第19話 獣たちの戦い
第19話 獣たちの戦い
日が暮れる。
昨日も夕陽を眺めることはできたが、今、目の前で沈みゆく太陽は、不気味な程に真っ赤に染まっていた。
フラガは馬の足を止めて夕陽を見ていたが、いつものような穏やかな気持ちにはなれなかった。
今朝の早くにメリダを出立し、避難民を連れて西へ向かった。かなりの早足ではあったが、まだ行程の半分ほどのところだ。古い街道が途絶え、眼前には荒れた平野が地平線まで続いている。そこに生き物の気配は殆どない。南側も、遠くにポツポツと丘陵が見えるくらいで何もない。北はエバ山脈が延々と、西の果てに向かって連なっている。だが、先の地震の影響なのか、この辺りにも激しい崩壊の爪痕が刻まれていた。
「あーあ、この世の果てってやつかな」
フラガは自分の禿げた頭を撫でながら、渋い顔をする。隣にいたサラも、普段なら軽い口調で受け流すところだが、無言で地平線を見つめるだけだった。
「たった一日…少し急いで移動したら、もうこの景色かよ。こっちが東の国境並みに酷い状況だったとはなぁ。まったく、世界の現実ってやつは厳しいねぇ」
フラガはため息まじりにブツブツ呟く。だが、サラからの反応は返ってこない。フラガもすっかり会話の調子が狂ってしまい、それ以上は黙ってしまった。そこに、二人の後ろからテオが姿を現わす。
「フラガ、サラ。今日の移動はここまでだ。各隊に野営の準備を指示してくれ」
「了解です、隊長」
「了解。もう一仕事しますか」
「頼むぞ。それにしても、二人とも表情が暗いな。どうした?」
テオは二人との長年の付き合いから、いつもと違う二人の顔にすぐ気づいた。理由もなんとなくわかってはいるが、あえて言わない。
「隊長にはやっぱりバレバレですねぇ」
「当たり前だ。何年一緒に仕事してると思ってる? サラまでこんなに静かなのは久しぶりだがな…」
「すみません、隊長…。お気を使わせてしまいましたね」
ようやくサラが口を開いた。少し無理した微笑みを浮かべており、テオとフラガは余計に気になってしまう。
「隊長…こんな話をするのはおかしいと思うのですが…不安なんです。私たちは、もう帰れない旅に出ているような感じで。出発前の話で、それは現実だとは頭で理解したつもりです。でも、心では納得できてはいませんでした。ここの景色を見て、それが急に怖く感じています。お恥ずかしい話ですが…」
「まあ…サラの考え過ぎなんて、さすがに俺も言えないですな…」
サラの考えに、フラガも同意する。おそらく、ここにいる兵士と避難民の大半が、そう思っているだろう。唐突の話から始まり、獣たちの登場や陛下たちの説明。そして今朝、故郷を旅立つまでにどのくらいの時間が経ったか。そう、殆ど経っていないのだ。姫様の演説や我らが国王陛下の指示もあったとは言え、ここまで避難できていること自体が奇跡だった。
勿論、メリダや周辺地域の人々が全員避難した訳ではない。国王陛下の命があっても、この突拍子も無い話に従えない者も少なくなかった。結局、ここまで来れた人々はおよそ5万人。殆どがメリダと周辺の市民、それから復興の任務に就いている兵士だった。
「確かに…お前たちが考えている通りだな。こんなに大規模で急な避難は前例がない。そして、我々の後に続く者が来るかもわからん。不安にもなるさ」
テオは頷きながら答える。フラガとサラの表情は更に曇った。
「でもな…こんな話でも、まったく信じられないって訳じゃない。どちらかというと、俺はそれが恐ろしい。だから、俺たちに出来ることは何でもしないと。そう思ってる」
「隊長…」
「サラ、そんな顔をするな。たぶん、ここまで来た人々はみんな、どこかでそう思ってるはずだ。だから、避難に賛同してここまで来たんだ。今は迷っている時じゃない。まずは任務を果たすことだけ考えるぞ。二人とも、大丈夫だな?」
「は! 了解しました!」
二人の返事に力が戻り、テオは頷く。
「よし! では、行動を開始しよう!」
兵士たちは各々の仕事に戻り、動き出す。あちこちで野営の支度が素早く行われ、夜の闇が広がる頃には炊飯の火や松明の灯りがあちこちを照らしていた。
タッ タッ タッ タッ タッ
タッ タッ タッ タッ タッ
鋼でできた床の上を走る音が三つ、廊下に響き渡る。廊下全体が金属質で出来ており、人がすれ違えるくらいには幅があるものの、相当な圧迫感があった。
リゴを先頭に、ソフィア、エメリアが後に続いて一列に通路を駆け抜けていく。
「二人とも、もう少しで着きます。あと一息、頑張って」
「うん! 大丈夫! あと少し!」
「少し足がなまっているのは悔しいが…大丈夫だ!」
三人はミナリスの上層階から下り、地下階の狭い連絡通路を走っていた。マルセラと国王、そして大勢の人々が犠牲になり、ショックを受けていたのだが、リゴはすぐに言った。
「姫様、ソフィア。私たちは行かねばなりません。生き残った人々を救わねばなりません。行きましょう」
短い一言だったが、エメリアにも、そしてソフィアにも、その意味はわかっていた。特にソフィアはここまでに何度も立ち止まった。だからこそ、わかっていた。
ソフィアとエメリアは涙を拭わなかったが、強く頷き、リゴの後に続いて動き出した。
そして現在の目的地は古い格納庫。リゴが言っていた、"箱"があるらしい。それを持って、ここをすぐに脱出する手筈だ。だが、まだ不安が多い。
「リゴ! 首尾よく脱出出来たとして、間に合うのか? 王都を破壊した人形共がメリダの避難民に追いつくのも、時間の問題ではないのか?」
エメリアの指摘に、ソフィアは息が詰まりそうになる。
(お父さん、お母さん、ルーナ…)
「確かに、時間はありません。人形もですが、この星の崩壊自体が、もう時間の問題です」
「なに!? 猶予はどのくらいだ!?」
「…おそらく、あと一日です」
リゴの一言に二人は走りながら凍りつく。あと一日で世界が崩壊?早すぎる!
「そんな…リゴ! それじゃ、全然間に合わないよ!?」
「ギリギリだが…大丈夫だ、ソフィア。奥の手がこの先にある」
「奥の手…? リゴ、なんなの?」
「説明は後にしよう! まずは格納庫に辿りつかねば! もう着く頃です!」
狭い通路をリゴはもどかしく思う。狼の姿になれば、かなり早く目的地に着けるのだが、ここは狭すぎた。それでも、間も無く着くはずだ。そう思っていると、予想通り広間に出て、目の前にかなり大きな扉が現れた。
「ここが格納庫の扉です! 今開けてきますから、待ってて!」
そう言ってリゴは扉の横の制御装置に向かう。エメリアとソフィアは息を切らし、しばらく呼吸を整えることに専念した。
カツ カツ カツ カツ
そこに、急に横から足音が近づいてくる。リゴじゃない!
「誰だ!!?」
エメリアが叫び、剣を抜こうとするが、横から丸太で殴られたような強い衝撃に襲われ、とっさに腕で防御したが、勢いよく飛ばされ地面を転がる。
「ぐあぁ!」
受けた右腕に激痛を感じ、悲鳴をあげる。腕の鎧が砕け、骨も折れているかもしれない。エメリアは痛みに気を失いかけてはいたが、何とか意識を保つ。だが、痛みで引きつって声が上手く出せない。
「姫様!!」
ソフィアはエメリアの身を案じ叫ぶ。だがその直後、ソフィアの目の前に影が割り込んできた。
「え…誰!?」
ソフィアが恐る恐る顔を上げると、目の前には白髪の、おそらくリゴよりもかなり年上の、老人が立っていた。だが、老人の腕と足は人形の部品のようになっており、よく見ると体のあちこちが同様に変わっている。
「これはこれは…可愛らしいお嬢ちゃんがいるね」
掠れて弱々しい声…一瞬そう思ったが、その目にはヤスリで研いだナイフような、冷徹さが混じった危険なものが宿っているように見え、ソフィアは背筋を嫌な冷や汗が伝うのを感じた。
「誰…なの…?」
ソフィアはゆっくりと、護身用の短刀を抜くため手をかける。だが、抜くことまでは出来なかった。姫様に言われたように、抜けばいいわけではない。慎重にならなければ、危険な状況だった。
「ふふふ。小さい体を震わせながら、随分と勇ましいものだな」
老人は微笑むが、その表情は獲物を前に舌舐めずりをする、獣だった。
「ソフィア!! 貴様!! ソフィアから今すぐ離れろ!!」
異変に気づいたリゴが素早く駆けつける。だが、ソフィアが瞬きした一瞬で謎の老人は背後に回り込み、ソフィアは腕を拘束される。
「いや!! なにするのよ!!」
「貴様!! ソフィアを離せ!!」
リゴが凄い剣幕で睨みつける。それに対し、老人は首を傾げる。
「おいおい、そんな顔で睨みつけるなよ? 友達だろ? この小娘を捕まえておく気なんてないさ。ただ、少しリゴと話がしたいんでね…邪魔だからどいてもらうよ、お嬢ちゃん?」
次の瞬間、老人はソフィアをエメリアの方へ勢いよく投げる。
「ソフィア!!!」
リゴが叫ぶが、間に合わない。床に投げ捨てられ、ソフィアは転がりながら壁に叩きつけられる。それを見てエメリアは必死に腕の痛みを堪えて駆けつける。
「くっ…! ソフィア…! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」
「う…う…」
呻き声をあげるソフィア。軽傷のようだが、頭を怪我したのか、血が出ている。エメリアはすぐに手当てをしようと試みるが、右腕が思うように動かず、苦戦する。
「…貴様、よくもソフィアと姫様に怪我を…」
人の姿のままだが、リゴの髪が怒りで真紅に染まっていく。
「ふん。俺だって、暴力が好きなわけじゃない。お前と、お前の部下たちには邪魔されたからな。軽いお返しだ」
「ふざけるな!! 貴様、自分が何をしてきたかわかっているのか!? 仲間が死んで、更には護るべき人々まで大勢死んだのだぞ!? 答えろ!! ローケン!!!」
ローケン。そう、この老人の名は、ローケン・ダール。かつてリゴと共に故郷を守るために戦った同志であり、優れた技術者であり、裏切り者だ。
裏切り者のローケンは語り始める。
「何をしたかって? わかっているさ。全部な。リゴよ。お前たちこそ、今何をしているのだ? 我々は千年前、この姿になってまで、故郷を守るために戦っていたのだ。早々に見限って宇宙に逃げた奴らは、今頃お星様だろうよ。だが俺たちは違う。例えこの星が滅びようと、最初から運命を共にしていい覚悟で戦っていたはずだ! なのに、お前らは脱出の計画なんぞ立て始めやがった。各地から船まで集めてな。違うか!? だから俺が使命を正してやってるんだ。この星とみんな運命を共にできるようにな」
かつての仲間、リゴたちと共に戦った戦友は、激しくリゴを責める。だが、リゴも反論する。
「護るべき人々を黙って死なせるなんて、出来るわけがないだろう!? 故郷が大事なのは私も同じだ。だが、生き残れる可能性を捨てて、家族や仲間がこの星と共に死んでしまう事を見過ごせるものか!!」
「それが自分勝手な理論なんだよ!! そんなに言うなら、なんで俺たちはこの星に残った? そんな簡単に諦められるなら、最初からお前も宇宙に逃げちまえばよかっただろう!? お前は大勢を巻き込んで、無責任に使命だの義務だのを仲間に押しつけて、挙句戦ってきた仲間の死も無駄にしちまおうとしてやがるんだ!! お前こそ、裏切り者のリゴだろうが!!」
リゴは少し言葉に詰まる。確かに、大勢の仲間を戦いに巻き込み、その目的も果たせてはいなかった。護るべき故郷を捨てて脱出の計画を進めた。犠牲者も出た。マルセラも…その一人だ。だが、リゴは折れるわけにはいかない。
「確かに、私は使命を果たせなかった。大勢を巻き込んで、犠牲者も出した。だが、皆は最後まで志を見失わず、出来る事を全力でしようと、精一杯頑張ってくれていた。それを無にはしない! 私がさせるものか!! ローケン!! 貴様が行なった事はただの虐殺であり、志なんかないぞ!!」
リゴがそう言うと、ローケンは腹を抱えて笑いだす。それに対し、リゴは更に怒りの感情を表情に浮かべる。
「…貴様、何がおかしい?」
「ふふ…お前、やっぱり自分勝手な奴だと思ってなぁ。まあいい。話の最後に、もう一つ答えを教えてやろう」
「答え…?」
「そうだ。お前たちが時を超えて帰ってきた時、色々と変わったことがあっただろう? 俺も老けたが、それはどうでもいい」
「なんの話だ? 我々が戻ってきた時、数百年の歳月が経っていたことは確かだったが…」
「鈍い野郎だな、リゴ。お前が言ってた、護るべき人々はどうなってた?」
「な…! 貴様、まさか…」
「そうだ。お前がいない間、他の人々の記憶を消したのは俺だ。このミナリスは最高の実験環境を提供してくれた。まさか、あんなに強力な催眠波をかけられるとはね。おかげで仕事が楽だった」
「お前がやったのか!? 数百年とはい、ここまで文明が変わるとはおかしいと思ったが…貴様の仕業か!! なぜこんな事をする!?」
リゴはローケンの胸ぐらを掴む。凄い剣幕で睨みつけるが、それでもローケンの顔は嬉しそうに笑っていた。
「そんなの、予防策に決まってるだろう? お前らが各地から船を持って帰ってきたら、すぐに宇宙に上がっちまう可能性があったしな。文明そのものを作り変えて、お前らがいる事自体おかしい社会にしちまえば、それは難しくなる。現に、今日に至るまで苦労したはずだ。違うか?」
「なるほどな…そういうことか」
「それにだ。今の文明は悪くはないだろう? 故郷を大事に思っている人々でいっぱいだ。宇宙に逃げるなんて突拍子もない話より、故郷と共に死ぬ事を選ぶ。俺と同じ考えになるじゃないか! 俺は彼らにとって、神みたいなもんだな」
その一言を言った瞬間、リゴは思い切りローケンを殴りつける。強烈な一撃だが、ローケンはその場に踏みとどまってた。
「…ふん。都合が悪くなると暴力か。いいだろう。この話はここまでだ。そろそろケリをつけようか。どのみち時間もないしな」
「そうだな…お前の顔もそろそろ見飽きた。終わりにしよう」
「だが、リゴよ。お前らがここに来た理由は知っている。あの船で行く気なんだろ?」
ローケンが格納庫を指差す。
「やはり知っていたか。それで、今度はそれを邪魔する気か?」
「いやいや。最初はあれもぶっ壊しとこうと思っていたがな。これは気まぐれだが、お前にチャンスをやろうと思っていてな」
「チャンス?」
「ああ。ここで決着をつける事は前から決めていた。だから、俺が勝てばお前はそれまでだし、お前が勝てば、この星から逃げる権利をやろう」
「なんのつもりだ?」
「特にないよ。まあ、昔のよしみだ。どうせ宇宙に上がっても、お前らは生きてはいけないだろう。この千年、救難信号には何も反応ないしな。あと、リゴと一緒にあの嬢ちゃんたちが行きたいなら、好きにすればいいと思ってな」
「ソフィア…?」
「まあ、これも気まぐれだ。こんなところにか弱い小娘が二人も来たんだ。その褒美とでも思っていればいいさ。さて、もういいか? そろそろやろうぜ」
「…いいだろう。だが、その前に彼女たちの元に行かせろ」
「仕方ねぇな。早くしろよ」
倒れるソフィアを抱きかかえるエメリアの元に、リゴは駆け寄る。
「姫様…ソフィア…私がいながら、申し訳ありません」
「リゴ…気にするな。私も油断した」
「ソフィアは…大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。応急処置はした。だが、頭を打って意識が朦朧としているようだ。なるべく安静にし、医者に見せた方がいい」
「そうですか…。姫様、ソフィアをお願いします。私はあいつとの決着をつけねばなりません」
「そうか…あんなやつ、ぶちのめしてこい」
「仰せのままに。それから、これを」
「なんだ、この紙は?」
「説明している時間はなさそうなので省略しますが、予め用意していた計画書です。格納庫に入ったら、この紙に書いてある通りに行動して下さい。そして、頃合いを見てお二人は脱出を」
「待て! お前はどうするのだ!?」
「私も決着をつけたら、すぐに合流します。ですが時間がありません。状況によっては、先に脱出をお願いします。私は外の仲間と連携して、後を追いますので」
「わかった…だがな、リゴよ」
エメリアは左腕でリゴを引き寄せ、抱きしめる。
「…ソフィアを悲しませるな。あの子にはお前が必要だ」
「はい…。では、行きます」
リゴはソフィアの頭を撫でると、スッと立ち上がり、再びローケンの方へ歩き出す。エメリアは少し感覚が戻って来た右手もなんとか使い、ソフィアを背負うと格納庫の扉へ向かう。近づくと、扉は少しだけ開き、隙間に潜り込むようにエメリアたちは中に入る。二人が入ると、再び扉は閉まり始めた。
「さて、お別れはすんだかな?」
「ああ…覚悟しろ」
二人が言葉を交わすと同時に一瞬の光が辺りを包み、その光の中から獣の姿が現れる。手足が人形になった、異様な獣と、全身を黒と真紅の体毛で覆った獣。
獣たちの戦いが始まる。