだよ! 愛ちゃんさ、さっき裕太君にハンカチ貸してたでしょ? 」
「え、うん貸し、たよ……」
も、もももしかしてこれはテレビでよく見る女同士のドロドロした醜い争い的な何かが始まるのだろうか。弥生の笑顔が全く崩れないのが余計怖い。
「今日の放課後暇かな? 来てほしいところがあるんだ~」
「放課後? 今日は図書当番の日で……」
嘘を付いた。図書委員ではあるが図書当番は先生たちが持ち回りでやっている。
「そっか~でもおかしいな~昨日図書室言ったけど当番表には先生の名前しかなかったよ~? 」
「あ、あれ? おかしいな~ちょっと昼休み確認してくる! 」
「うんわかったよ! じゃあ当番じゃなかったら放課後またここに集合でよろしくね! 」
言いたいことを伝えると弥生は満足げに女子トイレから姿を消した。
ヤバイ、これは間違いない。きっと放課後バケツ一杯に入った水を何回もかけられたり、デッキブラシでこすられたり最悪便器に顔をうずめることになるかもしれない。
ああ、ハンカチを渡しさえしなければこんなことには……でもハンカチを渡したから裕太君にお礼を言ってもらえたわけで……でも、でも……。
後悔をしてもし足りない。愛は休み時間ギリギリまで個室にこもり頭を抱え込みながら自己嫌悪に浸った。
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