25 ペット、引きこもる決意を固める
要約すると、あたしは存外アウレリオさんに大切に育てられていたらしい。
「いやだから、育ててないんだよ。そこすでに誤解ね」
どら焼きサイズのマカロンもどきにかぶりついたところで、フロリードさんが顔の前で手を振っている。
「飼育飼育言ってるけど、大事な研究室にマイ専用のベッドや教材を持ち込んで、実験の手を止められても文句も言わず甲斐甲斐しく世話をしている時点で奉仕だから。上からじゃなく下から。主人じゃなく下僕ね」
「誰が下僕だ。それにこれは、私が没頭しているときに自分の都合で邪魔をするようなことは一度もしたことがないぞ」
二口目に取り掛かろうとした瞬間にそれを取り上げた意地悪白狼は、食べすぎだとたんまりお菓子の乗っていた皿を転送電子レンジへ戻してしまう。
「ちょっ!まだ食べるっ」
「だめだ。また夕食が食べられなくなる」
「大丈夫、食べられる!」
「一昨日も、その前も、同じことを言って私の皿に残った分を押し付けたのを忘れたか」
「ぐっ…」
冷たい無表情で断言されると、言い返すことはできない。
だって事実だからね。ここへ来てすぐのころ、与えられたお菓子を大喜びで食べすぎて、ごはん2食抜く羽目になったんだよ。それ以来アウレリオさんの監視が厳しくなってたんだけど、この間、斑毛様のお兄さんとお姉さんが差し入れでこっそりお菓子をくれて、…食べすぎちゃったんだ。
それで余ったおかずをアウレリオさんにおすそ分けしたんだけど、2度続けたら何か原因があるはずだって問い詰められて、バレて。
さらに管理が厳しくなりました。
でもでも、ちゃんと反省してるんだから、たまの贅沢くらい許してくれてもいいのに。
ぶーぶー見上げても、鉄壁のしかめっ面は崩れない。寧ろなお一層怒気があふれてくる始末だ。
はいはい、わかりました。我慢しますってば。
飼い主とペットだか、管理者と実験動物だか知らないけれど、あたしたちの間ではすっかり定番となったこのやりとり。フロリードさんとジャンノットさんにはどこかびっくりするところでもあったらしい。
ぽかんとした表情であたしたちを見比べた後、恐る恐るといった風にアウレリオさんに疑問をぶつけていたから。
「まさか、課長も一緒に食事をとられるのですか?」
「ああ。一人だとあれこれ問題を起こすからな、これが」
「起こしません~ちゃんと食べてます~」
「そうだな。あれこれこぼしたり、汚したりしながらな」
「だから!それはスプーンが悪いんだってばっ」
「まさか、その始末をこの偏屈男がしたりしないよ、ね?」
「してくれます。してくれるから、こうやって嫌味を言うの。あたしだって自分でできるのに」
「被害が広がるだけだ」
「広がらないっ!」
所々に二人の質問を挟みながら、がうがう言い合っていると、なぜだか突然フロリードさんに抱き寄せられた。それも力加減なしの、ほぼプロレス技で!
「ひどいじゃないアウレリオ。君はマイに研究対象以上の感情を向けないっていうから預けたのに、どうしてそんなに仲良くなっているんだよっ」
押し付けられた胸元から、聞いたこともない低い唸りが聞こえてくる。
というか、すっごく器用だよね。喋りながら唸るとか声帯の構造どうなってるんだろう?一度人体構造図をアウレリオさんに見せてもらわなくっちゃ。
「…思いの外、マイが賢かったせいだろう。狼の女たちのように生殖に重きを置かず、かといって私の外見や能力に恋愛感情を向けるでもない。学ぶことに意欲的で、同じ空間にいる人間を自然に思いやれる性質は我々一族の中では珍しく、好ましい」
いやいやいや、もしもし、ちょっと。
この場合アウレリオさんの正常な反応は、馬鹿を言うなと鼻で笑う、でしょう?何でまともな返答してるんですか。微妙に褒められてるようですけど、それってケモミミ人と日本人の違いってだけで偉くもなんともないですよ。和をもって貴しとする国民性なの。生殖に人生の全てを賭けてないの。寧ろフロリードさんの言うことなんて全否定しないとダメ。そして好ましいのは愛玩動物としてだからってちゃんと付け加えてくださいよ!
「へぇ、そう。でもさ、マイを飼い殺して実験体にしようとしてた奴がいうセリフじゃないよね。ケガさせても平気だったじゃない。今更分かり合ったフリで一番の理解者みたいな顔するの、いただけないなぁ」
いただけないのはフロリードさんの声ですよっ!なんか知りませんが怒ってますよね?地を這うようなって表現を実体験とか怖いんですけど!
「理解者であるというつもりもないし、無体を働いたことを許してもらおうとも思っていない。ただ、できる限りのことをしてやりたいと思わせるだけのものがマイにあるというだけだ」
「ご理解いただけたのは幸いですが、参戦されては困ります」
だからなんでジャンノットさんまで怒ってるの。唸るのやめてくださいって。唸り声の二重奏とか恐ろしい。何よりね、ほら。
「うーっ!うううっうっ!!」
呼吸ができないんだって!!興奮するたびに締め付けが強くなって、今では窒息一歩手前です。せめて胸板に顔押し付けるのやめてください、フロリードさん!!
「マイ?!」
「加減をしろっ」
世界がブラックアウトする寸前、存外焦った様子のアウレリオさんに救出されたあたしは、しばらくぶりに見た白い無機質な壁が変わらずそこにあることに思わず涙が流れそうになった。
よかった。天国じゃない。現世ですね、ここは。やっと視界を取り戻せたよ、うん。
「ゆっくり、大きく息を吸え。大丈夫か?」
「すーはー……はい、なんとか」
アウレリオさんの指示に従い背を撫でてもらいながら、正面にフロリードさんとジャンノットさんを見ているってことは、あの一瞬で無事解放されたらしい。ああ、よかった。
「痛いところはないか」
いつもの倍増し厳しい顔のアウレリオさんに問われ、全身を意識してみるけれど特に異常はない。
なにしろ脆弱なことに関しては実証済みの地球人。あの体勢だと後頭部の頭蓋骨なんかがやばいのだ。
前方の不安顔にも笑顔で大丈夫だと告げれば、一様に緊張を解いた彼らはせっかく治まっていた舌戦を再開した。
「それならマイ、返してよ」
「馬鹿を言うな。たった今これを殺しかけたくせに」
「ならば私にお渡しください。丁重に扱いますので」
「マイは物ではない。本人の意思なく渡すことなどできない」
「ふーん、それなら本人に聞くよ。マイ、一緒に帰ろう?ほら、あのお家へさ」
「オルガも呼びますよ?」
3対の目に反応を待たれるって、すっごくプレッシャーである。いや脅迫かな、この目力だと。
期待いっぱいも困るけど、行かないだろうなっていうのも困るんだよなぁ。
でも、何より困るのは。
「オルガさんは、今でも頻繁に会えるんですよね。一日に2度は顔出してくれるので。それよりもここの快適すぎる生活を捨てる勇気がないと言いますか、ビバ引きこもりと申しますか」
突き刺さるフロリードさんたちの視線は痛いが、人間は楽な方に逃げる生き物なのだ。
この部屋、快適でしょ?常に室温、湿度を一定に保っていて、食事は時間になればぱっと現れるし、勉強したければどこかからテキストが出てきて優秀な家庭教師が付きっ切り。お医者さんと同居しているから急な体調不良も安心とか、至れり尽くせり。
一度高熱出してひどい目にあった身としては、ここって素晴らしいと思っちゃうんだ。
以前は怖くてしょうがなかったアウレリオさんも、今はほとんど怖くないしね。うんうん。
そんなわけで。
「すみません。至れり尽くせりな研究室暮らしが、捨てられません」
ぺことりと頭を下げて、あたしは居住権を主張した。




