第十九話 下層世界
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一部表現を修正しました。
燃焼石の交換作業を終えてから2日後、俺たち士官候補生はダニエラ三等航海士から航海術の授業を受けていた。
エーテル海の航海は海図、天測、ブイの3つに支えられている。
基本的には海図で目的地までのルートを決め、経由するブイを確認し、天測で現在位置を補正しながら航海する。
その中で一番重要なのはやはり天測である。
何故なら浮遊船は常に風の影響を大きく受け、船首を向けている方向に正しくは進まないからだ。
そのために天測を繰り返し、ブイを見逃さないように航海することが重要だ。
ブイさえ見つければ現在位置ははっきりする。
もちろん先のブイのように他国によって大幕が掛け替えられていないかぎりは。
そんな講義を受けている最中、急に部屋の外が慌ただしくなった。
船乗りたちが甲板に駆け上がっていく足音が聞こえる。
「そろそろだったな。私たちも外に出てみよう」
ダニエラ三等航海士が言い、俺たちも甲板に上がることになった。
甲板ではここ数日降り続いている雪がさらに勢いを増していた。
その甲板で多くの船乗りたちが、船の右舷の縁から身を乗り出すようにして下の方を見ている。
俺たちも同じように右舷に張り付いて彼女らの視線の先を追った。
そこには雪に覆われた巨大な町があった。
シュタインシュタットと比べてどれほどの大きさだろうか。
町というものを始めて見下ろした俺にはその差が分からない。
だが相当に大きな町だ。
円形に広がった町の中央には石造りの巨大な建物があり、その周りは石造りの家屋と思しき建物が、さらに外周になると木造の建物が並んでいる。
どれくらい離れているのだろう。
200から300メートルくらいだろうか。
街路を行き交う人々の姿は見て取れるが、その顔までは到底判別できない。
ごくり、と喉が鳴った。
ただの町ではない。
これはエーテル海の底の町。
いわゆる下層世界の町だ。
船の周囲を見回してみたが、境界面の上にまで伸びた大地はない。
つまりは上層世界とは切り離された人外魔境だ。
あそこでアインホルン号を見上げている人のような影が人間であるという保障はどこにもない。
「あそこは一体……」
「エルネ=デル=スニア。彼らの言葉で雪の聖域という意味らしい。もちろん王国との国交はない。だが王女殿下の目的地のひとつではある」
俺の独り言に答えてくれたのはダニエラ三等航海士だ。
「目的地、ということは寄港するんですか?」
「寄港とは言い難いな。なにせ港が無い。あそこに見える山の頂に錨を降ろして停泊するだけだ」
「君の試練は引き続き続行だ。安心していい」
いつの間にか後ろに来ていたフィーナ様がそう言って俺はホッとする。
「しかしマリア王女殿下は下層世界にどんな用があるんですか?」
「交易だ。主に我々の世界の装飾品と彼らの世界の装飾品の交換を行う」
「それにどんな意味があるんでしょう?」
「下層世界の珍しい装飾品ともなると価値が高い。売りさばいてもいい儲けになるし、王女殿下の場合は貴族たちへの贈り物として重宝されているようだ」
そうだった。
マリア王女殿下は継承選挙を勝ち抜くために貴族たちの票をまとめなければならない。
そのために珍しい贈り物というのは喜ばれるのだろう。
それを仕入れるためにこんな辺境までやってきた、というわけだ。
そんなことを話している間にもアインホルン号は、エルネ=デル=スニアを見下ろす山の頂に到着し、錨を降ろした。
交易に使われる品が降ろされ始める一方で、艦長によってエルネ=デル=スニアに向かうメンバーが集められる。
士官からはイルメラ二等航海士とフリーデリヒ士官候補生が呼ばれた。
その他は船乗りから20名だ。
名前を呼ばれなかったことに落胆を感じると同時に当然だとも思えた。
士官候補生見習いである俺を他国との交易現場に出す理由などどこにもない。
「不服そうね。ルフト」
呼びかけられて振り返ると、驚いたことにマリア王女殿下がそこにいた。
いつものドレス姿ではなく、防寒着を着込んだ旅支度だ。
同じように旅支度を整えたウルスラさんも一緒にいる。
「不服ということはありません。当然の決定だと思います」
「そう? 私はもう1人ばかり侍従がついてきてくれればいいかなとも考えているのだけれども、ナタリエに頼もうかしら?」
「いえ、是非とも私にご一緒させてください!」
「よろしい。ではフィーナ、彼の剣を」
フィーナ様が腰にさげていた剣を一本鞘ごと引き抜いて俺に手渡す。
それは俺が練習用に使っている木剣と同じサイズの剣だった。
「これは?」
「人前に出るのに木剣では格好がつかないでしょう。作らせておいたのが役に立ったわね」
「ありがたく頂戴いたします」
俺は木剣と入れ替えに本物の剣を腰にさげる。
やはり本物の剣は重みが違う。
その感触を確かめるように、何度も触れているとマリア王女殿下から注意される。
「何があっても抜かないように。いいわね。絶対にその剣を抜かないこと」
「承知いたしました」
こうして俺はマリア王女殿下の侍従としてエルネ=デル=スニアに向けて旅立つことになるのだった。
第二十話の投稿は本日16時となります。




