塔の上で
簡単なお菓子を作った。
卵と牛乳と砂糖があれば誰でも作れるような、シンプルなものだった。
ベッドに座り込むジルの隣に置く。
反応はない。
自分が勝手に作ったものだ、食べてくれなかったらそれはそれでいい。
でもちゃんと食事を食べていないのは困る。
医者にお願いをして栄養剤を無理やり投与してもらうしかないか。
だが彼は望まぬ延命は嫌がるだろう。
あの時、道端に倒れていた彼を助けた自分の選択は誤りだったのだろうか。
(考えすぎちゃダメだ、)
イリーナは気分転換も兼ね、キッチンの片付けのために部屋を出ようとする。
だが、背後からの物音と声で、歩みを止める。
「おいしい……」
「え……」
それは彼からずっと引き出そうとしていた言葉だった。
予期せぬ言葉に、イリーナは振り返る。
まさかここで聞けるとは思わなかった。
一口だけ食べられた形跡のあるお菓子。
ジルはスプーンを落とし、顔を抑える。
目からは大粒の涙が流れている、だがすぐに顔を上げ、懇願するようにイリーナを見つめる。
「お願いだ、イリーナ……行かないでくれ……」
「俺を1人にしないでくれ……」
ジルがイリーナの前に跪く。
その様子は母親に縋り付く子供のようだった。
ダムが決壊したかのように、ジルは話し始める。
「あの時……自分の死を感じた時……やっと楽になれると思った」
「あの少年の大切な人を殺した……あの少年だけではない……
今まで何百人もの人間を殺し、それ以上の人間たちから大切な人を奪った……」
イリーナもしゃがみ込み、彼の肩に触れる。
ジルはその手を強く握りしめる。
「それを直視するのが恐ろしい……
眠れば夢に出てくる、どうしてお前が生きているんだと、」
「覚悟していたはずなのに」
それは後悔だった。
ライ・カーンに逆らわずに生きていれば、こんな思いをすることはなかったはずだ。
ジルの涙は止まらない。
「生きる理由も、価値もない……」
その言葉を聞いたイリーナは、堪えきれなかった。
パンッ、
堪えきれず、ジルに平手打ちをした。
「ジル、聞いて」
ジルは叩かれた頬をおさえ、目を丸くしている。
「あなたが死んだら、あなたは私からも大切な人を奪うことになる」
イリーナは厳しい眼差しでジルを見つめている。
「これ以上罪を重ねるつもりなら、私はあなたを許さない」
叩いた頬を優しく撫でる。
「私以外の人間たちがあなたを許さなくても、神様でさえも許さなかったとしても」
「私がいる」
ジルの涙を拭う。
ジルは身体を強張らせていたが、目を瞑り、すぐされるがままになる。
「私があなたの罪を一緒に背負って、償うから……」
ジルの過去がどれほど孤独と苦しみに塗れたものだったのか。
埋まることのない寂しさと積み重ねてきた罪の数々が、呪いのように彼を苦しめ続けている。
それら全てから解放してやることは不可能だろう。
だが、せめて自分の存在が彼の救いになるのなら……
イリーナは意を決して、ジルの肩に手をかける。
そして口づけを交わした。
数秒間の口づけだった。
唇と唇を重ね合わせるだけの、優しい口づけ。
口づけの後、イリーナはジルを抱きしめた。
「私、ルイが一人前になったら、皇女の地位を放棄する予定なの」
彼を絶対に離すまいと、強く抱きしめ。頭を撫でる。
「皇女じゃなくなった後、どうしたら良いかわからなくて、不安なの」
ジルは再び嗚咽を漏らし、イリーナを抱きしめ返す。
「だから、ジル、お願い、私と一緒に生きて……」
「うん……」
イリーナからのお願いを、彼は素直に受け入れる。
本当に小さな子供みたいだ。
ジルを離し、その目を見た。
夕暮れ時の、緋色を溶かす夜空の瞳。
次の目標は、この瞳にたくさん素敵なものを見せて、笑顔を取り戻してもらうことだろうか。
私たちの物語は、きっとまだ始まったばかりだ。




