後悔
混乱に包まれた聖堂の中、
栗色の髪を短く切り揃えたおかっぱ頭の少女が、人混みに揉まれながら、涙を流し、叫ぶ。
「イリーナさま! イリーナさまぁ!」
目深にフードを被った青年が、人混みをかき分けてイリーナの遺体へ近付く。
(まさか、自ら毒を飲むなんて……!)
『その毒は揮発性が高く、皮膚からも吸収される致死性の高い毒です!
他のグラスにも入れられている可能性があります! 道連れにされる前にこの場所から離れてください!』
おかっぱ頭の少女――ティアが咄嗟についた嘘だった。
フードの青年――ジルに、もしもの時は混乱を起こしてくれと言われていたから。
人混みに紛れて、ジルはイリーナの遺体を抱え上げる。
「お前も早く来い!」
ジルはティアの手を引き、聖堂から脱出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ホロミア塔から宮殿へ向かう道中で盗賊に襲われ、小心者の自分はその時のショックで気絶をしてしまっていたらしいです。
目が覚めたら近くの村の診療所のベッドの上で、真っ先に「記憶喪失のイリーナ様を一人にしちゃうなんて!」と猛省しました。
なのでお医者様に無理を言ってすぐに退院させてもらい、行商の方にお願いをして幌馬車の荷台に乗せてもらって、なんとか日が落ちる頃には宮殿に着きましたが……
守衛の方に事情を説明しても、自分が宮殿に入れてもらえるはずもなく、なんとか忍び込めないかと周囲をウロウロしていたところを神父様__ジルカントさんに声をかけられました。
「手伝ってくれ」
その一言だけでしたが、この方はイリーナ様と私を助けてくださった、言わば命の恩人。
ジルカントさんについていけば間違いないと思い、迷わずお手伝いをすることにしました。
聖堂での光景は目を覆いたくなるようなものでした。
明らかにイリーナ様は弟のルイ様を庇うために毒杯を口にしたのに、なぜ自殺として片付けられようとしているのか、なぜ誰も助けようとしないのか。
ジルカントさんの言う通り、適当な嘘を並べて騒ぎを起こした。
貴族の方達は単純で、その嘘に騙されてくれました。
騒ぎに紛れてジルカントさんはイリーナ様の遺体を宮殿地下の隠し部屋に運び込みました。
ジルカントさんはまだ諦めていないご様子ですが、イリーナ様はもう……
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ジルはイリーナに心肺蘇生法を試みる。
猛毒を口に含んだイリーナに、躊躇わず人工呼吸を行う。
毒に耐性のあるジルでさえも、口腔と喉に痺れを感じる。
(なんて馬鹿なことを……! 毒の可能性に気付いたなら、
杯を落としてしまえばよかったものを……!)
何回胸骨圧迫をした、これは何度めの人工呼吸だ。
「ジルカントさん、もう……」
ティアがジルを諭そうとする。
「医者を呼んできてくれ!」
ジルがそれを聞き入れることはなかった。
今まで多くの人間を殺してきたはずだ。
多くの人間の死も見届けてきた。
それらに心を動かされたことはなかった。
10年近くを同じ寺院で過ごしてきたナイルズを殺したときでさえも、神に祈りこそすれ、悲しみや後悔などに苛まれることはなかった。
だが、どうして、あなただけは……
イリーナとまともに関わるようになったのは、ほんの数ヶ月前のことだ。
週に一回、礼拝のために塔へ向かい、彼女は笑顔で出来たての砂糖菓子とともに自分を迎える。
まともに会話が続いたこともない。
彼女からの質問や他愛もない話に、自分が適当な相槌を打つだけ。
だが不思議と、その時間が過ぎてゆくのが惜しいと心の底では思っていた。
この汚れきった人生の中で唯一感じた安らぎだった。
自分は今焦っている。
額からは汗が流れて、無様な顔を晒して、必死で同じ行動を繰り返している。
自分がこうなるのはあなただけだ。
だから、お願いだから、死なないでくれ。
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