4話
拙い文章ですが最後まで読んでいただけるとうれしいです。
いつもと変わらない、生徒がさほど靴箱に混まない時間に裕太は登校した。いつもと違うのは裕太の属しているクラス——二年四組全員の外履きがそこに収まっていたことだ。普段は遅刻寸前で来るやつや部活の朝練の残りなどで早々に揃わないはずなのだが今日に限っては裕太が最後の一人になってしまった。
偶然、たまたま——なんてことはないだろう。
考えても仕方ないのでとりあえず教室へと歩を進めるが、不安で不安で仕方ない。心なしか歩く速さはだんだん遅くなり、心臓の鼓動は反比例して早くなっているように感じる。昨日の帰りはあれだけはしゃいでいた自分が嘘のようだ。
階段を昇り終えた裕太の視界の端には二年四組と書かれたクラスの札が映り込む。そしてその下には渡辺弥生の姿があった。
ワインレッドの制服の中央にある青いリボンは長い髪と共に窓から入り込む風に煽られ、チェック調になっているスカートからはすらっとした足が伸びて黒いタイツをまとっていて、朝からはつらつとした笑顔がぴったりと貼り付いている。
「やー田辺君おはようおはよう! 」
裕太に気づくと待ちくたびれたよ~とちょっとした愚痴をこぼしながら走って裕太のもとへと近づいてきた。昨日なんだか湿っぽい別れ方をして心配していたが弥生は相変わらずマイペースで少し安心する。
「おはよう。みんなこんな早くから揃ってるみたいだけど……お前の仕業? 」
「仕業って……なんか私が悪いことしてるみたいな言い方だな~」
貼り付いていた笑顔がむすっとした表情に変わる。
「いや、ごめん……じゃあこれって昨日言ってた作戦の準備みたいなことなのか? 」
「そうだよ! みんなに昨日早く来てってお願いしたんだ~ あれ、言ってなかったかな? 」
「明日話すって完全に言ってた気がするが……」
「ま、まあ気にしない気にしない~じゃあ早速だけど作戦の説明をするね!
そういうと弥生は胸ポケットに手を突っ込む。
あれ、デジャヴってやつかこれ……。
裕太はまたも目を逸らし雲の隙間から見える煌々とした太陽の光にあやかり自らの視界を奪った。朝からこの光景は刺激が強すぎる、視界を奪えば見えることもない! 我ながら完璧な作戦だ!
「あれ、忘れてきちゃったかな~。せっかく紙に作戦のこと書いてきたのに~」
裕太の視界が元に戻り始めると同時に弥生はそう告げた。残念そうにしてる弥生には申し訳ないが裕太は昨日の地獄のような絵の類——それにどこか見てはいけないもののように感じる胸ポケットに手を突っ込む弥生を見るのを回避できたことに心の中で歓喜した。
「ん~じゃあ口で説明するね! 今から教室に入るわけなんだけど、田辺君はみんなに話しかけてほしいんだ」
「は? 話しかける? 」
裕太は弥生の言葉に耳を疑った。
今弥生が声を掛けて朝早くから集まった渡辺達三十四名が教室内にいるわけだ。そこに裕太が入ったとしたら弥生の昨日の説明通り考えるとワタナベーションの影響により裕太のことはみんなからすれば意識の外——認知ができない透明人間となる、弥生は確かにそういった。
「お前昨日言ったじゃねえか。二十五人超えると無視されて果ては認識されないって。そんな状況で話しかけて何の意味があるんだよ」
裕太の口調が少し荒くなる。昨日言い淀んでいたのはこういうことか……。
「まあ……ほぼ無意味、だね。でも一応やっておかないといけないんだよこれはさ」
「……情けないって思うかもしれねえけど……あんま言いたかねえけど……人に無視されたりすんのはお前が思ってる以上にキツいんだよ……」
この一か月苦しんできた記憶が鮮明に蘇る。
何度も何度も話しかけては無視するくせに教室の外だと何事もなかったかのように明るく話しかけて……そしてまた無視されて——弥生の提案はとても二つ返事でとてもじゃないが快諾できるようなものではない。
「うん。そう、だよね……でもこれをしておかないと先に進めないんだよ。この作戦はね、私以外にももしかしたらワタナベーションの効果を受けてない人がいるんじゃないか調べることが目的なんだ。」
「お前以外に苗字に執着してるやつがいるかもしれないってことか」
確かにそれは可能性はゼロではない。この一週間、弥生という救世主の存在を裕太は知らなかったわけだ。弥生は「ワタナベーション」にかかっているふりをしていたのだろう。
そんな奴がもう一人くらいいたって不思議じゃない。
「そういうことなんだ。辛いとは思うけど……お願い、できるかな? 」
「……わかった。まあやってみる」
「ありがとう。あと、教室の中じゃ私は田辺君に話し掛けたり極力はしないからそのつもりでいてね……じゃあ私が教室に入ってからね」
申し訳なさそうにしながら弥生は教室へと戻る。教室で話さないといったのは教室内で裕太に話し掛けてしまうとみんなから見えていない透明人間に話し掛けていることになってしまうからだろう。そんなことをすれば弥生のクラスでの居場所も危うくなる可能性もある。
気が進まないがやるしかないようだ。それに、教室にはどっちみち入らないといけない。
足取り重く歩を自分の教室へと進める。まだ八時も回ってないので他の教室の生徒はあまり見受けられない。
そしていつもの何倍も時間を掛けて教室の扉を勢いよく開き、
「みんなおはよう! 」
ありったけの思いを込めて放った裕太の第一声は確かにクラスメイト全員の耳に入るボリュームだったはずだ。
だが、リアクションは弥生の目くばせただ一つのみ。みんな教室のドアが開いたことには反応していたが裕太の挨拶に返事はただの一つもなかった。それにあてつけるように大声で昨日のテレビの話やら好きなアーティストの話やらを話すクラスメイト達。わかってる、悪気がないのは……。
怒りや悲しみといった感情を無理やり押し殺して持っていた荷物を置くと、裕太は作戦を続行する。
「やあ、みんな今日は早いね!
「昨日のテレビ面白かったよね! 」
「今日の時間割めっちゃ楽だよね! 」
「あれ、髪切ったの? すごい似合ってる! 」
裕太は数人ずつ固まって喋っているワタナベ達に片っ端から話しかけた。
表情は笑顔、声も大きく明るくさわやかに。無視されても次は、次こそはと信じて……信じて——
手が震える、声が震える、瞼が熱くなる、視界が霞む、体に力が入らない……。
一か月間の苦痛といじめられていた過去がごっちゃになって裕太に襲い掛かる。何故嫌なことはこうも鮮明に覚えているのだろう。
裕太は小学校の頃いじめを受けていた。原因は——まあ強いてあげるなら普通だったからだと思う。勉強も普通、運動も普通、友達は多くもなく少なくもない。
「なんでいじめるの? 」といじめっ子に聞いたことがあるが返ってきた言葉は「なんとなく」だったし恐らく誰でもよくて、たまたま裕太だっただけのことなのかもしれないと思っていた。
いじめられない人には共通点がある。「人に慕われること」だ。
裕太の友達だった隼人君も慎太郎くんも、運動と勉強はそこそこではあったが休み時間になると蜜に群がるカブトムシのように周りに人が集まっていた。裕太もその一人だ。
だから裕太も慕われればいじめられないと考えたわけだ。学級園の花に水をやったり、先生の手伝いを率先しておこなったり、勇気を出して泣いている女の子にハンカチを渡したり。確か女の子の名前は「まな」だった気がする
いいことをすれば慕われると思っていた。だがそれは結論からいうと逆効果で、背伸びして頑張った裕太に対する仕打ちは一層ひどくなっていった。
そしていじめられて三か月試行錯誤した結果、慕われるためのもう一つの答えに辿り着いた。それは成績を上げることだ。
今まで理不尽だと思っていた——どうしようもないと思っていたいじめは「なんとなく」ではなく必然的におこなわれていたのだ。
考えてみれば簡単なことだった。なんの努力もせず悲観的に生きてる裕太は淘汰されて当然の存在でしかなかった。
裕太は誰にもバレないよう毎日走り込み体育の授業前には授業内容の予習をしてできるまで練習した。学校の授業はその日のうちに復習して次の日の予習も欠かさなかった。
以前の裕太ならこんなこと三日坊主だっただろうがいじめられたくない一心で——みんなに慕われたい一心だった。これらが習慣化するのにそう時間は掛からなかったと思う。
やがて裕太の努力は功を奏しいじめはなくなりみんなから慕われるようになった。
これを期に性格も変えた。昔の自分を忘れるために口調も爽やかに気配りができて優しい自分を演じた。
そうして積み上げてきた今の自分が正直あまり好きではなかったがもう過去には戻りたくない思いでここまでやってきたというのに——。
立っているのもやっとな裕太は最後に弥生に視線を送る。もうダメだ、このクラスにはお前の他に名字に執着しているやつはいない。
本を読んでるふりをして裕太の状況を観察していた弥生は周りに不審がられないように控えめに頷いて「お疲れ様、ごめんね」というように励まし半分、申し訳なさ半分の顔を向ける。
その複雑な表情を確認してから教室を練り歩いた末、一番遠くなってしまった自分の席へと向かう。
道中、最後の力を振り絞りまた話し掛けたりしてみるがすべてスルー。何故かキラキラ輝いて見えるワタナベ達の目には裕太の姿は捉えていないようだ。
透明人間は姿は見えないが声はしっかりと認識されている。そう考えると今の裕太は透明人間と呼ぶには相応しくないのではないか。幽霊が一番近いところかもしれない。
つまり弥生はクラスで唯一霊感があって裕太のことが見える霊能力少女なのだ——なんてこんなアホらしいことでも考えていないと自分の席まで辿り着けなかったかもしれない。席に座るや否やめり込むほど机に顔をうずめる。
今も周りでは明日になったら忘れてしまいそうなくだらない話がたくさん聞こえてくる。
しかし そのくだらないこそが学校生活を彩る重要なスパイスとなっていくのだろう。くだらないことで笑いあえることが友情を育んでいくのだろう。
顔にあてがった腕はなぜか湿り気を帯びている。口からはしゃっくり? が漏れる。おかしいな、さっきまでなんともなかったのに……。
泣いてなどいない泣いてなんかない泣いてはいけない。これでは昔に逆戻りだ。
必死に心を落ち着かせようと努めるが意識するだけ思いとは裏腹に感情が溢れてしまう
その時、裕太の腕になにか当たった感触がした。湿地帯と化した顔をそっと上げるとピンク色のハンカチが落ちていた。
弥生が投げてくれたのだろうか。少しばかり目立つ行動ではあるが裕太の身を案じてくれたのだろう。 裕太は少し躊躇いながらもありがたくハンカチで目を拭く。ハンカチがまとったほのかな優しい匂いのお陰で少し気持ちが落ち着いてきたのを感じる。自分でも驚くほど流れていた涙を綺麗に拭き取るとこのまま返すのは悪いので「ありがとう」の意を伝えるべく弥生の方へ顔を向ける。幽霊と化した裕太からアクションを起こす分には誰からもなにも不審がられないだろう。
と思い弥生を見るとその瞳はクラスみんなとは裏腹に眩いほどの輝きはなく裕太を安心させた。
そして先ほどまで両手で開いていた本を閉じてにんまりと微笑みながらこっちを見ている。
しかしこちら側に確かに顔を向けている弥生とアイコンタクトを取ろうとするがうまくいかない。よくよく見てみると弥生は裕太の少し後ろの方に視線を送っているようだ。
手に持ったままのハンカチに視線を落とす。すると端の方にローマ字表記で「A」と「I」
の文字が見受けられる。「A」と「I」——「あい」……「愛」?
そういえばこのクラスには愛という名前の女子がいた気がする……って俺の後ろか!
ばっと後ろを振り向くと一人俯きちょこんと椅子に座る渡辺愛の姿があった。弥生が視線を送っていたのは愛だろう。つまりこのハンカチは——
「あの、ハンカチ……ありがとね」
恐る恐る無視される覚悟をなんとか整え愛に告げる
「………………うん」
この距離でも聞き取るのがやっとな声でうっすらと首を縦に一回だけ振るのだった。リアクションは薄いが間違いない、裕太のことを認識している。
「よし、ホームルームはじめるぞー」
空気の読めないところで入ってきた担任のせいで前を向かざるを得ず、仕方なく裕太は話を中断した。
だがいたのだ、弥生の他にももう一人クラス内での裕太の救世主たる存在が。
その瞳は前髪に隠れはっきりと見えはしないがワタナベーションの影響で裕太を認識できていないクラスメイト同様に煌々と光っている気がした——のは恐らく気のせいだろう……。
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