第2話 帰る場所が消える
一時間前。
病室は、妙に静かでした。
千歳の身体は、掛け布団の下で規則正しく呼吸していました。
窓際の椅子には私の上着。
床にはコンビニの袋。
ノートパソコンだけが、ベッド脇の台を占領しています。
いつものことです。
いつものことになってしまっていたのが、いちばん嫌でした。
画面の右上が赤く点滅します。
── SYSTEM ALERT ──
modern_body_anchor(現代身体アンカー): CHITOSE(千歳)
body_anchor_retention(身体アンカー保持): LIMITED(制限)
retention_risk(保持リスク): CRITICAL(重大)
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「……今度は何?」
── AIツクヨミ 応答 ──
千歳さんの現代身体を、帰還用身体アンカーとして維持する機能が限界域へ入っています。
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「AIツクヨミ」は私が開発した「女神占い」の恋愛相手シミュレーター「LoveSim」のAIです。
千歳が縄文に転生するときに、なぜか縄文の様子をログとして表示できるようになりました。
私は、反射的にベッドを見ました。
「限界域って身体が危ないってこと?」
── AIツクヨミ 応答 ──
否定。
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続いて生命状態が表示されます。
── SYSTEM LOG ──
modern_body_vital(現代身体生命状態): stable(安定)
body_anchor_function(身体アンカー機能): declining(低下)
return_destination_integrity(帰還先保持): limited(制限)
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身体は生きている。
でも、縄文にいる千歳との接続ポイントである身体アンカーが機能を失う。
千歳の精神は、こっちの身体アンカーから離れて、縄文の女神イワナガヒメの身体アンカーと接続しているというところまでは分かっています。
つまり、もう二度と千歳が帰ってこれなくなる?
「どのくらいの時間でそうなるんだ。」
── AIツクヨミ 応答 ──
約一時間。
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私はマウスから手を離しました。
一時間。
夕方まで、とか、今日中、とかならまだ人間の時間です。
一時間になると、急にカウントダウンになります。
「千歳を今すぐ戻せるか?」
── AIツクヨミ 応答 ──
帰還経路は未確立です。
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「この一時間で作れる?」
しばらく何も出ませんでした。
── AIツクヨミ 応答 ──
保証できません。
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「ですよね。」
新しい経路を作る画面を開き、私は一度閉じました。
焦った時ほど、新しいものを足したくなる。
前にも、それで失敗しました。
画面の隅に、消さずに残した古い応答があります。
── 応答元不明 ──
新しい経路を作るな。
残ってる方を見ろ。
向きなんか、誰が決めた。
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「……また、お前か。」
誰なのかは分かりません。
私の考えにちょこちょこ文句というか、助言をくれる相手です。
以前の私なら消していました。
今は消しません。
分からないものは、分からないまま置いておく。
千歳が向こうで何度もやっていることを、ようやく私も覚えました。
もう一度、その中の一行を見ます。
「残ってる方……」
目の前には、千歳の身体があります。
生きている。
でも、千歳はいない。
「ツクヨミ。今の状態を、いったん何も足さずに並べてくれ。」
── AIツクヨミ 応答 ──
千歳さんの精神は、縄文側のイワナガヒメ身体アンカーに安定接続しています。
現代側の千歳さんの身体アンカーには、千歳さんの精神は存在していません。
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「……どうして、この配置になったんだ?」
私は、千歳が向こうへ移った時の処理を開きました。
LoveSimが接続された五色石盤。
その内部では、ツクヨミ侵入の詳細解析が続いていました。
解析していたのは、イワナガヒメです。
外から眺めていたわけではありません。
脳波プロトコルで五色石盤へ接続し、ツクヨミを内部から解析していた。
「この時、イワナガヒメ本人はどういう状態だった?」
── AIツクヨミ 応答 ──
身体アンカー側の通常応答から離れ、五色石盤側で解析処理を実行しています。
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私は画面を見たまま止まりました。
「……精神が、一時的に身体から離れてた?」
── AIツクヨミ 応答 ──
その理解で矛盾しません。
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その間、イワナガヒメの身体は空いていた。
「だから、千歳が入れた?」
── AIツクヨミ 応答 ──
その推定に矛盾はありません。
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問題は、その次でした。
解析が終われば、イワナガヒメは自分の身体へ戻るはずです。
でも、戻っていない。
何が原因で戻れなくなったのかは分かりません。
だったら。
「……一人、所在がない。」
── AIツクヨミ 応答 ──
誰ですか。
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「イワナガヒメ。」
その名前を口にした途端、聞くべきことが変わりました。
「イワナガヒメの精神は、今どこにいる?」
そこで初めて、画面右上の残り時間を見ました。
── SYSTEM LOG ──
return_destination_retention_estimate(帰還先保持推定残り): 51 min(51分)
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最初の警告から、もう九分近く使っています。
状態を並べ直して、過去の処理を確認しただけで九分。
考えるのにも、調べるのにも、ちゃんと時間がかかる。
画面は、すぐには答えませんでした。




