第一話 ルフトの帰還
随分と間があいてしまいましたが、第二部のスタートです。
よろしくお願いします。
マリア王女殿下を護送する艦隊へ攻撃を仕掛けるとルフトが報告して早二ヶ月と半ば、それまで定期的にあったルフトからの連絡は途絶えていた。
フリーデリヒ・フェラーの父親、つまりフェラー伯爵は幽霊艦隊の全滅、あるいはマリア王女殿下の死という最悪の可能性も考慮していたようだったが、その娘であるフリーデリヒはまったく違う心配をしていた。
つまり、まさかとは思うが、ルフトがマリア王女殿下をさらって逃げたのではないかという心配だ。
馬鹿げた妄想だと一笑に付すことがフリーデリヒにはどうしてもできなかった。ルフトのマリア王女殿下に対する盲目的な忠誠は、彼の恋心に依るものだとフリーデリヒはルフト本人より早く気付いていたし、ひょっとしたらマリア王女殿下もそれに応えるかもしれないと考えていた。
確かにマリア王女殿下から見ればルフトはかなりの年下だ。すでに成人した女性であるマリア王女殿下に対して、ルフトは成人も遠く、まだ声変わりすらしていない子どもでしか無い。しかしその少年の成長は著しい。かつてフリーデリヒよりも小柄だったその体躯は、再会した時点で同じ程度になっており、それからしばらく行動を共にしている間に抜かされた。
フリーデリヒは知らずの内に下唇を噛んでいた。
もちろんこの連絡の取れない二ヶ月半の間にその差はさらに広がっただろう。男女の違いだと言うこともできる。だが同年代の女性の中でも成長で取り残されたフリーデリヒにとっては、かつて自分より小柄だった少年に追いぬかれていくというのは大きな衝撃であった。
ならば似たような衝撃をマリア王女殿下を受けたかもしれない。フリーデリヒのように悪い意味ではなく、良い意味で、つまり好意的に、好意を持ってルフトの成長を受け入れたのではあるまいか?
そんな疑念がフリーデリヒの中に沸いて出て仕方ないのだ。
いやでもまさかマリア王女殿下がルフトなんぞと駆け落ちする理由がない。
フリーデリヒは頭をブンブンと振ってその妄想を頭のなかから振り払った。
今はそんなことよりも穏健派の貴族のその婦人や娘に宛てた手紙を書かなければならない。せっかくルフトと77に乗って彼らの間に顔つなぎができたのだ。この縁を無駄にすることなどあってはならない。
手紙の内容はおおよそ他愛のないものではあるが、そう言った繋がりを貴族は決して無為にはしない。貴族に限らないだろうが、関わりを持たない他人と関わりを持った他人なら、関わりを持った他人のほうが大事に感じるものだ。そう言った絆は貴族社会では馬鹿にならない力を持ったりする。そんなわけでフリーデリヒは新しくできた知己への手紙書きに追われているわけだ。
しばらくそうやって手紙書きに追われていたフリーデリヒだったが、不意に部屋の戸が叩かれて、その手を止めた。
「誰?」
「マリーナです。その、ルフト様が帰っていらっしゃいました。今、伯爵様の執務室にいらっしゃいます」
「そう、ありがとう。マリーナ。私も顔を出すわ。伝えておいてくれない?」
「承知いたしました」
ドアの向こうで侍女の気配が歩き去っていく。
どうやら妄想は妄想に過ぎなかったようだ。それからルフトと幽霊艦隊はうまくやったらしい。
フリーデリヒはもうしばらく手紙と向き合ってから、机の上で手元を照らしていた蝋燭をふっと吹き消して、席を立った。
フェラー伯爵の執務室では応接用の椅子に、フェラー伯爵とルフトが向かい合って座っていた。フリーデリヒが父親の隣に座ると、ルフトが口を開いた。
「一通りフェラー伯爵様には話しましたけど、フリーデリヒさんも聞きますか?」
会わなかった数ヶ月の間にルフトは変声していた。彼の肉体が大人にまた一歩近づいたということに、フリーデリヒはずるいと思った。
「――私は後で父から聞くからいいわ。だから話の続きをどうぞ」
父とルフトの様子からするに、マリア王女殿下の奪還には成功したに違いないし、これだけ時間が空いたことから、マリア王女殿下を帝国まで送っていたということも想像がつく。フリーデリヒが疑問に思ったのは、その間に一度も七塔都市に報告に来なかったことくらいだ。
「とは言えフリーデが来たことだし問題の要点を洗い直そう。マリア王女殿下の身柄は無事に帝国に引き渡され、ルーデンドルフ侯爵が企んでいた帝国との戦争の勃発は未然に防がれた。その代わり我々穏健派は御旗を失い、継承選挙の候補者から誰かを見繕わなければならなくなった。これがまず一点」
「それは穏健派の貴族の皆さんで相談して決めてください」
「もっともだね。重要な問題は以降もルーデンドルフ侯爵からの妨害工作が予想されることだ。それもルフト君と同等の力を持った相手によって」
「なんですって!?」
フリーデリヒは思わず声を上げた。
それから自分の所作が淑女にあるまじきものだったことに気づき、頬を赤らめて、浮き上がりかけていた腰を椅子に降ろした。
「失礼しました。しかしルフトと同等の力を持った相手、というのは?」
「幽霊艦隊が護送艦隊を攻撃した際、空賊の乗った77と活性化した遺物艦船による攻撃を受けたんです。なんとかそいつらは全滅させましたが、それで全部だとはとても思えません」
「なるほど」
それでルフトが帰ってこなかった理由に説明がついた。それだけの相手に狙われていたのならば、マリア王女殿下の傍から一時でも離れることは危険だっただろう。
フリーデリヒは無意識に少し伸びた金髪の巻き毛を指で絡めた。
「今回の失敗でルーデンドルフ侯爵はその手の人員を増強するだろうね。そうなるとこちらも戦力を増強する以外に無い。良くないことに我々穏健派はルフト君に頼りすぎた。ルーデンドルフ侯爵は我々も同様の力を持っていると気付いたに違いない」
「我々の、ではありません。ルフトの個人的な力です。彼はあくまで個人的な理由から私たちに協力してくれていたに過ぎません」
その線引は重要なことだとフリーデリヒは考えていた。ルフトが忠誠を誓っていたのはあくまでマリア王女殿下であって、王国や穏健派に対してではないことをフリーデリヒはよく知っていた。
その気になればルフトはどこにでもいける。その力に頼るのは間違いだと父にそう忠告したつもりであった。
「ありがとうございます。フリーデリヒさん。でも俺はマリア様から直々にこの問題を解決するよう命令されているんです」
「そうだったの?」
「ええ」
そういうことであればルフトは味方であると言っていい。彼のマリア王女殿下に対する忠誠心は本物であろうから、その命令を違えるようなことはないだろう。
それからフリーデリヒはルフトのマリア王女殿下に対する呼び方がマリア様に変わっていることに気がついた。確かに彼女は帝国に嫁いだ身であって、すでに王国の王女殿下ではない。
フリーデリヒはそのことに一抹の寂しさを感じながら、話の続きを促した。
「こちらの人員の増強ですが、難点がいくつかあります。俺と同じ力を得るということは、セリア防衛軍の一員になるということなのですが、そのためには基地の管理者による試験をパスしなければなりません」
「それは難しいのかい?」
「それほどでもないです。兵卒なら一般常識を問われる程度ですし、士官候補生でも自分がパスできる程度のものです。が、ただ当時の言語を学ぶ必要があります。それからもう一点、すでに魔法紋を持つ者はセリア防衛軍の士官になることができません」
「ふむ、それは問題だね。貴族の参加が難しくなる」
成人した貴族は大抵魔法紋を刻んでいるものだ。
それは財力の象徴であったり、戦争で役立てるためであったり、己の強さの証明のためであったりする。当人たちにとっては重要な要素なのであろうが、それが今は彼らを人員として数えるための障害になっていた。
「貴族を参加させるのが重要なのですか?」
と、何も知らないルフトが言う。
ルーデンドルフ侯爵に協力するセリア防衛軍に対抗するために、こちらもセリア防衛軍の部隊を立ち上げようと言うのだから、貴族の参加がどうしても不可欠なのはフリーデリヒには明らかだ。
「そうだよ。たとえば平民や奴隷だけに君と同等の力を与えたとしたら、誰が彼らの指揮を執る? 彼らが貴族や王国への反乱を企てたとして誰がそれを止められる? 君がかつて考えたように、君が持つ力はひとつの城を落とすのに十分に足りるはずだ」
「なるほど。おいそれとは人員を増やせそうにありませんね」
「少なくとも貴族の指揮官は必要だね。それも信用できて、有能で、魔法紋を持たない貴族だ。これを見つけるのは少々酷だな」
「――お父様、質はともかく数を集める方法はあります」
フリーデリヒにとっては自明の理だが、父やルフトは気づいていないのか、あえてその方法を排除しているのか、その方法を口にしない。ならば一応提案はしてみようとフリーデリヒは思った。
「魔法紋を刻んでいない貴族の子女ならたくさんいます。浮遊軍では士官候補生として乗り込ませるような子どもたちです。ひとつの部隊を小さく分け、それを士官候補生――とこの場では言いますが――彼らに指揮させるのではダメなのでしょうか?」
「そうだね。そうせざるを得ないだろう。だがそれにしたって成人した貴族のトップは必要だ。子どもだけの士官候補生に、成人した平民や奴隷たちが従うとも思えない」
「確かにそうです」
父の言葉にフリーデリヒは素直に頷いた。だがこれで信用できて、有能な、魔法紋を持たない成人した貴族は一人いればいいということになった。少しは前進ではないだろうか。
「それについてはボクの仕事だな。なんとか心当たりを当たってみよう。それでは次の問題だ。セリア防衛軍の最先任士官はルフト君ということになるね。階級は?」
「少佐です」
「どうしたって君が最高司令官の立ち位置になると考えて間違いないね?」
「他の基地を活性化させて、その司令官の位置に誰かをつけるという手はあると思います。基地司令の最低階級が少佐だということですので」
「それでも最先任は君だ」
「はい」
「その君が平民だというのはあまり良くないな。貴族が軽んじられているように思われてしまう」
ルフトが平民どころか奴隷一歩手前の浮浪者だったということは、フリーデリヒは口を閉じておいた。どうしたってトラブルの元だ。
「そこでボクは君を養子に迎えようと思うのだが、どうかな?」
「「えっ!?」」
ルフトとフリーデリヒの声が重なった。
第二部第二章までは毎日投稿する予定です。




