第七話 山間を進む者たち
太陽が中天に差し掛かろうと言う頃に、俺は山の稜線に辿り着いた。
振り返れば木々の合間にエルネ=デル=スニアが確認できる。
そして向かう西にはどこまでも続くように思われる山々が連なっている。
ここまでは以前にも来たことがある。
ひとつの山を登るまでに1日と半分。
その距離に心を押しつぶされそうになったものだ。
アインホルンで20日の行程を足で踏破しようとしている。
無謀にも程がある。
自分でもそう思う。
しかしやらなくてはならないのだ。
この一週間で山をひとつ完全に越えて、エルネ=デル=スニアに帰る。
それが上手く行けば今度こそ俺は旅立つつもりだ。
焦っているとは自分でも思うが、夏が来る前に発たなければならないと思う。
旅の行程を考えれば、それでも遅いくらいだ。
冬になる前に七塔都市に辿り着けるかどうか。
それが俺の命運を分けることになるだろう。
ヴァレーリヤさんや、ルフィナさん、ザハールさんに別れを告げなければならないことに一抹の寂しさを感じながら、それを振り払うように歩き出した。
山を降りるときには登るときよりも慎重に歩を進めなければならない。
ザハールさんから口酸っぱく教えられた。
その教えを忠実に守りながら進んだ3日目の夜。
俺は毎日そうしているように木の枝に体を投げ出すようにして眠っていた。
場所はもう山間の底にほど近い。
そこまで辿り着けば、一度エルネ=デル=スニアに戻る予定だ。
耳を澄ませながら眠っているので、安眠には程遠い。
森の夜は静寂とはとても言えない。
風が吹く度に木々が揺れて音を立てるし、夜行性の動物が鳴いたり駆けまわったりする音が聞こえる。
そんな中にふと聞いたことの無い音が混じって、俺はふっと目を覚ました。
遠くからだが、喧騒のようなものが聞こえる。
いや、まさか、こんな森の奥深くに人の集落があるわけがないし、聞いたこともない。
エルネ=デル=スニアは孤立した国ではないが、繋がっていると言える国があるのは東と南側で、西側は山脈がただ続くだけの秘境だ。
狩人たちだって立ち入るのはエルネ=デル=スニア側の斜面までで、山のこちら側までやってくることはない。
だとすれば考えられるのは魔物の集落が近くにある可能性だ。
しかし何故今の今まで聞こえなかったのか?
俺はそっと目を開けて周囲の様子を探る。
見えた。
見えてしまった。
ここからは距離があるが木々の間から篝火と思しき灯りが見える。
大丈夫だ。
自分に言い聞かせる。
篝火までは距離がある。
こちらは木の上に身を潜めている。
見つかる要素はなにもない。
俺は息を潜めてじっと篝火の様子を伺う。
そして妙なことに気付いた。
篝火は決して遅くないペースで移動しているのだ。
まっすぐこちらに向かっているわけではないが、近づいては来ている。
集落の灯りではない?
ゆらゆらと揺れる火の灯りはその数を増している。
最初は1つ2つだったのが、今は数十を数えようと言うほどだ。
それらの灯りは山の合間を北西の方角から南東へと移動している。
もうすぐ先頭の灯りが最接近点を通るだろう。
がやがやとした喧騒はもはやはっきりと耳に届いている。
しかしそれでもこの距離では何が移動しているのかまでは見えはしないだろう。
このままやり過ごすべきだと理性が主張するのに反して、俺は腰のロープを解き、音を立てないように注意しながら地面へと降り立った。
何がいるのか確認するだけだ。
木陰に身を潜めながら灯りの方に向けて歩を進める。
程なくしてその姿が遠目に確認できるようになった。
灯りを掲げて山間を進むのは無数のゴブリンたちだった。
10匹や、20匹という単位ではない。
ざっと目に映るだけで100匹はいるだろう。
それが列を組んで山間を行進している。
俺は目眩がしそうになるのを堪えて、篝火の数を数えようとして諦めた。
あの灯りすべての下にこれだけのゴブリンがいるのだとすればその数は数千にも及ぶだろう。
連中は何をしているのか?
単なる集落の大移動とは思えない。
ゴブリンは夜に町を襲うが、決して夜行性というわけではない。
ザハールさんの受け売りだが、ゴブリンはほとんど狩人に近い生活をしている。
昼間に集団で狩りや採集を行い、夜は集落で眠る。
人里を襲うときは夜だが、それは彼らが夜ならば人間も眠っていると知っているからだという。
そのゴブリンが夜に大行軍を行っている。
これはどういうことなんだ?
そもそもこれだけの規模のゴブリンが集団で行動するという話を聞いたことがない。
ゴブリンの集落は通常で10数匹から、多くても100匹弱程度までだと聞いた。
それ以上になると、集落は分裂し、追い出された方は別の集落を築くために集落を出て行くのだそうだ。
その性質上、ゴブリンが町を襲うために徒党を組んだとしても、せいぜい数十匹が関の山で、それならば外周街の自警団で十分追い払える。
その大前提が目の前で崩れ去っていた。
数千に及ぶゴブリンの集団、いや、これはもう軍団というべきだろう。
ゴブリンの軍団はがやがやと喧騒を撒き散らしながら、次々と俺の前を通り過ぎていく。
連中がどこを目指しているのか、俺はエルネ=デル=スニア周辺の地図を頭に思い浮かべる。
地図とは言っても実際に地図を見たわけではない。
人伝に聞いたり、自分で地形を見た印象のようなものだ。
連中がこの山間を南東に進み、そのまま南進するのであればエルネ=デル=スニアの南にある国に向かうことになるだろう。
しかしそれは距離がありすぎる。
この山を迂回して、そのままぐるりと北東に針路を変えればエルネ=デル=スニアはすぐそこだ。
考えたくはなかったが、このゴブリンの軍団はエルネ=デル=スニアを目指している。
そう考えるのが一番自然だ。
その現実を噛み砕くのに少しばかり時間がかかった。
エルネ=デル=スニアは頑丈な城壁に囲まれた巨大な都市国家だ。
数千匹のゴブリンに攻め滅ぼされるほど脆弱だとは思えないが、外周街は違う。
外周街は城壁の外側に築かれた貧困街に過ぎない。
自警団もかき集めれば数百人が集まるが、数百人は数百人でしかない。
ゴブリンの軍団に襲われて真っ先に蹂躙されるのは外周街になるだろう。
外周街がゴブリンに蹂躙される様は簡単に思い浮かべることができた。
それでようやく俺は自分がすべきことに気がついた。
一刻も早くこのことを外周街に伝えなければならない。
振り返り、その場を立ち去ろうとした時だった。
一匹のゴブリンと目が合った。
軍団の中に居たゴブリンとではない。
森の中、ほんの数メートルのところにゴブリンが近づいていたのだ。
軍団からはぐれたのか、逃げ出したのか、あるいは斥候か、そんなことはそのどれでもいい。
ゴブリンはその凶悪な口元歪めて笑った。ように見えた。
こちらが子どもで1人なことが分かったのだろう。
容易に討ち取れる相手だと思ったのだろう。
頼むからそう思っていてくれ。
ゴブリンはゆっくりとにじり寄ってきた。
その手には錆の浮いたナイフが握られている。
切れ味は良くなさそうだが、切れないことはなさそうだ。
俺もナイフを抜く。
背を向けて逃げる選択肢はない。
そんなことをすればこのゴブリンは仲間を呼ぶかもしれない。
もし戦いが長引いても仲間を呼ぶだろう。
俺を侮って1人で討ち取れると思っている内に、一撃で勝負を決める。
それしかない。
お互いの距離が2メートルを切った辺りでゴブリンは突然俺に躍りかかってきた。
ほとんど止まった状態からだったというのに、凄まじい跳躍力だ。
避けたいと反射的に思ったが、そんなことをすれば長引くだけだ。
振り下ろされたゴブリンのナイフを、俺のナイフで打ち払い、最小限の動きで手元に引き戻し、ゴブリンの喉元を狙う。
次の瞬間にゴブリンの体は俺の体にのしかかり、その重さも使って、俺はゴブリンの喉を切り裂いた。
吹き出した緑色の鮮血が俺の体に振りかかる。
断末魔の声を上げることもできず、しかしゴブリンは即死しなかった。
俺にのしかかったまま、その両手を暴れ回し、ナイフを俺に向けて滅茶苦茶に振り回す。
なんとかそれをナイフで受け流して、ゴブリンの体を突き飛ばす。
仰向けに倒れたゴブリンの右手を蹴りつけてナイフを弾き飛ばすと、今度は俺が馬乗りになってその胸をめった刺しにする。
ゴブリンが動かなくなったことを確認して、俺は少し考えた末にその耳を刈り取っていくことにした。
少なくともゴブリンと遭遇した証拠は持って行かなくてはならないだろう。
そして俺はエルネ=デル=スニアに戻るために夜の森に姿を消した。
第八話の投稿は6月28日18時となります。




