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ニート姉さんの外出(1)

「また味付け濃くしたの?」

 僕の作った素人料理に文句を付ける唯一の女性が、目の前でオムライスを食べていた。

「ええ。こっちの方が好みなんで」

「塩分のとりすぎは体に毒よ? あと化学調味料も」

 僕の姉さんはどんな料理でも文句言わずに食べてくれるが、この人はそうはいかない。何しろ僕以上に料理がうまい上に知識もある。どんなに腕によりをかけて作っても山ほどダメ出しされて終了する。普通の人なら料理にダメ出しするにしても「もっと薄めに」とか「トマトの味が強い」とかざっくりとしか言えないところを、この人の舌はものすごく細かいところまで成分分析して、料理スタイルまで突き止めてダメ出しするのだ。カレーなら「ジャガイモを入れる前に塩を入れたでしょ」とか、コンソメスープなら「始めに固形をぬるま湯に溶かしておけばもっと味が染みやすくなる」とか、どんな料理でも改善点を持ってくるのだ。まるで調理学校の先生である。

「いまは調理学校の生徒よ」

「そうでした」

 その人はオムライスを綺麗に食べ、食後の紅茶をすすった。

「いい天気ね。映画にでも行かない?」

「遠慮しておきます」

「つれないわね。断わるにしてももうちょっと考えなさいよ。女の子にモテない人生になるわ」

「そうですね」

 何も言い返せずに僕は頭をかいた。僕は小さい頃から姉さんという存在があったがために、女性に対しては一歩引いて接するようになってしまった。それは同年代であってもついつい敬語になってしまうほどの重症っぷりで、当然ながら今まで女性と交際したことなど一度も無かった。

「あなたこのまま独身でいるつもり?もう24でしょ?」

 まるで親戚のおせっかいなおばさんのような口ぶりだが、実際は見目麗しい若い女性である。

「そうなんですが、うちには既に扶養家族がおりますので」

「お金がかかるペットでしょ」

 この人の性格は実にサバサバしていて、物事の要点を捉える聡明な点を持っている。やや言葉が鋭いところがあるが、裏表がなくて男女ともに敵に回さないタイプだ。例えるならしつけに厳しいお母さんといった風情がある。

「あなたは佐絵を甘やかしているようだけど、甘やかせば甘やかすほどつけあがるのよ。ほどほどにしなさい」

 僕が苦笑いすると、その人も苦笑いしながら続けた。

「…と言っても、あなたの立場では強く出られないことくらい分かっているわよ」

「その通りで」

「それにしてもあの子、いったいいつまで寝ているつもりかしら」

 時刻はもう10時を回っている。ダメ人間にとっては深夜も同然なので姉さんが自然に起きてくるとは考えにくい。僕が週末に掃除に来るときはたいてい昼ぐらいに掃除機の騒音で目が覚める。しかし今日は朝からこの人がいる。この人がうちに来たときはいつも「いつまで寝ているつもり?」と言って昼を待たずに姉さんをたたき起こすのだ。

「起こしてくる」

 そう言ってその人は2DKのうちの片方の部屋に消えていった。しばらくしてどたんばたんと音がして、その人と姉さんがダイニングに現れた。姉さんは悪さした猫のように首筋をつかまれ、両手には毛布を抱えてその先をずるずると引きずっていた。

「連行してきた。朝ご飯を食べなさい」

 そう言ってその人はかけているメガネをくいっと手で持ち上げた。そしてメガネをかけていないはずの姉さんもそれを真似してくいっと手を動かして、姉さんはこつりと頭を叩かれていた。

 僕は冷めてしまったオムライスの作り置きを電子レンジに入れた。姉さんの大あくびが遠くから聞こえる。

 温かいオムライスを食卓に用意したが、姉さんは軽く泣くようにぼやいていた。

「ふええ-、多恵子がいじめるよう」

「夜更かししているのが悪いんでしょう。酒飲んで食って寝て酒飲んで、いつまでもそんな生活ができると思ってるの?」

「だって世間のアイドルがみんな可愛すぎるから」

「またアイドルのビデオをYouTubeで見てたのね。しょうがない子ね。今度は男に生まれて来なさい」

 やれやれといった顔で説教しているこの多恵子という人は姉さんの高校時代の同級生だ。姉さんと最も仲が良く、多恵子さんの世話好きな性格もあって、こうして卒業してからもことあるごとに世話を焼きに来る。まるで姉さんの保護者ともいうべき存在だ。そして姉さんと、姉さんの召使いである僕はことあるごとにニート生活について説教されている。

「あなたはアイドルにご執心で満足かも知れないけど、勝彦くんはこの年になって彼女も作れずにあなたの面倒を見ているのよ。まるでお婆さんの介護よ」

「私はもう引退したお婆さんなのよ」

「年金がもらえるだけお婆さんの方がマシだわ。それにお婆さんは山ほど酒を飲んだりはしないし」

 多恵子さんはいつも言い返せないようなことをぴしゃりと言ってのける。多恵子さんの唯一の欠点は、その会話を続けさせないほどに言葉のパワーが強すぎることにある。

 姉さんは多恵子さんとまともに会話をする気はないようで、もしゃもしゃとオムライスを食べていた。

「だいたい沙絵は普段どういうもの食べてるのよ」

「サラミとかベビーチーズとか」

「おっさんじゃない。おっさんの食べ物じゃない」

 思いの外驚いたらしい多恵子さんはおっさんを連呼する。

「お婆さんを否定したと思ったらおっさん呼ばわりかよ。酒に合ってコンビニに売っているものならだいたい食べてるよ」

 多恵子さんは呆れたように項垂れた。

「勝彦君、沙絵は普段何食べてんの?」

「えっと、主にカップ麺とかコンビニ弁当とかですかね」

 普段の姉さんの食生活はカップ麺、コンビニ弁当、酒のつまみに支えられている。時間を掛けたくない時は買い置きのカップ麺を食べ、弁当の仕入れ直後のコンビニでは弁当を買う、そしてゆっくり酒を飲むときはつまみだけで済ませる。絵に描いたように不健康な生活で、ビタミンなどはどうやって摂っているのかよく分からない。だから週末に僕が姉さんの部屋でご飯を作るときは野菜を多めにして、一週間では何とか辻褄が合うようにとわずかながら配慮をしている。食生活については僕からことあるごとに注意するように言っているのだが、怠惰生活にどっぷりの姉さんがそう簡単に聞いてくれるわけがない。

「ありえないわ」

 多恵子さんのあきれ顔に、さらにあきれ成分が上書きされた。

「だいたいね、三食コンビニで済ませるとかありえない。普段からご飯炊いて材料から作ったものを食べる気はないの?」

「まあ、僕が来るときはだいたいそういうものを作ってますけど」

「そうね。その点は素晴らしいと思うわ。でもやっぱり一日三食、一週間それを食べるべきだと思うのよ。勝彦君はたしかスーパーで働いているのよね」

「ええ。主に総菜売場で働いてますけど」

「勝彦君はそこで売っているものを一日三食食べたいと思うの?」

「うーん…ちょっと勘弁ですね。味付けは濃いめにしてあるし、原材料も傷みかけのものを使うことがありますし、化学調味料とかわりと使いますし…」

「でしょう? じゃあコンビニ弁当は?」

「論外、ですね」

 スーパーでは総菜を作ったり、食品業者から総菜を仕入れたりしている。その中でコンビニにも納入している業者からいろいろと話をきくけれど、コンビニはまともな食べ物を売る気はあまりないらしい。

「ほら聞いた? 沙絵、せめて自分でまともな食事くらい作りなさいよ」

 無言でオムライスを食べている姉さんは自分には関係のないことのように会話に参加していなかったが、多恵子さんが話を振った。

「だってえ、スーパーは人が多いし、遠いからメンドイ」

「それはあなたがノーメイク普段着でコンビニに行くことに慣れてしまっているからでしょう。コンビニにしか出かけられない引きこもり生活をこれからも続けていくつもり? 不健康で割高のご飯なんてやめてしまいなさい」

 姉さんは不満そうな顔をしながら聞いている。

「それ食べ終わったら、二人でスーパーに昼ご飯を買いに行くこと。いいわね」

 どういうわけか僕も巻き込まれ、多恵子さんから姉さんにミッションが課されることとなった。どうやら多恵子さんは僕よりも本気で姉さんを社会復帰させることを考えているようで、たまにやって来てはこうして生活状況を確認して、外に出るように勧めている。これまではせいぜい説教だけで済んでいたのだけど、どうやら渋り続けている姉さんにしびれを切らしてしまったらしい。

「スーパーに着ていく服がない…」

 姉さんはぼやいていた。

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