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第23話 願いを変える

赤倉の大石へ戻ると、ククリは天然の亀裂をそのまま使いました。

全部を彫り直すのではありません。

水が途中で逃げるところだけ、石の表面へ短い線を加える。

自然の割れ目なのか、人が足した線なのか、少し離れると分からない程度です。

「これでアンジュにつながる?」

千歳が聞くと、ククリは首を振りました。

「これだけです。」

「だけ?」

「大石からアンジュへつなぎます。そのあと、各地の小さい石は、まずこの大石へつなぐ。」

ククリは地面へ大きな丸を一つ描き、その周りへ小さな丸をいくつも置きました。

「小さい石から、アンジュへ一本ずつ直接つながないんだ。」

「はい。全部ここへ集めます。」

セヲ様が理解したように頷きました。

「アンジュが閉じたい時も、大石との一本を閉じればいい。」

「その方が、本人が選べます。」


各地へ置く石には、岩木山から下りてきた石を使うことにしました。

人が抱えられる大きさでいい。

川や崩れた斜面で拾われたものから、ククリが水の通り方や割れ方を見て選びます。


最初の一つは、高みから少し離れた集落へ置かれました。

あの子どもが石の前へ立ちます。

アンジュは石の輪の中にいます。

赤倉の大石は、ここからは見えません。


「アンジュ様。」

何も起きません。

子どもが声を大きくしました。

「アンジュ様!」

ククリがしゃがみ、子どもの目線まで下がります。

「石に言わなくていいです。」

「でも、ここから呼ぶんでしょ?」

「はい。だから、アンジュに話すつもりで。」


子どもは少し考えました。

それから、石ではなく、会いたい相手を思い浮かべるように目を閉じます。

「アンジュ様。」


千歳の視界で、細い色が小石から遠くへ伸びました。

直接アンジュへ向かいません。

一度、山の方へ折れます。

赤倉の大石を経て、そこから高みへ戻ってきました。


アンジュが顔を上げます。

「なーに?」

子どもが跳ねました。

「聞こえた!」

「そっちが呼んだんでしょ!」


そのあと大人たちも試しました。

水の相談をする人もいれば、危険を知らせる人もいます。

ただ「今日は何もない。」と挨拶するだけの人までいました。

全部にアンジュが答えるわけではありません。

「返事がない時もあるんですか。」

祭祀を取りまとめる女が聞きました。

「あります。」

ククリは即答しました。

「呼べることと、答えさせることは別です。」


女は長く黙りました。

やがて石の前へ立ちます。

「アンジュ様。」

一度、唇を噛みました。

「ずっとここにいてください、とは言いません。」

アンジュの顔が変わりました。

「水が危ない時、気づいたら教えてください。」


舟の男が続きます。

「こっちで分からない時は、聞かせてくれ。」


母親は言いました。

「帰ってきたい時は、帰ってきてください。」


子どもは最後まで悩みました。

「……遊びに来て。」


アンジュが笑いました。

「それがいい。」


祭祀を取りまとめる女が、少し迷ってから聞きました。

「アンジュ様がここへ座っていなくても、私たちは祀っていいんですか。」

セヲ様が答えました。

「祀ることと、座らせることは別です。」

ククリも頷きます。

「座留めは、一方から力を出させ続けます。祀るなら、呼ぶ側にも、答える側にも選ぶ道が必要です。」

アンジュは石の輪の外を見ました。

「それなら、祀られるの嫌じゃない。」


一つが通ると、その日のうちに近くの集落でも同じやり方を試しました。

水辺の集落。

流れが分かれる場所。

舟を乗り継ぐ場所。

石の形も大きさも同じではありません。

それでも、置いた石はどれも赤倉の大石へつながり、そこからアンジュへ届きました。

離れた集落へは、これから石を運び、順に道を開いていくことになりました。


ククリは地面に小石を一つ足し、岩木山の南側を指しました。

「大鰐のムラも、この道につなぎます。沢の舟と峠の道を乗り継ぐところです。」

「大鰐?」

「浅い流れでは、田小屋野で乗ったような皮舟も使うんですよ。陸へ担いで越せますから。」

千歳は、舟人たちが軽い舟を持ち上げた姿を思い出しました。

「この石があれば、大鰐の人とも話せるの?」

「石が何でも伝えるわけじゃありません。大鰐から赤倉の大石を経て、アンジュへ呼びかける道です。人を呼ぶにも荷を運ぶにも、そこから先は誰かが動かなくちゃ。」

「そっか。やっぱり舟人が要るんだ。」

「はい。石だけで道はできません。」


「これなら、全部の場所にアンジュを置かなくていい。」

千歳が言うと、ククリは真顔で訂正しました。

「最初から置きません。」

「分かってるよ。」

「大事です。」

セヲ様が吹き出しました。

「そこは変わらないね、ククリ。」


地域から呼べることを確かめたあと、ククリは最後に三つを確認しました。

「アンジュ。ここへ戻れる道として残していい?」

「うん。」

祭祀を取りまとめる女も頷きます。

「私たちも、呼ぶことと留めることを分けます。」

ククリは地面へ手を置きました。

赤倉の大石から伸びた水の色が、途中で押し返されずに戻ってきます。

「土地の側も通ります。」


セヲ様が、そこで初めて息を吐きました。

「三つ揃った。今なら祓える。」

ようやく、古い固定を外しました。


アンジュは両手を地面へつき、また立ち上がりました。

一歩。

二歩。

三歩。

今度は誰も「行かないで」とは言いません。

言いたそうな顔はありました。

それでも、その願いをアンジュの足へ結びつけることはしませんでした。


アンジュは石の輪を出ると、しばらく自分の足を見ました。

「ほんとに行っていい?」

子どもが大きく頷きます。

「でも遊びに来て。」

「明日決める。」

「今日決めて!」

アンジュが笑いました。


その時、少し離れた小石から呼ぶ声が届きました。

「上流、濁ってる?」

アンジュは石の輪の外に立ったまま、岩木山の方へ顔を向けました。

「まだ大丈夫。夕方にもう一度見て。」


自分で答えてから、アンジュが目を丸くしました。

「前より遠くまで分かる。」

セヲ様が笑います。

「固定されてた分、使えてなかったのよ。」

アンジュは自分の足を見て、それから山を見ました。

「これからは、ほかの石のところにも行ってみたいな。呼ばれて行くんじゃなくて、自分で見てみたい。」

「全部回るんですか?」

千歳が聞くと、アンジュは笑いました。

「まだ決めてない。明日、どこに行きたいか考える。」

でも、石の輪から出られたから終わり、ではありませんでした。


ククリは、赤倉の大石へつながった細い流れを何度も確かめていました。

新しく置いた小さな石も、今はちゃんと応えている。

それでも、雨が降った時、川が増えた時、舟着き場の使い方が変わった時まで同じとは限りません。


その横で、ハニチュウが地面へしゃがみ込みました。

「私、残ります。」

千歳は振り返りました。

「ここに?」

「ここだけじゃありません。川の方も見ます。」


ハニチュウは指についた土をこすりました。

「水の通り方が変わったら、使う場所も変わります。運ぶ水の量が変われば、器も変わります。ここの土も、向こうの土も見たいです。」


千歳が返事をする前に、ゲツ先輩が手を上げました。

「じゃあ、私も残る。」

「食べ物?」

千歳だけでなく、セヲ様まで同時に聞きました。

「そうだけど。」

ゲツ先輩は少しだけむっとしました。

「水が変わったら、魚がいる場所も変わるでしょ。貝も、木の実を運ぶ舟も。食べるものがちゃんと届かなかったら、落ち着いたって言えないじゃない。」


誰もすぐには笑いませんでした。

ハニチュウが、真面目な顔で頷きます。

「器も要ります。」

「食べ物を入れる?」

「水もです。」

「じゃあ一緒だね。」

「はい。」

千歳には、やっぱり何がそこまで同じなのか分かりませんでした。


バキ教官が二人を見ました。

「残れ。ただしここだけ見て終わるな。岩木川の側が落ち着くまで、舟着き場も集落も回れ。」

「はい。」

「分かった。」

返事だけは、二人とも妙に早かった。


* * *


その夜、私は千歳から届いた記録を地図へ落としていました。

赤倉の大石。

そこからつながった、岩木山由来の小さな石が置かれた場所。

ツクヨミに、現代の地形へ重ねてもらいます。


「中央の大石に近い現在の祭祀地点は?」


── AIツクヨミ 応答 ──

現在の大石神社に近接します。

────────────


私は画面を拡大しました。

「じゃあ、周りの小さい石は?」


── AIツクヨミ 応答 ──

現在、神社・祠として確認できる地点を重ねます。

────────────


地図の上へ別の印が増えました。

私は黙りました。

全部ではありません。

ずれている場所もある。

それでも、千歳の記録に残った石の位置と、現代の祭祀地点が複数重なっています。

特に「闇龗神社」由来の場所が重なっています。


「……重なってる。」

ヨークネールへ座っていたイワナガが画面を覗き込みました。

「同じ石が残ったってこと?」

「いや。」

私は首を振りました。

「そこまでは言えない。」


── AIツクヨミ 応答 ──

地点の一致は、祭祀の連続性または同一物の継承を証明しません。

────────────


「ですよね。」

でも、私は地図から目を離せませんでした。

「神社が五千年前から同じ形で続いたんじゃない。石そのものが全部残ったとも限らない。」


一つずつ、印を指で追います。

「ただ、『水のことをここから願う』っていう場所だけが、何度も使われ続けたとしたら。」

イワナガが言いました。

「石より、そこへ行く理由が残った?」

「はい。」

大石と、周囲へ散った小さな印を見ました。

「その可能性はあると思います。」


ツクヨミは肯定もしませんでした。


── AIツクヨミ 応答 ──

仮説として保持します。

────────────


それで十分でした。


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