表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/36

支配者


 昔、あるところに娼婦がいた。

 娼婦には息子がいた。


 息子に名前はなかった。


 娼婦は息子の目を見る度に言う。


「その目の色、なんて色なの」

「そんな気味の悪い目の色をした客に抱かれたことはない」

「見た目が似ている男に責任を取らせるつもりだったのに」


「お前は悪魔の子だ」


 殴られる、蹴られる、物を投げられるのはいつものことだった。


「お前なんかいらない」


 いつしか娼婦は帰って来なくなり、住んでいたあばら家も追い出され、路上で寝泊まりするようになった。

 生ゴミをあさり、物乞いをし、盗みにまで及ぶこともあった。



 その日はひどく寒い、雪の降る夜だった。

 少年はもはや生きる気力を失っていた。


 空腹と、降りしきる雪で身体は冷え切り、起き上がることすらできない。

 薄れゆく意識の中で、少年は『母親だった女』から気味が悪い、と言われたあの両目でじっと、目の前の光景を見つめていた。


 それは道ゆく人たちだった。

 その中でもとくに、手を繋いで歩く家族たちや、雪にはしゃいで駆け回る子供と、それを優しい目で見つめる父親と母親を。


 少年はわからなかった。

 あの子供たちはなぜあんなに楽しそうに笑っているのか。

 なぜ大人たちは子供たちを大切そうにしているのか。


 少年の前に、一人の男が立ち止まる。

 あご髭をたくわえた、中年の、僧服を着た大男。


 男はしゃがみ込み、少年の肩を抱え起す。


「その目の色……」


 少年はわけもわからず男を見つめ返す。


「黄昏時の、そう、昼を飲み込む夜の色だ」


「気に入った……

 私のところに来い、今よりずっと良い暮らしをさせてやる」


 それが少年とライ・カーンとの出会いだった。



「『ジルカント』、それがお前の名前だ。

 ジル、とでも名乗るといい」


「私の手となり足となり、影となれ」


 名前をもらえたことはうれしかった。

 男のおかげで、寒さに震えることも、飢えに苦しむこともなくなり、寝る場所にも困らなくなった。


 少年はこの男に感謝し、一生ついていくことにした。


 だが少年__ジルは後に知る。

 その名の意味を。

 

 今は滅びた古い文明の言葉で『蝕むもの(ジルカント)

 これは彼が最初にかけられた呪いだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 イリーナがジルに「これからは私がいっぱいおいしいものを作ってあげます!」と宣言してから早くも2ヶ月が経つ。

 宣言通り、イリーナはジルに毎週、お菓子や手料理を振る舞っている。


 クッキー、スコーン、シフォンケーキ、パウンドケーキ、フィナンシェ、アップルパイ、プリン……果てはシチューやカレーなど、この世界に存在しない食べ物もその中には混ざっていたが、評判は上々だった。


 彼女が皇女でなければ、高価な砂糖をふんだんに使ったお菓子作りを趣味になどできない。


 だが『高価な砂糖』と言っても、以前のイリーナが好んでいた宝飾品やドレスの数々と比べたら安いものである。

 しかもその『高価な砂糖』をふんだんに使ったお菓子を、彼女はジルや警備兵たちに惜しげも無く分け与えている。


 今の彼女を『幽閉中だというのに、皇女という立場を利用して贅沢三昧をしている極悪皇女』と噂する者はほぼいない。

 むしろ『職務中に美味しいお菓子や食事が食えてラッキー』程度に思っている者がほとんどであろう。

 

 イリーナもまた、この2ヶ月で感じている大きな変化に気分を良くしていた。

 それは自分への評判の変化ではなく、ジルの味覚開発の進行状況にだった。


 初めてカップケーキを食べたジルは「甘い」という言葉しか出てこなかった。


 それが今では少しずつ「柔らかい」、「しっとりしてる」、「サクサクしている」など感想のレパートリーを増やし、さらに食の好みまで現れ始めている。


 ジルはパウンドケーキよりはシフォンケーキ、スコーンよりはマフィン、アップルパイとタルト・タタンならタルト・タタンのほうが食いつきが良い。


 要は柔らかくてしっとりしたものが好きで、試しに焼きプリンを二つ用意したら二つとも綺麗に完食した。

 (ちなみにスコーンはたくさん用意しても一つしか食べなかった)

 

 もし甘いものが受け付けない人間だったら、という懸念もあったがそのような心配はなかった。


 イリーナは初めてジルを見た時、その雰囲気から一瞬だけ怖い、と感じていた。

 だが、すぐにそれは払拭された。


 怖がっているのはジルだと気付いたのだ。


 怖がっている理由はイリーナ自身にあったのか、それとも他に事情があるのか……

 それが彼のことをもっと知りたいと思ったきっかけだった。


 出されたお菓子を律儀に全て食べて、少ない語彙から感想を述べるジルはたまらなくかわいい。


(まるで小さい子供が成長していくのを見てるみたい……)



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 誰かが自分のために食事を作ってくれる、というのも初めての経験だった。

 むず痒い気持ちもあったが、それを楽しみにしている自分がいるのも事実だった。


 今、自分がよく知っている彼女は『権力を得るために、血を分けた弟すら殺そうとした極悪皇女』という肩書きも、自分を侮蔑の目で睨みつけ暴れていた女とも結びつかない。


 ただ困っているのは、それをどうライ・カーン(せんせい)に報告をするか。

 2ヶ月経った今も、イリーナが毎週メイドと一緒に料理作りに励み、自分にそれを振舞ってくれているとは言えないでいる。


 ジルは思案を巡らせながらライ・カーンの元へ向かう。


 今日は寺院ではなく、宮殿の一室だった。

 それは皇太子ルイの摂政である、大魔道士ライ・カーンのために用意された部屋だった。


 ライ・カーンは長椅子に腰掛け、サイドテーブルには新鮮な果物の盛り合わせが置かれている。


「……皇女の様子に変化はございません、こちらに対して友好的でした」

「報告はそれだけか?」


 間髪を入れずにライ・カーンが声を上げる。

 空気が()()()()()()()のを、ジルはすぐに感じ取った。

 

「塔の警備兵から聞いたぞ」

「警備兵の話では、あの女は、お前のために台所に立って、せっせと食事を作っているそうではないか」


 ライ・カーンが警備兵からの報告を受けているとは、想定外だった。

 いつだったか、「奴らの報告はあてにならない」と警備隊長を一蹴していたはずなのに。


「あのわがままで派手好きの皇女とは思えない変化だと、言っていたぞ」

「何故報告をしなかった」


 ライ・カーンは上体を起こす。

 ジルに緊張が走る。


 ライ・カーンは果物の盛り合わせの中から、一粒の葡萄を手に取り、差し出す。


「手を使わずに、食べるんだ」

「……」


 ジルはライ・カーンの手から直接それを口に含み、咀嚼し、飲み込んだ。


「どうだ? それは()()()()か?」 


 まるで砂を噛んでいるようだった。

 葡萄の水々しさも、甘さも、何も感じられない。


 イリーナが振舞ってくれたお菓子の味を思い浮かべる。

 同時にイリーナの優しい笑顔も思い出されて、わずかに緊張がほぐれた。


「施しを、ありがとうございます。先生」


 ライ・カーンはそれを聞くや否やジルの首元を掴み、引き寄せた。


「!?」


 突然の出来事に、ジルは驚きを隠すことができず、硬直する。

 気道も絞められ、声もあげられない。


「お前は私の優秀な部下だ」

「まさかあの皇女を魅了するとは」


 師の言葉は、予想外のものだった。


「あの女はお前に夢中だ」


 ライ・カーンはジルの耳元で囁く。


「あの女はお前を支配しようとしている、愛という名の支配を」

「だが騙されるな、愛などというものは存在しない……」

「お前が皇女を支配するんだ」


 それだけ言うと、ライ・カーンはジルを突き飛ばした。

 彼が宮殿にいるときは『仕事(処刑のリスト)』を渡されることはない。


 早くこの場を離れよう。

 立ち上がり、部屋を出ていこうとするジルを、勢い良く開いたドアが阻む。


「ライ・カーン様!」


 それは宮殿で働く皇帝の臣下の一人だった。

 ライ・カーンが「ノックもせず無礼だぞ」と言う間も無く、彼は報告をする。



「皇帝が……アリフレート皇帝陛下が、崩御なされました……!」



 皇帝の死。


 国家の一大事であり、ドアのノックどころではないだろう。

 臣下の顔は青ざめ、ひどい汗をかいている。


「ついにか……」

 ライ・カーンは落ち着き払った様子で、立ち上がる。


「すぐに葬儀の準備に取り掛からなければ……ルイ皇太子は」

「葬礼の件ですが、」


 臣下がライ・カーンの言葉を遮る。

 ひどくうろたえている様子ではあるが、目は真剣で、職務を全うせんと気を張っている。


「皇帝陛下は、亡くなる寸前に意識を取り戻し、勅令を残されております」

「なにっ!?」


 ライ・カーンは取り乱した様子で、臣下に掴みかかる。


「なぜ私に報告をしなかった!?」

「申し訳ございません……急なことだったため……」


「ですが、ルイ皇太子は皇帝陛下の勅令を聞いておられます」


「その内容はなんだ?」


「皇帝陛下は「幽閉をされている皇女殿下にも葬儀に参列させるように」というご指示を……」


「そんなことか……それは許されん、」

 ライ・カーンは落ち着きを取り戻す。


「ルイ皇太子が正式に即位するまでは、アリフレート皇帝陛下の命令は絶対でございます。

 これは建国時からの法で定められていることです。


 アリフレート皇帝の葬礼の後に、ルイ皇太子の正式な皇帝即位……この順番ばかりは覆せない以上、従うしかございません」


「この勅令を、ルイ皇太子も同意されております」



「イリーナ皇女殿下を宮殿へ……!」



 臣下は毅然とした態度で言い切る。



 悪い予感がする。

 横で聞いていたジルは奇妙な胸騒ぎを感じ、音もなくその場を離れた。


読了ありがとうございました。

よろしければブックマーク・いいね、☆☆☆☆☆から評価いただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 最近始めたゲームのせいかイメージサンソンw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ