毒杯
イリーナは半ば奪い取るような形でルイと杯を交換した。
「皇女殿下、ここは神の御前です。
そのような行動をなさるのなら、ご退出いただいてもよろしいのですよ」
ライ・カーンがイリーナを諌める
「……ええ、すぐに出て行ってあげるわ。これを飲んだらね」
意を決して、ルイのグラスを一口。
一口飲んで何もなければ、ルイに返せばいい。
だがその考えは甘かった。
イリーナの舌に痺れが走る。
最悪の予想が当たってしまった。
「ぁっ……ぅぁあ……」
たった一口で、今まで感じたことのない吐き気に襲われる。
イリーナはその場に倒れ、苦しみに悶える。
「姉上……!?」
ルイは立ち上がる。
「皇太子! 近づいてはなりません! 罠かもしれません! 」
ライ・カーンはイリーナとルイの間に割って入る。
イリーナは何度ものたうち回り……
やがて全身の力が失われた。
貴族たちは遠巻きにその様子を見つめ続けている。
誰もイリーナを助けようとはしなかった。
ライ・カーンだけがイリーナに近付き、彼女の脈を調べる。
「脈がありません……」
ライ・カーンが深刻な表情で呟く。
そして、イリーナの衣服を確認し始める。
「これは……毒の瓶です! 皇女の服から毒の瓶が!」
ライ・カーンは目の前の貴族たちに見せつけるように毒の瓶を掲げた。
聖堂内の人間たちは皇女の突然の死に驚愕し、状況を理解できなかった。
「おそらく、彼女は自ら死を……!」
「そんな! 毒を入れる隙なんて、」
会場内のざわめきで、ルイの言葉が掻き消される。
奪い取った皇太子の杯によって、皇女が死んだ。
目撃者はこの聖堂内にいる大勢の貴族と、ライ・カーンの息がかかった聖職者、ごく少数の官司。
この出来事にどのようなストーリーを想像するだろうか。
貴族たちは、自分たちに皇太子の殺人未遂と、皇女の殺人への関与の疑いをかけられることを避けたいはずだ。
そして聖職者たちはライ・カーンの都合の良い方向に動く。
そしてごく少数の官司は、どうすることもできずただ成り行きを見守るしかない。
「自殺だ」
「皇女は自殺をした」
「わざと混乱を起こすために、皇太子の杯で自殺したんだ」
「浅ましい女め」
貴族たちが口を揃えて、ライ・カーンに同調し始める。
この場において、イリーナが他殺か自殺かどうかはもはや問題でない。
『皇女が自殺した』という事実しか重要でないのだ。
「皆さん見ていたでしょう!? 自殺なんて、そんなこと! ありえません!」
ルイの叫びは届かない。
この出来事を一番丸く収める方法は『イリーナを自殺として処理する』ことだった。
イリーナが杯に毒を入れる隙があろうとなかろうと、衣服から毒の入った瓶という『自殺の証拠』が出てきたなら、自殺として処理する。
それが貴族たちの不文律だった。
「皆さん!!!!!!」
ざわめきの中で、ひときわ大きな女性の声が響く。
「その毒は揮発性が高く、皮膚からも吸収される致死性の高い毒です!
他のグラスにも入れられている可能性があります! 道連れにされる前にこの場所から離れてください!」
女性の言葉に、聖堂内の人間たちは慌てふためく。
イリーナが他殺であっても自殺であっても、毒死したことに変わりはない。
金の杯以外にも毒が混入している。
ありえない話ではない。
皇女が一口飲んだだけで死に至った猛毒。
その事実によって女性の言葉が真実味を帯びた。
揮発性が高く、皮膚からも吸収される致死性の高い毒。
ここにいるだけで危ない。
聖堂内が混乱に包まれる。
貴族たちは聖堂から逃げ出さんと、我先にと駆け出す。
ライ・カーンもその騒ぎに飲み込まれ、イリーナの遺体から引き剥がされた。
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