郷立高志地霊学園5話
やっと着いた。
しかしこれからは時間も空いている。
何をしようか。
るみゃ姉にも会ってないし。
「隙ありっ!」
「うっ!?」
いたたた…いきなりグ○コポーズで背中に
飛び膝蹴りとかなんてやつだ。
今日はイタズラされてばっかだな…
「痛かった?ごめんね?」
「ああ…大丈夫だ」
そう思うならするな。無意識め。
まあ対処しようと思えばできるのだが。
空想やら考え事やらをしているとできないものだ。
意識していなければ無意識は読めない。
意識で無意識は読めるのか?
という疑問を抱くのが普通だ。
そう、無意識は無意識でしか読めない。
わかりやすくするために無意識を読むことを放浪しているこいしを見つけることと置き換えた上での話だ。無意識は誰もが持つものである。
つまり、基本は誰でもこいしを見つけることが可能だ。
しかし、それだけではいけないことがわかるだろうか。
無意識とは、その名の通り意識にないもののことを言う。
意識なくしてこいしを見つけたところで
それを証明することは不可能である。
無意識ではこいしの存在も見つけた場所も
その時の時間も意識にとどまらない。
だからこいしが「イマジナリーフレンド」
と呼ばれることにも説明がつく。
見ても見ていないのだから。
無意識を追い求めて15年。無意識を記憶に残す、
即ち意識に転換することができるようになった。
ただしこれはとても危険なことである。
なぜなら意識は無意識のほんの一部に過ぎないからだ。
私は「無意識を意識に転換する程度の能力」
こんなものだろう。
これは無意識のすべてが意識に入るということ。
意識に入りきれないものまで意識されることになる。
今まで考えもしなかったことが脳内を巡り回ることは精神的な病を患うようなもの。
生物にとって、無意識は原点の1つであり、本能を働かせる原動力ともなる。
もう正直脳内環境が狂ったも同然だが、
ここでそれを止めるつもりなど全くない。




