自分が納得することが大事
「まあ、そんな「喋るどうぶつ」も、「白神女最強伝説」から取ってると思ってますが」
道聴塗説、街談巷説、御伽噺の権威者であり御伽噺そのものである、全を見て善を聞き前に立つ森ガールのステラ・ロサちゃんとして、わたしは「古代魔術」の専門教育を受けてはいるが「ドルイドの呪術」の修了者とは言い難い。
つまり、この世界すべての魔術師とドルイドの師匠と言われるご先祖様である「白神女」の弟子だと自称するには難しいわたしが「まあ全部白神女が原因じゃん」とかを言うのは、系統の業界の方々が考えるには非常に喜ばしくない生意気な見解かもしれないけれど、(わたしの記憶の中の「古代魔術」の師匠は、茶髪の賢者で、神獣はおろか、なんかよくわからない干しかぶみたいな色の奇怪生物をペットとして連れていたのだ。より「賢者の国」が魔境と想える)
これは逆に、逆の逆の逆に、弟子本人ではないからこそ、言える言葉かも知れない。
「その「白神女」は本当にこの世界にいたのか?」
ブイオさまが疑問符を起こす。
「確かに別世界から来た、別世界そのものの狼さまには「なんやあいつ」みたいになるかも知れないですね。1473年もなって伝説の存在を信じるとか、このような、国の「大事」であっちもどっちも面倒くさい社会で、思想と歴史が頭いい人に集中できる力を与える現代に至って、理系の世界で、なんでそんなよくわからない頭白い人の話が続いているかを言うと、簡単です。本当に普通にいるからです。」
白神女はいつも共にするデカい白い牛がいて、それに乗れず、ただ一緒に歩いて旅をするのだ。目撃情報が多すぎる。彼女は「大事」を避けて、関わらないから、敵もいない。それを微妙に「そこをなんとか」、と、利用しようとする集団はもちろんいっぱいいたと思うけど、本当に白神女はどこの国も集団も、ご先祖様みたいなもので、どんな国の伝承にも彼女の記録が多すぎて、まあ、ずっといる人。「みんなの親戚のおばあちゃん」みたいなものなのだ。それが拮抗状態を維持している。
「避けるか。なるほど、おまえが「どうでもいい、になればいい」とかよくわからない計画を喋っていたのはそれの真似事か」
種明かしの時である。
「そうですね。わたしは物語の専門家として傲慢を張るには知識が少なく、偏見を持つには経験が足りない。真似事は、あたらしい御伽噺の基本なんです」
「いや、でもそれで「御伽噺になる」は、それ本当に非凡の「物語性の捏造」罪だぞ。大変なんだぞ」
ブイオ様はまた良く解らない型物理性の話をする。
「まあ型物理性は知ってるでしょう」
適当に合わせた。
「それが本当に正しい態度だというのが、むかつくところだ…」
ちなみにこのくだり自体はもう何回目だ。
「でも、わたしが「森の姫様」になるには道が遠い」
やはり自分はちからが足りなくて、名声もなく、お金もない。そして物語としてだ。「森の姫様」としてのあれが足りないと思った。あれね。「決め手」。定番の優れた能力が薄いのだ。ただ杖を振って悪魔をボコボコにする、それは結局じぶんの父の生き方を見て学んだこと。他は、まあ、夜に頭が光りますが。神秘さが足りない。
「桜のドルイドの術、花びら突風!」
自分の杖の球に「木」のエーテルを集中して、振ってみた。
「白い花びら」の球みたいなものを飛ばして、樹木に当たった。
確かに指で操作した時より遥かに遠く、勢いよく届く。
「それがおまえの決め手というやつか」
「まあ片づけしないとだめですが。」
地に落ちた花びらに、杖を当てて回収した。
これらはじぶんの器そのものを削るか、食ったパンの気力を魔力に変換して作り出したものなのだ。拾わないといけない。放つのは瞬間だけど、整理するのは地味なのだ。
自分のエーテルの補給の話になるな。それだが、やはり「良く食べて寝る」のが正解だと思った。まあ、自分の家系の考えにも合うし、「兵士の国」の方法とも合う。一番だ。
一回考えてみた邪道の方法もありはする。「花びら」を使って、花びら「で」樹木を齧り、木のエーテルの養分にする事だ。これは確かに木みたいで、きのこみたいでもある、自然の、自然そのものの方法という感覚は少しある。呪術の概念と原理としては、理系の技術としてはぜんぜん問題ない方法だ。でも、自分が納得が行かない。エーテル理学を扱うものとしての倫理と態度が、ちょっと不謹慎な気分がした。




