第十六話 魔法
「ずるいわ!」
マリア王女殿下が俺を呼びつけてそんなことを言い出したのは、フィーナ様から剣を学び始めてから3日ほどが過ぎた頃だった。
「なんのことでしょうか?」
「ルフト、あなた、フィーナから剣を教えてもらっているそうじゃない」
ひょっとしてマリア王女殿下的にはルール破りだっただろうか。
そう思った俺の考えはすぐに否定された。
「皆あなたに何か教えてるのに、私だけ役割が無いわ。仲間外れにされた気分よ」
「そう仰られましても時間がありません」
今のところ船の仕事に、ヨハンナ三等航海士の授業、フリーデリヒさんの読み書きの授業に、フィーナ様の訓練で時間はもう余っていない。
これ以上何かの時間に時間を割かれるのであれば食事を取らないか、寝る時間を削るしかない。
今だってフリーデリヒさんの授業の時間を削る形でマリア王女殿下の元に馳せ参じているわけだ。
「駄目よ。私が呼んだら来なさい。それで解決よ」
「承知しました。そのように致します」
さすがはわがまま姫様ということか、一声で不定期の授業が決定してしまった。
「それでマリア王女殿下は何を教えてくださるのですか?」
「そうね、まだ誰も教えていないものがいいわ。そう、ルフト、あなたまだ魔法は誰からも学んでないわよね」
「はい。魔法紋を刻む機会も得られませんでしたので」
「魔法紋が無くとも魔法は学べるわ。ほとんど何もできないけれど、魔法紋を刻んだ時に役立つはずよ。これまで実際に魔法を見たことは?」
「剣に魔法を乗せて攻撃されたことがあります。なんとか躱せましたが、石畳が深く切りつけられていてゾッとしました」
「なんともスリリングなお話ね。ではもっと身近な魔法から始めましょうか」
そう言うとマリア王女殿下は紅茶の入ったカップをぐいと呷った。
そしてそのカップを目の前に掲げた。
「さあ、起き上がれ」
マリア王女殿下の右手の甲が淡く光を放ち、虚空に消え去ったかと思うと、カップの上に水の塊が生まれ、カップを満たした。
「とりあえずこれくらいができるのを目標にしましょう」
「とんでもない! 魔法紋が無いのに魔法が使えるわけがないでしょう」
魔法というのは基本的に誰にでも使える力だ。
だが前提条件として魔力を体に留めおくための魔法紋を体に刻んでおく必要がある。
魔法紋を刻めるのは刻印師と呼ばれる魔法使いにしかできず、その際には激痛が伴う。
その激痛に耐えられなければ、魔法紋はほんの少ししか刻まれず、それだけ使える魔法にも制限がかかる。
俺が魔法について知っているのはその程度のことだ。
「では魔法紋を使わずにもう一度やってみせましょう」
そう言ってマリア王女殿下はカップの水を呷ると、さきほどと同じようにカップを掲げ、無言でじっと精神を集中させているようだった。
するとさきほどとは比べるとかなりゆっくりと、だが確実にカップの上に水の塊が生まれていって、カップの中に落下する。
「さあ、私の言うことを信じる気になった?」
「はい。しかしどうやって……」
「魔法紋がなくとも、私たちは普段から魔力を収集しているわ。ただそれ以上に拡散しているだけのこと。その入口と出口をしっかり意識して魔法を使えば、収集している魔力を拡散する前に魔法へと変換することができるのよ」
「知りませんでした」
「学ぶ機会がなかったのだから仕方ないわ。普通の人は魔法紋を刻むことが魔法使いへの最初のステップだと考えているから仕方ないのかもしれない。その前にどれだけ準備していても、魔法紋を刻むのに失敗すればそこまでだもの」
「私も魔法紋を刻むのが上手くいくとは限りません」
「なら学ぶのを止める?」
「いいえ、ぜひとも教えて下さい」
「よろしい。ではまずは体を通り抜ける魔力の流れを掴むことから始めましょう」
俺はマリア王女殿下に言われるがまま椅子に腰掛け、全身の力を抜いた。
「魔力の入り口は呼吸よ。体の内側に意識を集中しながら息を吸って、止めて、止めているのに体から流れ出ていくのが魔力。もちろん息を吐き出す時にも魔力は流れだしていくわ」
吸って、止めて、吐いて……。
それを何度も繰り返す。
しばらくそれを続けているうちに、俺は息を吸った後に全身から抜け出していく何かの流れを掴んだような気がした。
「魔力とは全身から抜けていくものなのでしょうか?」
「そうよ。もう掴んだの?」
「なんとなくですが……」
感覚的なものなのでどうしても歯切れが悪くなる。
「なんとなくでいいのよ。それが最初の一歩だわ。よろしい。その感覚を探る訓練は普段からしておくように。続けるわ。このカップを取りなさい」
それはマリア王女殿下が魔法で水を満たしたカップだ。
マリア王女殿下が手にしていたそれを手にすることに少しばかり躊躇したが、テーブルの上からそれを取り上げる。
「ルフト、あなたは魔力の流れを掴んだ。次は魔力を魔法に変換しなければならない。火はイメージできるわね」
「はい」
「熱いお湯も」
「はい」
「ではそのカップの水をお湯に変えなさい。魔力が流れだす前に水の中に火を生み出すイメージよ」
「やってみます」
息を吸って、カップの中の水の中に火を生み出すイメージを作る。
何度も、何度も、何度も、何度も、しかし何度も繰り返してもカップの中の水はただの水のままだった。
「気落ちすることはないわ。それが普通だもの。ただ時間があるときにはこの訓練も続けなさい。お湯にできたら今度は冷水に冷やすことをやってみなさい」
「分かりました」
「では今日の授業はここまでよ。また気が向いたら呼ぶから、ちゃんと練習しておきなさい」
「はい。ありがとうございました」
こうして俺の魔法の訓練は始まった。
第十七話の投稿は本日10時となります。




