第八話 外周街への警告
俺は強行軍で山を進んだ。
幸い食料はある程度あったので、狩りは行わず、採集で得た野草を生で齧りながら、山の下りも駆け下りた。
そのかいもあってか、ゴブリンの軍団と鉢合わせしてから2日目の夜半にはエルネ=デル=スニアの近方にまで戻ってきていた。
ほとんど習慣的にヴァレーリヤさんの家に向かいそうになった足を、ザハールさんの家に向ける。
ザハールさんの家はヴァレーリヤさんの家からもほど近いあばら家だ。
閂の下ろされた家の戸を荒々しく叩くことしばし、聞き慣れた声で誰何があり、自分だと伝えるとすぐに家の戸は開いた。
「坊主、お前……。さっさと入れ」
俺の姿を見たザハールさんは一瞬絶句したものの、すぐに家の中に案内してくれる。
ザハールさんは手にしていた松明を壁に掛け、椅子に腰を下ろす。
「坊主も座れ、ひどい顔だぞ」
俺は言われるがままに椅子に腰掛け、ザハールさんにゴブリンの耳を差し出した。
「これは、ゴブリンの耳か。いや、お前の姿を見ればゴブリンとやらかしてきたことくらいは一目瞭然だが」
そう言われて自分の姿を見返すと、衣服は緑色の返り血で染まっていた。
多分顔にも返り血はついたままだろう。
顔を洗う間も惜しく山を駆けて来たからだ。
「ヴァレーリヤたちの家にそのまま帰らなくて正解だな。その姿を見たら2人とも卒倒しかねない」
「そういうことではないんです。ザハールさん。こんなことを話して信じてもらえるか分からないんですが」
それから俺は山の向こう側で見たことをザハールさんに話した。
ゴブリンの大軍団が山間を進んできていたことをだ。
ザハールさんは最初は半信半疑という様子だったが、俺が詳細を話すに連れて、その顔が険しく歪んでいった。
「良くないな。その話が事実だとして外周街の連中がどれくらい信じるか」
「自警団を集めることはできませんか?」
「それくらいならできる。幸い坊主がゴブリンの耳を持ち帰ってきたからな。だが大軍勢が攻めてくるという話となると別だ。本当に数千という数なんだな?」
「間違いない、と、思います。でもすべてを数えたわけではないので」
「それじゃ数百匹という可能性もあるな?」
俺は横に首を振った。
「ちらっと見えただけで数百は居ました。どんなに少なく見積もっても千は超えていると思います」
「しかしそんなに多くのゴブリンが一斉に行動を起こすなど聞いたことがない」
「でも事実なんです」
「坊主の主張は分かっている。だから明日にも自警団に話は通す。その上でゴブリンの捜索隊が組まれることになるだろう。その上で本当に数千のゴブリンが攻めてきているのだとしたら、外周街はおしまいだ」
「城壁の中に避難することはできませんか?」
「そうする以外に無いだろう。一時しのぎだが、命は助かる。だがそれも通行税を払える者だけだな」
「こんな時でも通行税を取られるんですか?」
「分からん。ゴブリンの脅威が目に見えて迫れば、通してくれるかも知れんが、なにせ前例が無いんだ。とにかく避難の準備をするよう呼びかけるつもりではいるが、おそらく自警団がはっきりした情報を掴むまで腰を上げる者はいないだろう」
「分かりました。よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ」
その夜はザハールさんの家で一夜を過ごすことになった。
さすがにこの格好でヴァレーリヤさんたちを驚かすことはない。
ただザハールさんの家には寝床がひとつしかないので、俺は床で寝ることになった。
まあこれまでの野宿に比べれば天国のようなものだ。
屋根があることに感謝しながら俺は眠りに落ちた。
翌朝、早朝のうちにザハールさんに起こされた俺は、人目の少ない内に井戸のところに行って体を洗ってしまうことにした。
ザハールさんは早速自警団を招集してくれるらしい。
衣服についた返り血はこびり付いてしまっていて洗っても落ちなかったが、すくなくともさっぱりすることはできた。
絞った衣服を身につけて、ヴァレーリヤさんの家に向かう。
その頃には日も登り、ヴァレーリヤさんの家からはいい匂いが立ち込めていた。
ぐぅと腹の虫が鳴く。
そういえば最後の1日は何も食べていなかった。
俺が家の戸を叩くと、顔を出したのはルフィナさんだった。
「ルフト! 何があったの!?」
俺の姿を見て抱きつこうとしたルフィナさんがその足を止めて、俺の姿をじろじろと見る。
「ちょっとゴブリンと遭遇してね」
「怪我、怪我はしてないの?」
そう心配そうに言いながらも、いつもの様にペタペタ触ってこないのは、やはり返り血がおどろおどろしいからだろう。
あと服が濡れているからというのもあるかもしれない。
「怪我はしてないよ。大丈夫」
「そっか、良かったぁ。お姉ちゃん、ルフトが帰ってきたよ!」
「まあ……」
炊事場から顔を出したヴァレーリヤさんも俺の姿を見て目を丸くする。
「とりあえず着替えてらっしゃい。それから朝ごはんを食べて、何があったのか話してくれる?」
「はい」
言われるがままに自分の部屋に戻り、衣服を着替え、2人分の朝食を3人で分けて食べてから、俺は何があったのかをヴァレーリヤさんたちに話した。
「やっぱり旅なんて危険だわ。ルフトさえ良ければいつまでもこの家に居ていいのよ」
「いえ、そんなことより今はこの家も危険なんです。ゴブリンたちが攻めてくれば外周街なんてあっという間に飲み込まれてしまうでしょうから」
「そう、なの?」
ヴァレーリヤさんたちの反応はどこか現実感に乏しい。
やはりゴブリンが大きな徒党を組んで攻め入ってくるとは信じがたいのだ。
「とにかくいつでも避難はできるようにしておいてください。そうだ。通行税を払えるだけのお金はあるんですか?」
「お金なら……あるわ」
「えっ、お姉ちゃんいつも家にはお金なんて無いって」
「あなたにはそう言っていたけれど、3人分の通行税なら払えないこともないわ」
俺はほっと胸をなでおろす。
少なくとも最悪の事態は避けられそうだ。
そして俺たちが避難計画について話し合っていると、ザハールさんが誰かを連れてやってきた。
「お前がルフトか。幼いな。本当に山の向こうまで行ってきたのか?」
それが自警団の団長であるアルトゥルの最初の一言だった。
第九話の投稿は6月29日18時となります。




