第十八話 燃焼石
6/20
誤字修正しました。
ブイに大幕を掛けた翌日、天測を終えると艦長から今日は燃焼石の緊急交換訓練を行うとの通達があった。
燃焼石というのはエーテルに触れると発火する特性を持つ鉱石で、浮遊船のボイラーで燃料として使われているものだ。
燃焼石は消耗することはないものの、長らく発火させ続けていると表面に煤などがこびりついて燃焼効率が下がる。
だから寄港中などボイラーを落とした時に交換を行う。
ということをダニエラ三等航海士の授業で聞いて知っているが、具体的にそのものを見たことはない。
「緊急交換というのはどういうことなんでしょうか?」
俺は小声でフリーデリヒさんに尋ねた。
「例えば戦闘が想定される時なんかに、船が最大効率を出せるように航行中に交換を行う場合があるわ。その訓練を行うということね」
「危なくないんですか?」
木で作られた浮遊船にとって一番危険なのは火だと散々教えられた。
火種となるものを船が揺れる航行中に交換するというのは非常に危険な気がする。
「危ないわよ。だから訓練するんじゃない」
言われてみればもっともな話だった。
「と言ってもその訓練も普通は寄港中にするんだけどね。実際に航行中の船で交換訓練なんて艦長は何を考えているのかしら?」
「先日のブイのことでしょうか。艦長は近くに帝国の船がいると考えているのかもしれません」
「つまりは訓練というのは名目で、実際に艦の性能を取り戻しておきたいということ? そうね、考えられるわ。見張りの数も増やしているし、艦長としては最悪の事態に備えておきたいのかもね」
「実際に帝国の軍艦と出会ったらどうするんでしょうか?」
「その時は全速力で逃げるでしょうね。こんな辺境まで出てこれる帝国の軍艦なら巡洋艦以上、つまりアインホルン号では分が悪いわ」
アインホルン号は最新型とは言え艦種としてはフリゲートに該当するので、巡洋艦が相手では火力も速力も劣る。
艦長が船の速力を取り戻しておきたいというのも頷ける話だった。
それから燃焼石の緊急交換訓練に向けた役割分担が行われ、俺とフリーデリヒさんは使用済みの燃焼石を磨く役割を与えられた。
全体の作業工程としてはこうだ。
燃焼石は鉄を網の目にした無数の板の上に乗せられているので、これを燃焼室から一枚ずつ引っ張り出す。
発火している燃焼石はいきなり冷水に浸すと割れる可能性が高いので、あらかじめ用意したお湯の中に投入する。
そして水樽に詰められた磨かれた燃焼石を取り出して網の上に設置して、燃焼室に差し入れる。
これを何十回と繰り返して燃焼室のすべての燃焼石を交換するのだ。
そして交換を終えた煤まみれの燃焼石は燃焼室から運びだされ、甲板で磨かれる。
磨く作業を甲板でやるのは、燃焼石がエーテルに触れて発火する可能性を少しでも下げるためだそうだ。
そんなわけで俺とフリーデリヒさんは寒風吹きすさぶ甲板で、運びだされてきた燃焼石をお湯の中に浸けたまま布で磨く作業に当たる。
幸いなのは手を浸けているのが熱いお湯だということだ。
もしこれが冷水だったら過酷な作業になっただろう。
実際に見る燃焼石は黒ずんでいたが、煤を落としてやると真っ赤な色をした鉱物で、発火する危険性さえ無ければ宝石としても価値があるのではないかと思う。
燃焼石にこびりついた煤を落とすのは中々の力仕事で、額に汗が浮かんでくる。
黙々と作業していても気が滅入るので、フリーデリヒさんと三角関数の公式を暗唱しながら燃焼石を磨いていく。
最近分かったことだが、フリーデリヒさんは普通の会話を持ちかけてもそっけないが、仕事がらみのことだときちんと受け答えをしてくれる。
せっかく年齢も近いのだからもっと色々話をしたいと思うのだが、そこは中々上手くいかない。
まあ、嫌っているとはっきり言葉に出して言われているので贅沢は望まないようにしよう。
暗唱ついでに魔力の流れを感じて、お湯をさらに熱せないかも試している。
カップ一杯の水を熱することもできないのに、バケツにいっぱいの水を熱するなんて無理な話ではあるが、試しているだけならタダだ。
「ん? なにかやってる?」
「はい。魔法の訓練をやっています」
「ああ、それで、なにかもぞもぞすると思った」
「分かるんですか?」
「そりゃ私の個人領域に入っているもの。魔法紋も無しに魔法の訓練を始めるなんて変わっているわね」
「やっぱりそうですよね。マリア王女殿下はカップ一杯分の水を出せるようになれ、と」
「また無理難題を吹っかけられたわけね。そんなに色々抱え込んで大丈夫なわけ?」
「やれるだけやってみようと思っています」
「その訳の分からない前向きさは美徳と言えば美徳ね。フィーナ様との訓練はどうなっているの?」
「なんとか形になってきている感じです。まだまだ手加減してもらっているんですが、打ち合いにはなっています」
「あんたの凄いところはそうやって誰にでも教えを請えるところよね。私だったら気後れしてとても無理だわ」
「なんならフリーデリヒさんも一緒にいかがですか?」
「とんでもない! フィーナ様に剣を教えてもらうなんて畏れ多いわ。それにあんたは他人のことをどうこう考えている場合じゃないでしょう。自分が強くなることを考えなさい」
「そうですね。頑張ります」
それで手を動かしながらの会話は終わり、俺たちは再び三角関数の公式を唱え始める。
燃焼石の運びだされてくるペースは俺たちがそれを磨く作業よりずっと速く、燃焼石を入れたバケツが次々と甲板に並んでいく。
正午を告げる鐘が鳴らされる頃になると、燃焼石の交換作業を終えた船乗りたちが続々と甲板に上がってきて、燃焼石を磨く作業に加わってくれる。
そのおかげもあって、夕刻を迎える前には磨き作業はなんとか終わった。
磨き終わった燃焼石をバケツのまま船倉に運び、水樽の中に詰めていく。
その作業も滞り無く終わると、ようやく夕食の時間だ。
木の実と塩漬けの豚肉で腹を満たし、甲板に上がるとはらはらと雪が降り始めている中でフィーナ様が待ち受けていた。
「今日の訓練はどうする?」
正直なところ、一日がかりの作業でもうクタクタだ。
だがそんなことを言っていても仕方がない。
時間は限られているのだ。
有効に使わなければならない。
「もちろんよろしくお願いします」
俺は木剣を抜き、フィーナ様に対峙する。
フィーナ様も剣を抜いた。
まずは間合いだ。
フィーナ様の剣がぎりぎり届かない位置で、ステップを踏みながら前後に体を揺する。
やや深めに踏み込んだところでフィーナ様が剣を突き出してくる。
それを払いつつ前へ踏み込む。
何千回と繰り返した突きでフィーナ様の腕を狙うが、フィーナ様が腕を引くほうが速い。
俺の剣はフィーナ様に払われ、俺は素早く後退しつつ剣を引き戻す。
ほぼ同時にフィーナ様が踏み込んできて、俺の胴体を狙って剣を突く。
剣を引き戻す動きのまま、その剣を払い、突き返す。
しばらくそんな応酬が続き、フィーナ様が動きを止めないまま、言った。
「ペースを上げていくぞ」
「はいっ!」
なんとか返事をする余裕もできてきた。
こうして俺は強くなっている。少しずつでも強くなってきている。
第十九話の投稿は本日14時となります。




